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コラム⑨「桜の季節、なに想う」

2018年2月24日(土)
八重山日報・沖縄本島版

※※コラム『ちゅうざんの車窓から』※※

NO.9「桜の季節、なに想う」

 「さまざまの事おもひ出す桜かな」(松尾芭蕉)。古来から多くの俳句や和歌のテーマにもなり、現代でもアーティストたちが桜にまつわる楽曲や作品で描いているように、我々日本人にとって桜の花は特別な存在ともいえます。東京ではまだまだ寒い日が続いていますが、沖縄では桜も散り始める頃でしょうか。
 本土で見る桜の8割は「ソメイヨシノ」ですが、沖縄の桜といえば正月明けから開花を始める「ヒカンザクラ」。東京で仲間たちとお酒や食事を楽しみながらのお花見も好きですが、沖縄で生まれ育った身としては、日本一早い「桜祭り」の夜桜にもまた心惹かれます。そして、季節を感じる風景は、ときに思い出とリンクするもの。特に桜の季節は、出会いと別れがあり、新しい環境への期待と不安があるでしょう。桜の花から、皆さんは何を想いますか。どんなことを思い出すでしょうか。

 日本最古の歴史書であり文学作品の「古事記」や「万葉集」にはさまざまな花にまつわる歌が出てきます。「万葉集」以後も、「古今和歌集」「新古今和歌集」をはじめ、多くの歌集で日本人は自らの心を花に託して詠んできました。花の中でも、日本においては桜が「生」のシンボルとなりました。桜ほど見事に咲いて、見事に散る花はないからです。そこから、日本独自の美意識も生まれたと言われています。また、満開の桜だけが賛美されてきたわけではありません。
 「徒然草」の中には、「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という一文が出てきます。満開のときではなく、むしろ散りゆく花に儚さの美としての「あはれ」を見いだしたのです。過去にも戦時中、多くの武士や兵士たちが辞世の句に桜の花に関する一文を読んだのもまた、桜に込められた「死生観」「美意識」があったからでしょう。そこには、誰かを想い、何かを願っていた人びとのこころが確かにあったのです。

 今年もやがて、多くの地域で桜の季節が到来します。今年もたくさんの人びとの思い出の一部に、そっとなっていくのでしょう。咲き誇る姿も、散りゆく姿もまた美しい桜のように、私たちのこころも美しくありたいものです。

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