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山手線一周一人で歩いた

 こんにちは。中夜祭2021では酸素を吸収し、二酸化炭素として排出するという担当の仕事をしています、緑川ケイです。
 東京都府中市という、徐々に老衰が進むベッドタウンで沿道のツツジの蜜を吸いそれを養分に育っただけの私が、中夜祭の運営メンバーに呼んでもらえるとは思ってもいませんでした。至極恐悦の極みです。

 というわけで今回のノートでは気合を入れて、私の旅の日記を書こうと思います。

・・・

 就活に追われていた私にとってのGWは何もゴールデンでは無かったので、山手線を歩いてみようと、そう思い至った。

 一周34.5km。線路近くを歩くとしても40kmくらいになる。調べてみると、意外にも挑戦者は少なくない。
 足の裏の皮が剥がれるだとか、暑過ぎて倒れかけるだとかそんなことが書いてあったが、私のポリシーはもちろん、百聞は一見にしかずである。リュックに水と財布だけ詰めて、5月某日、履き慣れたランニングシューズと共に私は家を飛び出した。

 というわけで、ここに私が挑戦した山手線一周の旅の記録を残したいと思う。

【事前準備】

 私は運動が好きではない。大抵の有名アトラクションを巡ったかくらいの、ディズニーでの20,000歩ほどのウォーキングが私のベストレコードである。とにかく知識がないので、ネット検索で出てきた賢者たちの記録を元に、以下の持ち物を準備した。

・水
・軽いけど、地面の硬さを感じない、運動に適した靴
・くるぶしを覆えるような丈の靴下 

 書いて気づいたが、リスト化するまでもなかった。人は、水と足を保護するなにかさえあればどこまででも歩いていけることを、今改めて実感している。

 何がともあれ、40kmほどのウォーキングである。いつも目の前を歩く人を追い越してしまうほどにせっかちを拗らせている私の歩行速度は、差し当たり時速4.5km/hだ。単純に計算して9時間はかかりそうだ。
 休憩を挟むとして10時間だと見積もって、少なくとも始発で最寄りを出発するくらいの気合がないと翌日の予定に支障が出てしまいそうだった。明日の自分に期待を込めてアラームを4:55、4:58、5:00と設定し、早々に眠りについた。


【当日記録】

 実は私は指定校推薦なので、セットした3つのアラームによって起きれるほどの意志の強さは持ち合わせていない。よって、案の定5:30に起床した。予定より遅く起きてしまったので若干焦って雑に眉毛だけを描き、帽子を目深に被り、荷物を手に10分後には家を出発した。
 自衛隊と比肩するほどの速さで準備できた達成感と、未知の旅への期待感から「ウウ〜ウウ〜♪」というアナと雪の女王2のテーマ『Into the unknown』が脳内に木霊した。

6:44 新宿駅

 早速、新宿から歩行を開始した。
 新宿から北上し、池袋を経由して時計回りに一周する外回りルートである。GWとはいえ緊急事態宣言下の新宿は人影もまばらだった。多くの人が利口に家でまだグースカ寝ていると思うと、新宿を支配したかのような気分になって少し心地が良かった。
 少し寒いくらいの朝に出迎えられ、新宿は西口を出て、薬局のある方向に足を踏み出した。通り過ぎていく電車に負けていない速さで、足取り軽く、線路脇の道をぐんぐん進んでいった。

7:08 新大久保駅(0:18経過)

 程なくして、新大久保駅に到着した。
 あるかないかくらいの薄さの毛を前髪としてぶら下げているくるくるロングヘアの可愛らしい女性達でごった返している印象だった新大久保が、しおらしく静まりかえっていた。

 朝露に艶めく花がとても綺麗で、散歩中のおじさんの視線虜にしてしまうほど地面に顔を近づけて、思うがままに写真を撮りまくった。
 春真っ只中での散歩だったので、これ以降もあらゆる花が咲き散らしているのを散見した。
 しかしなかなかどうして、花の名前はバラ・たんぽぽ・ポピー以外皆目見当がつかなかった。義務教育の敗北である。

7:24 高田馬場駅(0:39経過)

 道中の、固形物を伴った鴇色の吐瀉物に歓迎されつつあっという間に高田馬場駅に到着した。全てを浄化してくれそうな5月の朝の清々しさを持ってしても、高田馬場は果てしなく汚かった。そんな汚さでさえも愛着を感じてしまうほどの母校愛をこの3年と半年間で涵養してしまったので、少し名残惜しさを感じつつも、クソブスすっぴんを知り合いの誰に見られても困るので、そそくさとブックオフのある方へ歩みを進めた。

 馬場目白間では、楳図かずおの匂いを感じさせる、切手博物館の独特なデザインのポストよりも、なによりも点字ブロックに使われている石の素材に高級感がある事が気になった。学習院大学を前にして、点字ブロックさえもごきげんようされている。馬場から少し進むだけで、ここまで点字ブロックたちの種族も違うものかと驚きつつ、すれ違う気品を感じるランナーたちと目を合わせないように地価の高そうな道を進んだ。

7:38 目白駅(0:53経過)

 目白は、コメントがしにくくて困ってしまった。
 高田馬場と池袋という有名人達に挟まれた目白は、身長の低い建物が多くあり、開発の優先順位が低そうだと感じ物寂しい気持ちになった。
 ところで私は4人兄妹の3番目の中間子だが、目白を見ていると、親からの愛情を他の兄妹に奪われ、親の財布からお金を盗む事でしか存在を証明する事が出来なかったあの頃の自分の姿を思い出す。


 歩いてみると、目白も全く負けてはいなかった。建物の低さはこの景色を人間に見せる為だと言わんばかりの広い空が線路上に広がっている姿を、目白に見せつけられた。
 目白は私と完全に同じ人種だと思っていたのに、「私、勉強してないよ〜!」と言っておきながら高得点を叩き出してくる答案返しの友人達の笑顔を見た時のような、えもいわれぬ孤独感が私の心を吹き抜けた。

7:54 池袋駅(1:09経過)

 1時間経ち、予定通りやっと池袋駅に着いた。
 到着したものの、想像している入り口と違った。これはあくまで私の持論だが、池袋駅と下北沢駅と渋谷駅は毎回来るたびに駅の構造が大きく変わっている。初見ユーザーを彷徨わせ、体力を奪い、死んだところを栄養として吸収する、そんなタイプの生き物なのだと私は信じて疑わない。
 通勤する大人たちと多くすれ違い、GWでも働かせる日本の企業体質を憂いながら池袋ダンジョンを攻略した。

8:31 大塚駅(1:46経過)

 世界中のバラ、集まっちゃったんじゃないの、くらいの量のバラが植え付けられている都電荒川線の沿道を歩いた。バラの匂いが心地良く私を包み込み、若干痛みを覚えてきた私の腿を励ましてくれているような気がした、と書こうと思ったものの、マスクを付けていたので実際には匂いらしき匂いはしてこなかった。香ってくるのは口臭とミントガムが混ざりあったやんわりメントールのみである。決して良い匂いとは言えないものであった。

8:47 巣鴨(2:02経過)

 正直なところ、巣鴨あたりはあまり記憶がない。私の生活圏は渋谷新宿池袋あたりなので私のナワバリを出てしまっているのである。
 仕方ないので全く関係ない話をしようと思う。この間家の冷蔵庫に納豆が入っていたので食べようとして開けたら、豆がガッビガビに乾燥していた。小さく萎縮した豆たちの周りには、かつて納豆のネバネバだったと思われる白い粒子が散見された。明らかに賞味期限を逸脱したグロい見た目の納豆を前にして好奇心と食欲が勝り、醤油をかけて、“納豆だったモノ”を口に運んだ。すると、ガリっと煎餅のような歯応え、風味とともに口の中でネバネバが若干復活し、未知の食体験とそのおいしさに感動を覚えた。「これは売れる…!」と確信したので、今後余裕があった時の起業のアイデアにしようと思う。

8:56 駒込(2:11経過)

山手線の駅でバトルさせたら、1番駒込が弱いのではないだろうか。

9:18 田端(2:23経過)

 2時間半歩き続けた事の疲れから、休憩を取ることにした。駅ビルの3階に小さな椅子があったので、座った。感染防止対策の一環から「使用禁止」という札が貼ってあったが、朝9時の田端で、飲食店もまだ開店していない中、私がここにいようがいまいが、何も変わらないと判断した。そう考えると、自分一人の存在なんてなんだかちっぽけな気がしてきて、底知れぬ孤独感に苛まれ希死観念が不覚にも高まった。全部田端のせいだ。

9:44 西日暮里(2:59経過)

 感情は生物、とも言う。
 その通りだと思う。なんせ西日暮里らへんの記憶が全く無いのである。ただ、半年ほど前の私はこの写真を残していた。通常この「止まれ」のサインは、足の形が描かれてあるのが普通だと思う。しかし西日暮里はこのサインを、おそらく野生の電車に向けて発信しているのである。西日暮里のユーモアにクスリとした。

9:51 日暮里(3:16経過)

 日暮里駅あたりから、先ほどの「感情は生物」という言葉を思い出したので、私はその時気付いたものや思ったことについてこれ以降メモを取っている。今後はそのメモに基づいて綴っていこうと思う。
 日暮里駅でのコメントは、「歩きタバコ人口が多い」である。普段はタバコに反対という訳ではないが、歩きタバコをする人間は心底軽蔑しているし、自分に子供ができた時に歩きタバコをするような親がいる保育園ないし幼稚園に自分の子供を入れたくない。他人に公然と危害を加えているのにその自覚がない想像力のなさに絶望するのである。というわけで、将来はきっと日暮里には住まないので、人生最後の日暮里だったかもしれない。

10:05 鶯谷(3:30経過)

 友人なんかに山手線一周の感想を尋ねられた時に言う事は、正直これしかない。それは、「鶯谷のラブホテルの数が尋常じゃない」という事である。日本人の3分の1人はここに起源があるのではないかと言うほどのラブホ遭遇率である。日本の全ての駅が鶯谷だったら日本の少子化問題は爆解決するだろう。コツコツと足を鳴らしながら歩く、短いワンピースを着た女性が目の前でホテルに入って行ったのを横目に、居心地が良いものでもなかったので次の駅へ急いだ。

10:20 上野(3:45経過)

 上野駅のメモは「道が広い」であった。

10:40 御徒町(4:05経過)

 大学生定番の飲みゲーの「山手線ゲーム」で誰も言っているのを聞いたことが無い駅ランキング1位は、御徒町だと言わざるを得ない。早慶レベルでも、「ハァ!?御徒町とか山手な訳ないじゃんwwwwどっかの都営線でしょ?」などとほざく輩が居てもおかしくない。そもそも「徒」にどうして「かち」などという大層な読み方を付けてしまったのだろうか。と思い、ググったところどうやら付近の旧町名らしく、将軍の警護をしていた「徒士組(かちぐみ)」の屋敷が多かった事から来ているらしい。また一つ、頭が良くなってしまった。

10:55 秋葉原(4:20経過)

 オタク文化といえば、私が真っ先に思いつくのは池袋なのだが、やはりアキバもオタッキーなにおいが絶えないスポットである。初めてアキバを歩いたが、想像していた場所とは違った。もっとこう、中野ブロードウェイの様なサブカル香る混沌として雑多な場所を想像していたが、思いの外洗練とした印象を受けた。とはいえ、二次元キャラの広告が異様に多いこの環境はアキバならではといった感じで、池袋よりも明け透けにオタク受けを押し出す感じに地域性を強く感じて良かった。

11:08 神田(4:33経過)

 気づけば昼に差し掛かろうとしていた。
 前日が悪天候だったからか、川の水が緑色だった。私が歩いているのを応援してくれている様な気がした。古くてボロい建物と、やたらとデカい橋や道路などの構造物が交錯していてディストピア的な印象を受けた。ここでのメモは「ご飯屋さんが閉まっているし少ない」である。歩き始めて早4時間半、胃袋が音をあげていた。

11:30 東京(4:55経過)

 空の胃袋を引きずりながら、やっとの思いで東京駅に到着した。昼ごはんの店には実は目星がついていたので、山手線のウォーキングルートからは多少外れてしまうがそのお店に向かった。

 私がお昼ご飯に頂いたのは、東京駅から徒歩7分の「Toshi Yoroizuka Tokyo」のクロックムッシュである。このクロックムッシュ、気に入りすぎて1人で数回食べに行っている。なんと言ったって、ヨロイヅカという姓がカッコ良すぎる。私は自分の苗字がかなり好きなので、選択的夫婦別姓に強く賛成しているのだがもし私がヨロイヅカさんと御縁が有れば喜んで自分の川を放棄したい。ヨロイヅカケイなんて強そうすぎて最高だ。という訳でお気に入りのパンで腹を満たし約1時間の休憩を挟んで次の駅へと歩みを進めた。

12:38 有楽町(6:03経過)

 いっぱい喰い亭という、4年生でも委員会のようなニュアンスの名前に感動しつつ有楽町駅に到着した。ここでは私はたくさんのコメントを残していたのでそのまま引用したい。

「すごい思ったより賑わってる 昼から道でハイボール飲んでるおっさんいる 高架下の美味しそうな店たくさん」

 当時の私は有楽町を何だと思っていたのか。
とはいえ、こう思うのも無理はない。今まで数々の駅を通過してきて、山手線の駅なのに全く賑わいのない過疎駅を数駅見てきているのである。山手線なんて言わば日本の要とも言える主要な路線であると思うが、必ずしも全ての駅に活気があって賑わいがあった訳ではない。私は東京の市民なので、区民に対してとめどないコンプレックスがあったが、この有様を目の当たりにした後は、「でも、駒込は府中より人少ないからなあ」でその感情も抑えられる様になった。
「山手線にもザコ駅がある」という真理は、このウォーキングにおいての非常に大きい収穫である。

12:55 新橋(6:20経過)

 私は新橋の雰囲気が大好きである。なんだか、ビジネスマンの高田馬場という感じがする。あの感じが好きなのに、少し歩くと汐留の、全てが整備されてハイソなエリアが出てきて、「ケッ」と思った。

13:17 浜松町(6:42経過)

 少し迷って時間をロスしたので嫌な気持ちを抱いたが、コロナの影響で店が軒並み閉まっていた。浜松町にも浜松町の事情があるんだなと思い「頑張れよ」と言葉を残し浜松町を後にした。

13:47 田町(7:12経過)

 田町といえば高校生の頃三田祭に訪れ、俺らがキャンパス見せてあげるよ!」とイキり慶應生たちに付き纏われた記憶しかない。

14:10 高輪ゲートウェイ(7:35経過)

 雨が降ってきた。高輪ゲートウェイは私の事が苦手なのかもしれない。私も高輪ゲートウェイが苦手である。看板が明朝体なのがどうしても解せない。例えばECサイトで中国製品を買おうとすると中国語から日本語へGoogle翻訳された「美味しい!」や「お客様が愛されてる!」などのチャチなキャッチコピーが書いてある事が多い。それが明朝体のイメージがあり、胡散臭さを強く感じてしまうのである。

14:28 品川(7:53経過)

 宿敵ゲートウェイで雨宿りをし、上がったタイミングで品川駅へ歩いた。

「足取り重くなってきた、お茶飲み切った、開発されてるところとされてないところの差が甚だしい、2mくらいある棚を一人で抱えて運び入れてるアート引越センターの人いた。ママチャリ漕いでる男性多め、チャリ人口多い」

 疲れと8時間も1人という寂しさで口数が多くなっている。一人暮らしをすると独り言が増えるというのはこういうことか。

14:52 大崎(8:17経過)

「iPhoneってこんなに重かったっけ」


五反田(なぜか時間が書かれていなかった)

「船着場がとても綺麗に整備されてる、思考が研ぎ澄まされている」

 こうして旅の記録を反芻している私も疲れてきた。

15:27 目黒(8:52経過)

 最近は15時にもなると1日の終わりを実感して心から寂しくなる。終わりは見えてきたが、少し焦りも出てきた。写真には残ってないが、確か板チョコアイスを買って食べ歩きをした気がする。板チョコアイスはチョコモナカジャンボの中身でしかないのに、どうしてあれだけ美味しいのか。社会人になったら常に冷凍庫にストックしておき、お客さんがきた時に板チョコアイスでもてなしたい。一躍人気者になれること間違いなしである。


15:55 恵比寿(9:20経過)

 道中、「ファーマシィ薬局」という小泉構文の薬局が私をもてなしてくれた。いよいよこの旅もラストスパートである。

16:22 渋谷(9:47経過)

「人が多すぎて身動きが取れない。動物実験反対のデモに足留めを食らってイライラする。マスクつけないで大声出しながら大勢で行進するのって倫理観どうなってんだ。
全体が金で塗装されたベンツが停まっていた。所有者と思しき人は全身GUCCI。薬売ってんのかなあ。薬やってそうな人と売ってそうな人が多い街。脚は限界を超えてるけどなんか身体が動く。」

ひどいメモを残している。

16:45 原宿(10:10経過)

 生活圏内の原宿駅である。私は旧駅舎の方も好きだった。何かを得るには何かを犠牲にする必要がある。ちなみに原宿駅前のIKEAの2階にあるフードコートのクレープは原宿で1番安く1番甘いので大変オススメである。

17:26 代々木(10:51経過)

 いよいよ山手ハイク最後の駅の代々木に至った。代々木はなんだかいつも通過する駅という印象で、特に愛着はない。バイト帰りに代々木のブックオフで本を買い漁ったり、高校の友人と久しぶりに再開して飲んだ場所が代々木なくらいだ。山手線なんて自分とは縁遠いと思っていたが、今までの記憶が私の中の山手線を作っており、きっと今後も新しい私の中の山手線が更新されていくのだろう。

17:35 新宿(11:00経過)

 11時間ぶりに、新宿駅へと到着した。
ヘトヘトさよりも、圧倒的な達成感で胸がいっぱいになった。顔を上げると、雨天の記憶を塗り替えようとせんばかりの晴天が広がっていて日が暮れる前に新宿に戻る事ができたことを悟った。

まとめ

山手線一周、総歩行記録は以下の通りである。

合計時間 10:50(-休憩時間1:37=9:13)
合計距離 45.0km
歩行時速 4.9km/h

この旅で分かったことを一言でまとめるならば、それは「私の歩行速度が尋常じゃなく早い」という事である。

NHKのウェブサイトによると「一般に人間の歩く速さは4km/h」らしい。
4.9km/hのペースで11時間歩き続けたのだ。

友人と一緒に歩く時には、歩行速度により一層気をつけようと思った、という感想で、本旅行記の締めとしたいと思う。


緑川ケイ

(中夜祭2021は、笑いあり、涙あり、歌あり、踊りあり、魔神あり、ミンクスありの神企画なので是非観てください!!!)
Twitter→ @chuyasai_21

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