ぼくとわたしのこと。

おはようございます。
今日もそこそこ元気、渡辺シアンでございます。

じわじわ忙しくって、2日間更新サボりました。
ちょっとずつまた書いてこうって思ってたのに…

今日の話題は何にしようかしらって思ってたんですけど
「僕と私」についてお話ししようと思います。

僕の一人称は、「僕」ですが、僕の中の人は「私」です。

これってわかりますかね?
いや、わかんないわってなった人たくさんですね。
そりゃそうだ。

実は、僕の一人称って自分の中での一つの区切りと言いますか。
「わたし」というのは、自分の中で昇華したい「過去の自分」で
「僕」は今を生きる自由な自分であることを意図しています。
そう、「僕」っていうのは、第三者目線の僕なのです。

これは僕自身のアイデンティティであり、
過去の自分を認めるために分けていると言いますか。

あ、わかりやすくいうと
「脚本の中の少女」と「現実でそれを書くの僕」
というところでしょうか。

事実、脚本のネタに自分の過去の話が結構入ってるんで
そういうことなんですよ(どういうことでしょうか)

僕は、たくさん遠回りをして、道を間違えて、迷って、今ここにいるけど
これが本当にあってるのかさえもまだわからないし、
それを誰かが教えてくれるわけでも、道しるべをしてくれるわけでもない。
ヘンゼルとグレーテルの光る石っていうチート手段があるわけではない。

僕の人生も、君の人生も、後ろを振り返ったとしても
それを糧には出来るけど戻る事が出来ない。
それはみんな平等だけれど、不平等な人生の内容に関しては不満がいっぱい。


ここまで書いたけど、実は僕には、過去へ戻る方法がある。

脚本を書いて、演じること。ただそれだけなんだけれど。

過去の僕を、自分自身と自分の面白いと思ってる人に
演じてもらう事で、「わたし」の人生は報われるような気がする。
ただそれだけのために始めた脚本を書くという行為が
いまは、出会いのツールになって面白い人たちと出会うきっかけになってる。

最近いろんな方に

「自分が人見知りでバリアを張ってるのに、
シアンさんはそれをやすやすと破ってくる才能がある」

と言われることがありますが、自分ではそんなことは無いと思っていて。
僕に対して、好意を持っていただけてるからこそすぐ仲良くなれるだけだよ、と思いながらも嬉しくってにこにこしちゃうのは内緒です。

事実、僕は人間が苦手だし今もどう接したらいいのかなって時が多いけど
逆にみんなが好意をもって接してくれる分、
それ以上に好きになっちゃうだけなんだよなあって。


恋愛に関しては、仮にモテてたとしても
本命には振り向いてもらえない人生なのでもう恋はしません(多分)
いうて、ここ数年本命なんていないですけれど。

恋愛よりも、表現する事が楽しくってまだまだそっちに全振りという感じですが、この年齢になるとまあ・・・ちょっと焦った事もありましたが今はそんなことなかったですね。

「僕」を卒業する時は、引退する時で「私」に戻る時で、
それは僕の人生の中で戻ってくるものなのかはまだわかりません。

そんなお話でした。

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