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首相辞任めぐり、木を見て森を見ずの池上論文

〇2020年9月7日の日経新聞、「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」という記事について考察してみましょう。
「首相辞任 予測できたか」「公開情報から分析力磨く」の見出しですが、一読して、木を見て森を見ずと言うか、バランスを欠いた論だなと気になりました。池上氏はNHKで社会部(取材)と報道番組のキャスター(放送)の経験を併せ持ち、幅広い社会事象についてバランスの良い意見を吐く、現代の木鐸のような人とかねて評価していたのですが……。

〇池上氏が取り上げたテーマは、「安倍首相辞任を事前に予測できたかどうか、情報収集と情報分析の観点から考えてみる」というものです。池上氏はまず「外国の情報部員(情報分析官、スパイ!)は、秘密の情報活動ばかりしているわけではなく、公表されている情報を収集することで、かなり目的を達することができる」としています。そしてその手法は、学生として、あるいは社会人として、情報分析能力を磨く教材になるとしています。

〇その上で池上氏は、安倍首相が8月17日、慶應義塾大学病院で7時間半「検査」を受け、その1週間後、追加の検査のため4時間近く病院に滞在したことなどを挙げ、この時点で、難病の潰瘍性大腸炎が再発したと推測するのは可能だと言います。

〇その後、8月28日に安倍首相が記者会見することになりましたが、池上氏は「コロナ対策の最中に、『しばらく治療のために休養を取ります』などと、安倍首相が言うはずがない。となれば結論は1つ。辞任会見だ」「ここまで読み切る力を持つことができるかどうか。情報分析とは、このように行うのです」と論を進めました。

〇ここまでが池上記事の大要ですが、私は、紹介された事実関係や、それに対する解釈などディテールに異論がある訳ではありません。例えば公表情報の重要さについても、そのとおりです。記者の取材で、特ダネを取ろうとするときはまず、公表情報を読み込み分析することから始めるのですから。

〇しかしこの池上氏の記事には、大きく言って2つの問題があります。1つは、そもそも安倍首相がこの時期に辞任することを当てて、どのような意味があるのかという点です。権力者の帰趨(辞任か継続か、極端には生か死か)は大きなニュースと考えられがちですが、人により、場合によります。大きく出て、第二次世界大戦の場合で考えてみましょう。

〇確かにヒットラーやスターリンなど大戦指導者の健康問題は、戦争の継続や終結に影響しそうな重要問題だったでしょう。特にヒットラーは、病気の予測どころか暗殺が何度も計画され、1944年7月、東プロイセンのヒットラー大本営の会議室にドイツの現役軍人が爆弾を仕掛けて、爆発させました(暗殺は失敗)。

〇ヒットラーは戦争の最終段階に自殺し、暗殺されることはありませんでしたが、戦争の一方の雄・ルーズベルト米大統領は戦争さ中の1945年4月、病死しました。しかしアメリカの戦争遂行能力には何の影響もなく(日本では、いくらか期待したようですが)、トルーマン新大統領の下で戦争は続行され、勝利を収めました。

〇安倍首相のこの時点での辞任は、どういう意味を持つのでしょうか。世界的な大物政治家ではないので、その辞任には何の意味もないなどと言う気はありません。しかし今という時は「辞任は予測できた」と言って喜ぶのではなく、今後の日本をどうすべきかを、退陣する安倍内閣の反省の上に立って、考えるべき時ではありませんか。

〇池上氏の記事のもう1つの問題点は、私はこちらの方がより重大だと思っているのですが、安倍首相の辞任の理由を病気のせい、と決めつける役割を果たしていることです。確かに安倍首相は病気で辞めると言っています。しかし、政治家の辞任理由は本人が病気のせいと言ったら、その通りだというわけにはいきません。

〇安倍首相の内閣の支持率は6月以降30%台で、内閣発足以来最低レベルが続いていました。コロナ対策の失敗や無法、ご都合主義の検察対応などの失策が響いたものです。国難の中で国会も早々と閉じてしまうなど、ここ2か月間ほどの政策の行き詰まりによる、やる気のなさは際立っており、国民はあきれていました。

〇安倍首相が辞意表明した後、安倍内閣支持率が各社の調査で軒並み20ポイント以上「爆上げ」していると伝えられています。なんとも不思議な現象ですが、安倍首相が病に苦しんでいることへの、同情が大きな要因になっていると言われています。まさに木を見て森を見ず──池上論文も結果的に、そうした風潮を後押しするものとなっています。

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