ドイツにおける日本のプレゼンスの変遷(2007〜現在)
確かにあった。僕が日本人だというと目をキラキラさせて「いいなー!」といわれた時代が。
2007年大学2回生の夏休みにヨーロッパをぶらぶら放浪した。そしてその多くをドイツの街で滞在した。これが僕の初めてのドイツだった(19歳)。
当時iphoneがギリで登場してたかしてなかったくらいの時代で、僕は日本では最後のガラケーを使っていた。
今のように海外で使える安価なSIMカードの時代ではなく、電話は国際テレフォンカードというテレフォンカードをKIOSKなどで買って、公衆電話から日本にいる彼女に電話をする時代だった。この国際テレフォンカードの残量が数字となって表示されるのだけど、これがおもしろいくらいに目に見えてどんどん減っていく。ロータリーエンジンの燃費よりも悪いんじゃないかと思った。だから僕は日本にいる彼女に簡単な言葉で愛を伝えることしかできなかった。
今のように容易にネットに繋がる時代ではない。宿泊予約も枕代わりのヨーロッパの歩き方を見て、ユースホステルやドミトリーに電話でするか、飛び込みで行く時代だった。
今思えば2006年僕が大学に入学した時よりも前からグローバリゼーションは始まっていたのだと思う。しかしいくら大学が国際色豊かな大学だったからといい、いち日本の大学の学生だった僕にはそんな実感は湧かなかった。それでもドイツでは数多くの日本の電機メーカーの広告が並び、そこにはSony,Panasonic(Nationalだったかも)Toshiba,Hitachiなどと書かれていた。自動車メーカーも多く広告を出していたけど、電気メーカーの広告の方がよく目についたことを記憶している。実際電気屋さんに入れば日本の家電はお店の一番見えるところに置かれていたし、なんかオシャレでイケてる感じがした。そしてベルリンの市内Potsdamer Platzにはソニーセンターというソニーの名を冠した名前の近代的で大きなスタジアムのような外見の建物があり、世界のソニーを象徴していた。ソニーはドイツの若者の憧れの的でもあった。ベルリンで出会ったドイツ人は「日本いいな〜僕もソニーのような企業で就職したい!」といっていた。ユースホステルで出会ったシンガポール人の学生二人とは頭文字Dの話で盛り上がり、シンガポールには山がないから、彼らは心底日本の"Touge"に憧れていた。
この頃の日本のプレゼンスというのは家電メーカー・自動車メーカーに代表されるグローバル企業の存在が大きかった。誰もが知っているメーカー、誰もが憧れる商品、学生や若者はCoolと思い憧れ、上の世代は実際の商品の信用度で一目置いていた。2010年に日本はGDPで中国に抜かれたが、その2年前の2008年頃から中国は明らかにすごい存在感を強めていた。僕は日本にいながらそれをヒシヒシと感じていた。おそらく僕が見た日本の企業すげー!による日本の存在感はここがピークだったのだと思う。
僕が2回目にドイツに行ったのは2011年〜2012年だ。ミュンヘンとベルリンに半分ずつ住んでいた。この時は僕がタンデムパートナー(お互いの語学を学び合う友達)を募集していたこともあり、出会う学生たちはみな日本の文化が好きだった。日本の文化といえば今こそアニメ・漫画と思われるが、当時人気だったのはビジュアル系バンドだった。日本では既にビジュアル系の時代は去っていたけど、ドイツの女学生たちは本当にビジュアル系のバンドに詳しかった。彼女らのファッションは黒を基調としたロックっぽいスタイルに、シルバーのジャラジャラしたチェーン系のアイテム、そして派手な髪の色か、東洋人の髪に憧れて黒に染めている子が多かった。またカバンにはリラックマが付いていた。
また、この頃日本人はまだ金を持っていたし、礼儀正しい民族でもあった。ミュンヘンでちょっと高い語学学校にいけばたくさんの日本人がいたし、彼彼女らは身なりもよく、社交的で健全だった。ベルリンでは最下層の語学学校に通い、そこはカオスだったが僕にはそっちの方が合っていたし、その時の友達は今でも付き合いがある。
当時テクノのメッカといわれていたベルリンにはテクノ系のクラブだけで小さいのも含めると100軒以上はあったと思う。僕はこの語学学校で知り合い一番仲の良かった韓国人の友達スニルとその他友達を引き連れて毎週末クラブに繰り出した。
日本では朝ラーメンを食べるがベルリンでは朝Dönner(ケバブー)だ。もう上がりきった太陽に目を細めながらクタクタの体で食べるDönnerはうまかった。当時K popは既に界隈で人気だった。
Nordbahnhofにあったクラブで月に一度アジアンパーティーというものがあった。そこには「こんなスタイル抜群の美女ベルリンにおる?」というような、昼間絶対に見かけないモデルのような美しいアジア人の女性たちで埋め尽くされていた。僕もスニルもその他友達もこのアジアンパーティーをいつも心待ちにしていた。ここではちょくちょくKpopが流れていた。当時僕はKpopを知らなかった。スニルや他の韓国人の友達が当然のようにテンション高めに踊り始め一番盛り上がる部分で一緒に歌っているから「何これ?」と聞いたらこれ韓国の曲やでと教えてくれた。ほえ〜っと思いJ-POPの韓国版という解釈で「んじゃKpop?」と聞くと「そやで」と答えが返ってきた。いやいやJpopのパクリやんけと思ったけど当時音楽のジャンル、スタイルとして既にドイツで受け入れられ、一定の支持を得ていたのだ。そして知らなかったのは僕だけだった。
ある時韓国人の友達に連れられて韓国&ドイツのタンデムの集まり場に行ったことがある。そこではKpop好きの女子大生がたくさんいて、ドイツの女子大生の間でこんなにKpopが流行していたのかとすごく驚いたことを覚えている。
おそらく当時のKpopの歌い手(今でいうアイドル)は今とは容姿が違ったのではないかなあと思う。今でこそ美容は韓国から来ているような部分はあるが、男性に関していうと当時の韓国男子にとって、親からもらった体をいじるなんてもっての外だった。だから眉毛も剃らないで自眉のヤツが大半を占めていた。そう思うと時代の移り変わりは早いなあと思う。僕が眉毛を剃っていると「ゲイか」と笑われたくらいだ。
この頃の日本の存在感というのは、音楽やファッションといったサブカル的な部分と、歴史のある国の礼儀正しい民族という文化的なものであったのではないだろうか。この頃既に家電は衰退していたが、自動車はまだ強い時代であった。
3回目ドイツに来たのが2015年だ。ベルリンで4年間勤務していたけど、同僚から「Kpopって日本のやつ?」と聞かれるくらい韓国通でない普通のドイツ人にもKpopが知られていた。僕がベルリンにいた2015〜2019年、少なくともまだアニメ、漫画を中心とするオタク文化は日本のものだった。アニメメッセに行くと古参のアニメファンはセーラームーン、ドラゴンボールのコスプレをし、世代関係なくナルトとワンピースは人気で、最新アニメのコスプレもよく見られる。漫画がアニメ化されてグッズが販売され、イベントではコスプレをし、2期を待ち望むようなこの一連の市場に海外勢が入り込む余地はなかった。
2019年にベルリンからデュッセルドルフに引っ越したのだけど、この頃から中国勢の進出が目立つようになったなあと感じ始めた。きっかけはベトナム人の友達が次回のコスプレは魔道祖師(中国語:魔道祖师)がしたい!と言い始めたことだった。当時日本語吹き替えで出ていたのかまだ出ていなかったのか、僕は魔道祖師を知らなかった。しかしその次のアニメメッセでは魔道祖師の一大コスプレグループができるくらい人気を博していた。これが2020年だった。
そして2021年頃から衣装がとてもオシャレで、華があり、ちょっとセクシーでかわいいコスプレが目立つようになった。原神だ。もともとジャンルでいうとファンタジー物が一番好きでバラエティーに富んでちょっぴりセクシーが好きなドイツ人女子にとってキャラが多くどれも特徴的な原神はとても魅力的だっただろう。アニメはどうしてもドイツ語版が出るまでに時差があるか、ドイツ語版がでないものもある。それに比べてゲームはその限界を超えるわけで、ほぼ時差が生じない。
この点でもゲームキャラはドイツ人にとってコスプレに運用しやすいのだ。
韓国のKpopカルチャー、中国の漫画、アニメ、BL,ゲームの台頭などを経て、サブカルが日本のプレゼンスを牽引してきた2010年代〜20年代、それは絶対的なものから相対的なものへと変容した。
現在円安によって多くのドイツ人が旅行で日本を訪れている。彼らはここで日本の文化に触れることになる。かつて茶の湯文化が象徴したオリエンタルな文化と歴史に対する西欧人の憧れを、富裕層や中産階級ではなく普通の若者も体現できるようになった。彼らは日本庭園で侘び寂びと出会い、神社へと続く石段で聖なるものの存在を感じ、マウントFujiの大きさを知る。
「日本茶の香味はまことにデリケートである。そのデリケートな香りは日本の風土、水、雰囲気のなかでしか味わうことができない」(p.201)
角山栄著「茶の世界史〜緑茶の文化と紅茶の社会〜2020改版3版、中央公論新社」
日本で飲む緑茶は絶品だろう。ドイツ人が知っているGrüner Tee (緑茶)とは比較にならない。これを彼らは実際に経験するのだ。
それまでほとんど外国人観光客のいなかった日本はここ十数年のインバウンド、そしてオーバーツーリズムで観光地は大変だと聞く。それでも若い世代が日本を目で見て肌で感じ経験することは、非常に重要である。
サブカルにおける日本のプレゼンスが低下している今、文化との出会い、再発掘意外に期待できそうなコンテンツを日本はあいにく持ち合わせていないように思える。だから僕は多くのドイツ人、世界中の人に日本を体験してほしいと思う。しかし忘れてはいけないのは彼らにとって、日本はアジア旅行の一つの選択肢であり、日本が特別な訳ではなく、タイや韓国、中国など、その他の素晴らしい魅力的な国の中の一つだということだ。おおよそ日本人が日本を特別だと思っていいことが起きた試しがない。
因みにプレゼンスが下がると普通の日常でどんなことが起こるのか。
まず日本に憧れる外国人が減る、当然日本語を学びたい学生も減る、日本人というブランドが通用しなくなりクラブでもバーでも街中でもモテなくなり、日本人だといことで礼儀を持って丁寧に接してくれる人が減る。
観光地の日本語音声ガイドや標記も無くなり、「なんや日本人か」と思われるようになる。
親日家、知日派が減ることは歴史問題や国際政治で日本が不利な立場に立った時に日本を擁護してくれる国や人が減る訳で、これは日本のマイナスの印象をさらに強めるきっかけになる。
今風の言葉でいうと日本を”推し”てくれる人が減るのだ。
そもそも日本では世界史でヨーロッパのことを学ぶが、ドイツの学校では東アジアのことなど学ばないから、地図上で日本を指してといっても刺せないし、文化や風俗も中国と韓国とごっちゃになっている。これがごく普通のドイツ人だ。
プレゼンスが下がるとそういう普通の中にさらに日本が埋もれる訳で、存在感が低下して特にいいことはないように思う。
僕はドイツ在住なのでドイツを例に出したが、だいたいヨーロッパはどこも似たようなもんだと思う。
日本を好きな外国人が減るということは、日本で生まれ育った僕にとって寂しいことだ。
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