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#4 ぶんぶん公園と近田家とサクラ(4)“責任”


#3 ぶんぶん公園と近田家とサクラ(3)〜急展開の“住民移転”

ことし4月おわり。近田家のサクラは葉桜になったが、まだところどころに花を残していた。この日は、夫婦が、思い出のしみついた家をあとにする日。
荷物の運び出しがほとんど終わり、がらんとした一階の部屋で、夫の太郎さんがぽつぽつと口を開いた。

近田太郎さん:
「満15年。ちょうどいまごろ来たんだよね…」

普段はひょうひょうとした雰囲気の太郎さんだが、この日はどこか神妙で、何かを確かめるように壁やエアコンの排気口を触ったり、窓の外を見上げたり。何度か、大きなため息もついた。

近田太郎さん:
「私はわりと(前向きに)できると思っているんだけれど、二人でいて話題になると戻っちゃうよね。
そんなこともあったよな、昔あそこに住んでいたことあるんだよなって、そんなにめそめそすることもないと思っているけれど」
「そうは言っても、一定期間住んでいれば親しみだとか愛着もあるから、パッとするわけにはいかないけれど…」

話し終わって、しばし沈黙。
それを破るかのように、玄関の呼び鈴が鳴った。NEXCO東日本やJVの担当者など3人が、家屋の引き渡しの手続きのために訪れた。

妻の眞代さんお気に入りの、光がふんだんに差し込む2階のリビングには、かつて空洞が見つかった隣の空き地から重機の音が響いていた。
夫婦がいくつかの書面にサインし、カギを引き渡すことになった。眞代さんが、亡き母からもらったというキーホルダーからカギを外そうとした。

“カギが嫌がっている”

眞代さん:「嫌がっています。行きたくないと言っている」
太郎さん:「厚みがあるからね。外そうか?」


悪戦苦闘のすえ、カギは外れてテーブルに横たわった。使い込まれて少し曲がって、どこかふてくされたようにも見えた。


地盤補修工事は、地盤を緩めたとする16メートル×220メートルのトンネル直上の範囲に、セメント系の固化材を高圧で注入する。直径4メートル、深さ40メートルほどの巨大な柱が、およそ220本並ぶ。

セメント系固化材を高圧で注入 約220本の柱が並ぶ

この地域は閑静な住宅街で、車のすれ違いに苦労するほど道幅が狭い。このため、注入する固化材や地中から出る排土は、入間川という小河川の上に管路を這わせ、400メートルほど離れた甲州街道近くに設けた作業ヤードとの間を圧送する。

住宅街を流れる小河川の上に管路を設置。写真左奥が高圧コンプレッサーなどが設置されたぶんぶん公園

途中の生産緑地やぶんぶん公園に設けられる「中継ヤード」には高圧コンプレッサーなどが設置される。家屋が密集した住宅街を縫うように行われる工事に、住民からは騒音や振動、管路の安全性、地下水や周辺地盤への影響など、さまざまな不安の声が上がった。

そこかしこで進む家屋解体。住民によれば、基礎の破砕時などに騒音・振動が特に響くという

この地を離れることが決まってからも、眞代さんは住民グループの活動に参加した。特に強く訴えていたのは、地盤補修工事を行うにあたっての通学路などの安全対策と「責任の明確化」だ。

住民グループの会合で議論する近田眞代さん(左)

近田眞代さん:「(地盤補修)工事を始める前に緊急マニュアルは作れない、そういう答えが来ました。じゃあ準備段階で事故が起きたときはどうしますか?国交省、NEXCO東日本、中日本。3者のどの部署がやるのか、責任者は所長なのか、工事長なのか、きちんとした名前まであげて公示すべきだと思います。どの事業者のどの代表がやるのか、そういう責任問題をきちんとしてからこの事業(地盤補修)は始めてもらいたい。責任を取るところがきちんとしていなければやるべきではないです」
(2022年12月21日 調布市長への申し入れにて)

そもそも夫婦が終の棲家を離れる原因となった、陥没や空洞を発生させた事故の責任も、今に至るまで明確に示されてはいない。

陥没発生前に住民から相次いだ振動の訴えをきちんと受け止め、工事を中断するなどして抜本的な対策を検討しなかった責任。

およそ50日間のあいだに16回もシールドマシンが回らないトラブルが発生し、このうち4日分については、まとめて施工会社からNEXCOに事後報告された。こうしたリスク軽視ともとれる現場の管理責任は誰にあったのか。

東日本高速道路の資料(2021年10月)より 黄色線は筆者

そしてこの3年あまり、NEXCOの社長や国土交通大臣といった事業者側のトップが現地を訪れて住民に直接謝罪したことは、ただの一度もない。

近田眞代さん(76)

病院の検査技師として40年間、ひとの命にかかわる仕事をしてきた眞代さん。事業者側の「責任」に対する姿勢には、疑問をはさまざるを得ないという。

近田眞代さん:
「わたしなんてこんな小さくても、検査技師として、これは私がやった検査ですとサインして、何かあったら自分が責任取らなけりゃいけない、そういう仕事をずっとやってきた」

以前、国交省のレクの時に、責任者として女性の方が出てきたことがありました。その方に帰りがけ、こういうことを言ったんです。
『いまお勤めして何年?私は40年勤めてきました。自分の仕事に責任をもってやってきたつもりです。40年かけてこの仕事をして、どうにか勤めあげました。あなたこれから何年お勤めになるかわからないけど、そこでやっと責任を果たせたときに私は退職金をもらいました。それであの家を建てました。この40年間の証をあそこでつくったんですけれども、あなたはその気持ちわかりますか』って。
彼女は何も言えなくなって、次にはもう出てこなかったです。それは向こうの都合かもしれないけれど。女性が40年働くっていうのは私には並大抵のことではなかった。親がいてくれたから子供を育てられて、命にかかわる仕事をする中で、その日その日の責任果たせた。何事もなく終わった40年だったけど、あと2、3年働いて事故でも起きたら、この40年がなくなってしまう。
ほんの小さな仕事でも責任の積み重なりでそれが大きなものになっていく。そういうことを自覚していかないとこんな大きな仕事はできないんじゃないでしょうか。
(見学会で)私がトンネルに入ったときに若い人に聞いたら、世界的にやるトンネルだから僕は誇りを持っているっておっしゃる。そういう気持ちがあるなら、ここはおかしいと一つ一つ言えば力になる。積み重なれば大きくなると思う」

#5 ぶんぶん公園と近田家とサクラ(5)〜“卒業組”として

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