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ノーマルドリンカーとアルコール依存者

適度な飲酒の問題

問題のない飲酒者は(ノーマルドリンカー)
「お酒を楽しんでいるだけ、問題ない」と思っています。

問題のある飲酒者やアルコール依存者とは(プロブレムドリンカー)
別のものだ、自分は違うと思っているのです。

しかし、この二つの飲酒者は
実は、同じ病気と言えます。
ステージが違うだけなのです。
(そう言っているのはアレンカーさん)

お酒と幸福感

アルコールのない人生が
惨めで幸せではないと
どうして、思うのでしょうか。

二度とお酒を飲まないと決めることが
自分の気持ちを落ち込ませたり、
惨めな気持ちにさせるのは
なぜでしょうか。

一番の問題はそこにあります。
お酒と幸福感が
ひとくくりとなって
すでに洗脳されてしまっているのです。

お酒の好きな人は
深酒の健康被害を気にはしています。

それで、お酒を控えることを心がけたり
たまには、休肝日を作ろうとします。

しかし、お酒好きなら
これから一生
お酒をやめようとは
夢にも思わない場合がほとんどでしょう。

私もそんな風に思ってました。
ちょっととりあえず
毎日飲むのはやめようとか
そんな軽い気持ちで
禁酒生活を始めてみました。

今は、お酒を飲まない生活が
心地よく続いているし。
そんなに、お酒を飲みたいとも思わなくなったけど。

何かのお祝いとか
何かの機会にお酒を飲んだりしたいなと
ぼんやり、考えたりしています。

飲まない人との違いは大きい

しかし、アレンカーさんの
禁酒についての本で
衝撃的な文を見つけてしまいました。

「問題のない普通の適度な飲酒者と
問題のあるアルコール依存者は
ステージが違うだけで
実は同じ病気なのだ」

ガンなど病気のステージ判定に例えています。
そうそう
病気という単語diseaseは
disで、easeを否定しています。
つまり、らくちんな心地よい状態ではないということが
diseaseデジーズということになります。

快適・安堵している状態ではないということ。
心地よい状態ではないということ。

「お酒を控えられたらいいな
普段はあまりお酒を飲まなくて
何か特別な時だけ飲みたいな」
などと、のんきに考えていた私ですが
かなりのショックです。

アレンカーさんによると
飲まない人と
飲む人の間に
大きな違いがあるのです。

適度な飲酒というものはなく
飲んでいる人は
たとえ節酒者であっても
飲酒者の枠に入ります。

深酒してしまう人や
本当に依存してしまっている人と
同じ枠内だということです。
お酒をまったく飲まない人とは、
根本的に違うということです。

アルコールは依存しやすく
1杯が2杯に
たまにの飲酒が毎日に
少しずつ知らず知らずに
あっという間に
常習化してしまうからと
アレンカーさんは言っています。

アレンカーさんの本を
読み終えたのですが
もっと深く読んでみようとしています。

しかしまだ、
私自身は、これから先の
自分とお酒との関係は
まだ、わかりません。


ソーバーキュリアスは存在しない?

お酒を飲む人と
お酒を飲まない人の
二つの分類しかないとすれば
ソーバーキュリアスは存在しないことになります。

アレンカーさんの本は
「完璧な断酒をして
幸せな人生を送ること」の
指南書なので
もっともなことだと思うし
書かれてあることは
グサグサッと胸に響いてきます。

お酒をやめたい人のための本なので
このような2極化になるのは
当然と言えば当然です。

しかし、これって
ベジタリアンの細分化と同様に
お酒を飲む度合いによって
新しい言葉が生まれそうな気がします。

毎日適度に飲む人:ノンプロブレム・ノーマルドリンカー
一か月に一度飲む人:アマンス・ドリンカー
週末だけ飲む人:ウィークエンド・ドリンカー
毎日続けて飲まない人:インターミティッド・ドリンカー
イベントとクリスマスだけ飲む人:ホリディ・ドリンカー
一年に一度だけ飲む人:バースディ・ドリンカー
社交の場でだけ飲む人:ソーシャル・ドリンカー

テキトーに書いてみましたが
お酒のチョイスも
食事のチョイスも
すべては自分自身のチョイスですね。

今は禁酒生活が心地よいので
アレンカーさんに抵抗しながらも
アレンカーさんの勧める
そっちの道に行きたい気持ちがあったりします。
しかし、決めつけたり
信じすぎたりしないで
自分にとっての
ちょうどよく心地よい感じを
常に探していきたいと思います。

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