ウィキッドとネッサローズがマジで好き、という話
劇団四季のミュージカル『ウィキッド』が大阪で開幕した。
私はこのミュージカルが本当に好きで、万が一呪いにかけられて人生でひとつしか人に何かを勧められない体になってしまったら『ウィキッド』を選ぶくらい好きだ。
余談だが2つまで勧められるならもうひとつは舟和の芋羊羹を選ぶ。あれ美味しいよねー。
閑話休題。
さてその『ウィキッド』の何がそんなに好きなのかといえば、美談にも救いにもせずひたすら現実を突きつけてくる物語のリアリティと、もうダントツで素晴らしいネッサローズというキャラクターの存在である。
とりあえず『ウィキッド』をさらっと紹介すると、このミュージカルはかの有名な童話『オズの魔法使い』の前日譚から始まる。
緑色の肌という奇異な見た目と魔法の才を持ち、やがて『西の悪い魔女』となるエルファバと、キュートな美貌と大衆的な魅力を兼ね備え、のちに『善い魔女』になるグリンダの二人が織りなす友情と成長の物語を軸に、様々な現代的メッセージをこれでもかと喰らわせてくる、老若男女が自分の好きな切り口で楽しめる非常に良く出来たミュージカルだ。「8歳から80歳まで」という方針の下で出来たと聞いて納得した記憶がある。
人生の全てが詰まっているので出来れば義務教育で履修してほしい。私が年商1兆円とかのスーパー成金になったら金にモノを言わせて文科省に教材にしてもらおうと思う。
さてそんな『ウィキッド』の物語の魅力である打ちのめされそうなリアリティであるが、童話『オズの魔法使い』の世界観なのでもちろん物語の舞台は現代社会ではない。しかしそこに含まれるメッセージは不倫に始まりルッキズム、マイノリティとマジョリティの対立、弱者ビジネス、やりがい搾取、言論弾圧、人種差別に陰謀論、デマ、扇動、等々……今の世の中に蔓延る不条理がパンパンに詰め込まれており、これでもかとぶん投げてくる。もうほんとリアル。
ボックという素朴で真面目で「いい人」が売りのキャラがいるのだがもう散々その人の良さをいいように扱われて救われない。圧倒的マイノリティのエルファバは力を持っても日陰者だし、マジョリティの代表みたいなグリンダはそこを究めて最終的には自己を消し、嘘とまやかしで逃げてばかりいたオズの陛下は最後まで何も手にできない。全てのキャラクターがそんな調子で大どんでん返しのハッピーエンドなんてない。人は生きたようにしか結果はついてこないのだと突きつけられる。
それでも生きて行くしかない。友情を深め、互いを知っていくことで自分を突きつけられるエルファバとグリンダは、お互いに信じられるものを信じ、覚悟をその踵に乗せて別々の道を歩いてゆく。その先に見える光は望んだ明るさではないかもしれないけどそれを目指して行くしかない。正しさは自分で選んでいく。二人が見せてくれるその強さと美しさに希望が見える。
全然救われないが、それでも未来に手を伸ばしたくなる、そんな力がこのミュージカルにはある。『人生は素晴らしい、生きるに値する』という四季の理念にピタッと適っている。人生を信じたくなるミュージカル、それが『ウィキッド』だ。見て。マジで見て。
そしてもうひとつの魅力が、個人的には最大の魅力であるネッサローズである。
ネッサローズ。愛称ネッサ。もう既に名前が可愛い。そして多分にペーソスを孕んだキャラクターである。おそらく今まで触れた創作物のキャラクターの中で一番好きだ。好み云々の話ではなく、これほど完璧なキャラクター像を見たことがない。その造形美に惚れている、と言っても過言ではない。
ネッサローズは主人公であるエルファバの妹だ。そして総督の娘というハイスペックお嬢様である。
もう最高に容姿がいい。緑色で悍ましい姉とは正反対の美しい肌、麗しい瞳、常に微笑みを湛えた口元。楚々として品があり、慎ましやかでありながら素直で可愛らしい振る舞い。名実共に美少女である。
更に彼女は産まれつき足が不自由で、自分を産んだせいで母親を亡くしており、その二つの原因が遠からずエルファバにあると父親に教えられており、その父親からは溺愛されていてエルファバにお世話されている。
すごい。こんなにも「可哀想」であることを存分に知らしめる設定を盛られたキャラが他にいるだろうか。弱者で美少女だというのは愛しやすさと哀れが格段に上がる。グロテスクなほどのキャラ設定だ。
そしてさらにネッサ本人が「見た目が可愛らしくて可哀想であること」を自分の魅力だと理解しているところがまた素晴らしい。
実はネッサにも魔法の才能があるので努力如何によっては自分ひとりで生きていけるだけの力を持てたはずなのだが「可哀想な私」は彼女の武器であり、処世術であり、彼女の基盤だからそれをしない。身も心も「自立できない」ように世界に育てられてしまった子なのだ。
そんな「哀れみの権化」みたいなキャラクターを如何なく発揮するネッサだが、このネッサの何がそんなに好きかと言えば、他の登場人物のキャラクターを深めるための歯車として非常に機能するところである。
基本的にネッサは他の登場人物の弱点や悪の部分を集約させたようなキャラ設定である。その上でそれを全て魅力と武器に変えている。だから強い。己の人生の戦い方を心得ている。
しかしだからこそ、ネッサが動くほど相手キャラの良いところが浮き彫りになってくるのだ。
そりゃそうだ。同じ弱みを抱えて、かたや惑いながら乗り越えてゆき、かたやその弱みを武器としてうまく使い他人に乗っかってゆくならば、前者のドラマの方が見応えがあり応援したくなるのは当然のことである。
しかしここでネッサが悪く見えることはない。「可哀想」だからだ。でもその反面、「可哀想」ではない自立した人々はさらに己を深めてゆく。やはり人生はもがいた者だけが掴める何かがあるのだと分からせられる。
そしてそのままネッサは最後を迎える。何も残すことなく。象徴のように彼女の乗っていた車椅子だけが残されているところもいい。
ステータスを「哀れ」に振ったキャラクターは大抵どこかに「救い」が用意されているのだがネッサにはそんなものはない。自立のチャンスは徹底的に潰されている。私はそんなネッサが本当に好きだ。こうなるしかなかった、というしかない八方塞がりで可哀想で、でもしたたかでやっぱり自業自得なネッサローズがとても好きなのだ。
ネッサはとりわけクラスメイトのボックとのラブストーリーがいい。個人的にはこの二人のラブストーリーを味わうためにチケット代の大半を払っている自覚がある。見て。もうホントいいからみんな見て。
ということで、大好きな『ウィキッド』の大好きなところをお伝えさせていただいた。このミュージカルは曲も演出も全部いいのでそこもオススメポイントである。ちなみに作曲のスティーブン・シュワルツ氏は劇団四季オリジナルミュージカル『ゴースト&レディ』の演出をされたスコット氏のお父上である。親子で芸術センスあるとかすごい。
何回も言うが本当にいいので、見て、マジで。
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