見出し画像

文春砲が大活躍、新聞は感心ばかりしていて良いのか?

〇「週刊文春」が新聞、放送が書いていない(取材できていない)」特ダネを書く、「文春砲」の勢いが止まりません。例えば2021年3月18日(木)の朝日新聞の見開き2頁の社会面。右頁のトップ記事は3段の見出しで、「武田総務相も会食 NTT社長らと昨秋同席 文春報道}とあります。記事では、このことを3月17日付の文春オンラインが報じ、一部の関係先企業が認めた、としています。朝日は文春が報道したこと自体を報道しているわけです。武田総務相は、今国会でNTT側との会食の有無を何度も問われたのに対し回答を拒んでいましたが、文春の報道の翌日の3月18日の衆院総務委員会で、NTT社長との会食を認めました。

〇またもや文春砲の勝利かと感心しつつ、朝日の記事を見直すと、すぐ下に続く記事もまた文春オンラインの内容を伝える記事でした!これは2段見出しで、「女性容姿侮辱の演出提案 五輪開会式めぐる報道 統括者退任へ」。この見出しの意味、分かりますか? 報道に問題があると指摘する記事のように思えますが、そうではなくて、女性に失礼な演出の提案をした、演出の統括者は責任を取って退任することになった、そのことを(文春が)報道した、という記事なんです。
 それならそれで、文春報道、とやればいいのに、と思いますが、さすがの朝日も同じ紙面で、「文春が報道」と2本も見出しを立てるのは、気恥ずかしくてできなかったのでしょうか。と言って、無視するには2本ともニュースバリューのある堂
々たる内容の記事ですからね。

〇私は、 ニュースの報道を評価するポイントは三つあると思っています。
①何を取材するか(テーマ)②いかにして取材するか(取材力)③どう表現するか(表現力)、の三つです。そして新聞は取材力が売り物であり、週刊誌は題材になる「ネタ」は新聞から持ってきても、どう表現して読者に読ませるかで勝負する、と考えられてきました。しかし、10年以上前からこの傾向に変化が生じ、特に週刊誌が独自の取材で独自の事実を発掘することに力を入れるようになりました。その先頭に立っているのが文春砲、というわけです。

〇こういう状況の中で、新聞はどう考えているのか。3月16日(火)の東京新聞に専修大学の山田健太教授の興味深い論考が載っていました。「文春砲が続く」という書き出しです。
文春砲の取材の特徴は「潜伏取材による決定的瞬間を写真や録音で証拠として押さえることで、ほとんどは盗聴盗撮によるものでもある」としています。山田教授は、こうした取材に対し現在は、相反する二つの状況がある、としています。

〇山田教授は「かっては『取材方法に制約なし』とされていたが、メディアを見る目の厳しさや、一般的な人権意識の高まりの中で、許されない範囲が拡大している」と指摘します。その一方で、山田教授は、「昨今の一連の週刊誌報道をテレビや新聞も後追いし、国会でも記事内容をもとに質疑が行われるなど、一気に『正当』の範囲が拡張したともいえる状況だ」ともいいます。

〇では、新聞や週刊誌は、どうあるべきなのか。山田教授は言う。
 「知りえた事実は報道目的のみで使用され、対象は公人や公益性が明白で、極めて高い事象に限定される。こうした条件が揃ったら、果敢に不正義に立ち向かう勇気と覚悟を報道機関には期待したいし、私たちがそれを後押しする必要が、今の時代には特に求められている」。

〇報道と取材される人々の人権との関係については、山田教授の言うとおりだと思います。しかし、マスコミの内側、端的に週刊誌と新聞の関係を考えると、文春砲に新聞(それも大新聞が)押されっぱなし、というのは異常です。取材力を磨くことが報道に携わる基本だということを忘れず、もっと泥にまみれて仕事に取り組んでいただきたい。##

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?