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100年間で急変した子育てとお金の問題

はじめに
 今月のお題は「子育てとお金」としてみます。
 私たちが結婚をし(あるいはしなくても)、子どもが生まれたとき、子育てにかかるお金の問題と向き合うことになります。
 それはまさに人生を通じた大きなお金の出費です。
1.構図の変化を考えてみる
 「子育てとお金」といえば、高校や大学へ進学するための学費準備や、保育費用の負担などがすぐに思い浮かびます。
 しかし、もっと俯瞰(ふかん)的な視点でまず「子育てとお金」について向かい合ってみましょう。
というのはこの100年で「子どもは働いて家にお金を入れてくれる存在」からそうではなくなるという歴史的転換があったからです。
 歴史を振り返ってみると、100年ほど前の家制度では、子どもは「労働力」と見られがちでした。
 若いうちから仕事に就いてもらうことで、家族全体の仕事の負担が減ったり、賃金収入を家族にもたらしたりしてくれました。
 文部科学省の資料によると、明治初期の就学率は農村部では低く、また女子の就学率は男子より低い傾向があり、これを高めることが国の大きな政策課題でもありました。
 現在は児童労働が基本的に許されないのはもう周知のところですが、長い歴史の中でほんの最近起きた変化です。
 世界的にはまだ、児童労働を強いられて学ぶ機会を得られない子どもがたくさんいて、まだ完全に解決されているわけではありません。
2.子どもは老後に仕送りしてくれてない
 今の時代に子育てをしても、子どもが稼ぎを家計に入れてくれるとは限らないでしょう。
 逆に、子育ての費用がかかります。
 では、「子どもが将来、お金をくれる」という構図はどうでしょうか。
 つまり老後に子どもから受ける仕送りです。
 こちらはほんの50年くらい前までは成立していました。
 子をいい大学に入れ、いい会社に入ってくれると親よりも年収がアップし、その経済的余力で親の老後に仕送りをしてくれるわけです。
 ドライに言い換えれば「子にかけた学費負担が将来、リターンを生み出した」ということです。
 これも今では成り立ちにくくなりました。
 高度経済成長は終わり、新卒の子より定年直前の親のほうが、年収が高いのが普通になりました。
 子どもに余裕はなく、仕送りどころではありません。
 また、公的年金制度の充実と負担増も影響しています。
 戦後すぐは公的年金水準も低く、厚生年金保険料率も5%にも満たなかったことから、親への「家庭内仕送り」が必要でした。
 今では18.3%の厚生年金保険料率を現役世代が負担することで、全国的に日常生活費を送る程度の公的年金水準が確保されました。
 いわば「社会的仕送り」が実現されていると考えることもできるわけです。
 子に経済的リターンを求めない。
 子どものうちも、成人してからも、私たちは子に経済的リターンを求められなくなりました。
 ドライに考えればそうかもしれませんが、子にリターンを求めないことは、子が社会人になって以降の仕事の稼ぎを、自分と次の世代に振り向けられるということでもあります。
 つまり、あなたが子育てをしたお金を回収しようと考えないことで、子が結婚をし、孫を育てていく余裕を生み出すわけです。
 当然ながら、お金のやりとりだけが親子関係ではありません。
 子どもが成人になるまでのあいだに得られる感動、喜びの集積があります。
 成人してからも、体調が悪いときに子が様子を見に来てくれたり、対話アプリ「LINE」でメッセージをくれたりするような関係があることで、私たちは安らぎを覚えます。
 結婚をしても(あるいはしなくても)、子どもを欲しいと願う人は子どもからリターンを求めているわけではなく、「家族」のつながりを求めているのが今の時代といえるわけです。
3.子どもを育て上げるには「1人2000万円」以上
 子どもの笑顔や成長を見守る喜びがプライスレスであっても、やはり子育てにかかる費用の問題は無視できません。
 少し古いデータになりますが、内閣府の「平成21年度(2009年度)インターネットによる子育て費用に関する調査」から、食費や被服費、教育費などを積算してみたところ、中学卒業までに1600万円くらいはかかっているようです(学費の貯蓄等を除いて筆者概算)。

 日本政策金融公庫の教育費に関する調査によると、高校と大学については学費だけでも900~1000万円かかるというデータもあります。
 合計をすると「子どもひとりに2000万円」以上がかかっていくというわけです。
 このうち、被服費や食費は日々の家計を工夫しながらやりくりしていきますが、計画性が求められるのは「学費(特に高校と大学)」の準備です。
 来週はこの学費準備のルールが変わっていることを考えてみます。

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