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カエルの鳴き声と青春

少し違った角度から部活の思い出を語ろうと思う。

先日、拍子抜けするようなニュースを目にした。

隣の庭のカエルの鳴き声は騒音か? 「自然音」と訴え退ける判決
2021年4月23日 17時59分
「隣の庭のカエルがうるさい」として住民が騒音の差し止めやカエルの駆除を求めた訴えについて、東京地方裁判所は「カエルの鳴き声は自然音で騒音には当たらない」として退ける判決を言い渡しました。

出典|​ NHK NEWSWEB |

驚いたというより、はぁと言った印象だ。

判決はもちろん至極当然の判決であって、隣人が故意に大量のオタマジャクシやカエルを連れ込んでいるわけでもなく、騒音に該当するか否かも、きちんと検証をしたうえでの判決である。

訴えた方のカエルの鳴き声を「騒音」だと感じるその精神的なゆとりが乏しい事実が、ただただ悲しく感じた。
このコロナ禍で普段以上に心がギスギスしてしまうほど追いつめられているのだろうか。

私はカエルの鳴き声が非常に好きである。

私が住む地方の田舎ではだいたい、GW明けあたりから田んぼに水を張るので、5月になると連日連夜、カエルの大合唱が鳴り響く。辺り一面田んぼに囲まれる場所から聞こえるカエルの合唱は、田んぼから300mほど離れていてもよく聞こえ、カエルの鳴き声は初夏の訪れでもある。

カエルの鳴き声を聞くと、高校時代に青春を捧げていた部活を思い出す。
5月というと地方大会が始まり、大会に向けて部活も少し長めに行う時期であり、自転車通学だった私は、夜の田んぼ道をカエルの合唱をBGMに駆け抜けていた。
車の交通量がほとんどない、薄暗い田んぼに囲まれた一本道。

部活で上手くできた時の喜びに、一緒に喜んでくれるかのように鳴いてくれたり、自分だけ落ちこぼれた悔しさに寄り添うように鳴いてくれたり。カエルたちの自然音はいつでもそこにあった。

毎日、滝のようにたくさんの汗を流し、足の裏の皮がそこらじゅう剥けてガチガチになって、膝や腕に青痣をたくさん作って、クラスメイトが恋に、バイトに、ファッションに楽しんだ日々を、全て空手道部に捧げ、花の女子高生とは程遠い青春を送った日々。

3年生の時は、これが最後の大会なんだと、厳しい練習の成果というより、この楽しい日々が終わりに近づいている、カウントダウンが始まっている寂しさが、カエルの鳴き声を聴くたびに思い出され、胸を締め付ける。

部活で良い結果を残せなかった私にとって、カエルの合唱は、自分に勝てなかった悔しい苦い思いも、思い出させてくれる。

カエルの合唱は、二度と味わえない青春の音。

自然の音は、自身が大事にしてきたモノにそっと寄り添ってくれる音。

カエルの鳴き声が「騒音」に聞こえてしまう人の心に、ゆとりが出来ることを願っている。


#部活の思い出

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