男女は雇用機会だけが均等でも

4月10日は婦人の日、だそうで。

1946年4月10日
終戦から8ヶ月が経ったその日
日本で女性に参政権が与えられた。

紀元後から見れば2021年の歴史からみるとたった75年。
では逆に、なぜ約1950年間は女性に参政権がなかったのか。
女性が蔑まれていたから?立場が低かったから?

それだけではない理由があるはず。

この短さが包含する意味を助産師の視点も使って考えてみたいと思った。

-------------------------------------

その40年後の1986年に
男女雇用機会均等法が成立

そして今、
「ジェンダーレス」「LGBTQ」
という言葉が世の中全体にも浸透し始め
SDGsの目標のもと、
いろんな国や企業が改善に取り組んでいる。

世の中はどんどん性差が均されている

良いことだと思う

バリバリ働きたい女性もいれば
主夫になりたい男性もいるから


ただ、どれだけ世の中が変わっていっても
多様性が認められても、普遍的な共通項がある

それは、どんな人間も女性のお腹から生まれるという事実

私が助産師の学生で、初めてお産を介助したその日
帰りがけに寄ったドラッグストアで
向かいから歩いてくる家族がいた
男の子ふたりと、お母さんと、お父さん。
ああ、この子達はふたりとも
きっとこのお母さんのお腹から生まれて今ここに在る。

そして、それと同時に思ったのは
このお母さんも、そのお母さんのお腹から生まれ
そのお父さんも、自分のお母さんのお腹から生まれてきたんだなーという事実

そして、その後ろから
ご高齢のご夫婦が歩いてきた
そのとき改めて思った。
ああ、このおじいさんもおばあさんも
誰かの女性のお腹から生まれ出てきてるんだということ



普遍的だ

女性は強い

尊い

そう思った

私が助産師という仕事に魅力を感じるのは
こういう普遍的な営みに直接関われて
怖いことは沢山あるけど、
生命の神秘に携われる、唯一無二の職業だと思う。


そういう普遍性を踏まえた上で
世の中を見てみると、どうだろう。

前述したように、
バリバリ働きたい女性もいれば
主夫として生きていきたい男性もいる

でも、女性しか「産めない」ことは変わりないのに
女性に平等性を求めるのは、少し暴力的ではないだろうか?

仮に「妊娠」と「出産」は女性しかできないから
しょうがないとしても
その後の「子育て」は男性でも代役可能だ。

ただ、本来は女性の分野であることは事実であり
いくら優秀な「主夫」だとしても
授乳に合わせ2-3時間おきに覚醒するホルモンは出ない。
それは女性が出産を経て変動するホルモンだから、どう頑張ったって男性からは分泌されない。

そして、生物学的にも社会学的に見ても
女性は手の届く範囲にきめ細やかな配慮ができるという特性があり、男性は腕力体力があり数字や成果で全体の把握・統率をするのが得意、という性差がある。


私たちは、平等と公平の違いをきちんと理解していなければならない。

例えば、
「昨年新型コロナで一律10万円が給付された」

これは平等だ

裕福な家にも貧困の家にも一律に与えられるから。

「駅には点字ブロックが設置されている」

これは公平だ

目の見える人には必要ないもので
目の不自由な方々をサポートするためにある。

性差による障壁を本当の意味で乗り越えるには
平等に権利を与えるだけでは十分でない。

社会は女性のきめ細やかさや、弱者への優しさを
思う存分享受して、活かしていくといいと思う。
よりよい世の中になるためには女性のパワーが必須。

そのためには
女性が本当の意味で働きやすく、休みやすく
公平になるように必要なサポートが充実して
子供を産んでも産まなくても女性としての特性を
大いに発揮できる社会を私は望んでいる。

-------------------------------------

私はどんな社会に生きていたいのか
三世代先まで残したいのはどんな未来か
それを考えるためのジョブレス期間です。

(かっこよくニートを言い換えただけです😚)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?