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とりあえず、一歩から。

私に、大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれた人がいる。

その方を表すなら、夕陽のような人だ。
暖かいオレンジ色で世界を染め上げ、人々を優しく包んでくれる夕焼けのような人。50代の可愛らしい女性。笑顔がとってもチャーミングで、リネンの服がよく似合う。

そうだな、三島さんとでも呼ぼう。
いくつもの偶然が重なって、強烈な印象を残すことになった、静岡県三島市からあだ名をいただこう。

三島さんは、地元で老舗の旅館を営んでいる。出身は静岡県で、私の住む地域に嫁いできた。

三島さんは、自分のことも、これからどうしていけば良いのかも、分からなくなっていた私の話を、丁寧にきいてくれた。

私が発する言葉から、どんな話が一番笑顔になったのか教えてくれ、この先の未来をどうするのかも、ヒントを与えてくれた。

地域にどんなコミュニティがあるのかを知りたくて、会いに行ったのだが、正解だった。

固定概念に縛られて、自由がなくなっていた自分。
色んな生き方があって良いんだよと、ヒントを与えてくれた。

9/1より仕事を始めたことについては、別のコラムの通り、前職の関連事業所に勤めている。

雇用形態は、正社員ではなくアルバイトで期間は12月末までだ。
9時~4時の6時間勤務。今までの月給から比べると、半分以下の収入になっている。

メンタルを病んでしまった人間としては、社会復帰をしようという強い意志をもつまでのハードルが高い。

無職になってからのすぐの期間は、緊急事態宣言により休校を余儀なくなれた兄弟の子供たちの面倒を見ていた。ひと月経って小学校が再開し、自分の時間ができ、いざ就職活動に踏みだそうと思っても、前職のことが頭から離れない。

悔しくて悲しくて、苦しくて。泣いてばかり。
消えたいと思う日もあった。
家から出れない日が何日も続いた。

そんな日々はとにかく、考えることをやめないと、メンタルが保てなかった。

数ヶ月の休息を経て、ようやく少しずつでも前を向いていこうと思えるようになり、ずっとバイトをしないかと声をかけてくれた所長の話を受けることにした。

前職とは違う事業所であっても、関連事業所に勤めることが、吉と出るのか凶と出るのか、分からない。
また、苦しい思いになってしまうのではないかと、思った。

その時は迷わず、精神科を受診しよう。そう決めた。
自分が生きてきた経緯を変えることはできない。

いつか必ず、乗り越えないといけないことだから。

9月1日の当日。

行きたくない、と思った。家から出たくない。誰とも関わりたくない。

どんよりとした曇空が私の気持ちを代弁してくれていた。

けれど、私の都合で9/1に伸ばさせてもらった採用に、是非私に手伝って欲しいという、私の力を貸して欲しいという所長のお願い。

行かないといけない。

いつかは、正規職員としてどこかに就職するのだから、と言い聞かせて向かった。

そして前の仕事について触れて、確信する。
やっぱり私は、この職場の仕事は嫌いじゃなかったことを。
それが分かっただけでも、大きな収穫だ。

4ヵ月のバイト期間で、次の道を探す。
とりあえず、一歩進んで、また来週から働こう。

一歩。一歩。焦らずに。

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