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【青森への旅②】__奈良 美智 Miss Forest《森の子》との出逢い__

もうすぐ6月になる。

夏が近づくと、思い出す。あの照りつける太陽の下で出逢ったあの子どものことを、、。

思い出す度に胸をぎゅうと締め付ける、そして、なんだかたまらない気分になる。今この文章をしたためながらも私は自分の心が痛むのを感じている。

そんな、決して忘れられない体験___

それが奈良美智作・「森の子」との出逢いである。


ー”導かれる”ということー

平成28年度開隆堂出版美術1の表紙※1を堂々と飾る「あおもり犬」。

今回の青森の旅では、青森県立美術館にあるこの作品を見ることが一つの目的だった。


現在美術の授業で本教科書を使用しているのだが、実際に作品を見て、地域の暮らしと美術文化の結びつきという視点で、生徒に紹介しようと考えていたのだ。

その「あおもり犬」の作者、奈良美智といえば、反抗的な目をした少女の絵で知られる現代アーチストだ。

六本木の森美術館などで売られているグッズではよく目にしていたが、しっかりと作品を見たことはなかった。(実をいうと名前の読み方も知らず女性だと思っていた。)
そんな理由で、奈良美智という作家への自分の純粋な興味は当初薄かったかもしれない。

しかし、実際に彼の作品を目にして、あっと驚かされた。

まず、絵が大きい。そして、写真では解らないが、実物は色合いとタッチにえも言われぬ深みがある。

そして何といっても表情である。特に目が、何かをこちらに切実に訴えるような、それでいてどこか冷めたような、諦めたような、しかし反逆の意思も示しているような__。
見れば見るほど、様々な感情や意思が浮かんでくるような不思議な魅力に満ちた絵だ。

※2 「春少女」2012年

「あおもり犬」でも同じような印象を抱いた。どこか悲しんでるような、眠ってるような、安らいでるような。どちらとも捉えられる微妙なニュアンス※3をたたえていた。

※3見方によっては半開きのようにも見える独特の目元である。


奈良美智という作家に思いがけず興味が沸いた私は、その足で併設の図書室に向かい、彼に関する蔵書に片っ端から目を通した。(ここで彼の名の読み仮名がよしともであることを知った)
その中の解説の一つに奈良氏の作品群について、「孤独と赦し」という言葉が使われていた。この時、この言葉が妙に気になったのだが、これが後に点から線へと繋がる事になる__。

図書室を出て、最後に、彼のもう一つの作品「八角堂」へと向かった。


そこは、本館から少し離れた場所にあるらしく、八角堂に続く通路の方面は、人気もなく、がらんとしていた。順路に沿って進み、外に出た_。

そこは、ひときわ静かな場所だった。


悠々と雲が流れる青い空。土手の緑。無機質な壁。むっとした空気。

周りの気配が急に変わった。

ミィーミィーーーーと、ひっきりなしになく蝉の声が耳の奥でいやに響く。

急に、どくどくと胸が脈うつ。

__この感じは以前にもあった。京都の山奥に独り足を踏みいれた時だ。

自分の鼓動がやけに響いて、自然の音が妙に冴え渡る__。

目の前には、一筋の道があった。弧を描くように湾曲しながら建物の入口に向かってすぅーっと伸びていた。

誘われるままにゆっくりその線上を歩いていく。

建物を仰ぎ見ると、その壁は三重構造で、外側は灰色のコンクリート、内側は八角堂の名の通り、八角形の赤茶けた煉瓦のような材質に覆われていた。
上部の真ん中は吹き抜けのようで、何かの先端がほんの少しだけ顔を覗かせていた。

ただっ広い壁の中にぽつねんと空いた入口は、狭い、にじり口のような趣だった。


入口に着くと、ホーホケキョ、と何処からか鋭く鶯が鳴いた。

呼応するように、どくん、と心臓が鳴った。
_それは、何かを予兆するような合図に思えた。

実際、私はこの先に何か特別な出逢いが待ち受けていることを直感的に理解していた。

出逢いは突然やって来るものだ。

そして、時として、向こうの方から呼んでいるかのように、その身が機械仕掛けの如く引き寄せられていく事がある。

その時、まるで何かのエネルギーが体の内部に作用し、細胞がひらいていく感覚がする。
まるでこれから起きることを受け入れる準備をしているかのように__。

この現象は何とも不思議だ。頻繁にある訳ではないが、その度に驚かされるのだ。

同時に、この運命的な出逢いの最中において、私は自分の魂というものの存在を初めて感じる。
“生きている”、というほんとうの心地がする__。

そんな、一種の興奮を噛み締めながら、建物の中へ足を踏み入れた。

ー《 森の子》 “ 孤独”と“赦し”の象徴ー

そこには、左手上に向かって、暗く続く登り階段があった。

側壁には、20㎝四方ほどの小窓が等間隔に設置されており、外の草原の緑と鮮やかな青い空が覗ける。
しかし、外の光が内部に届く事は無く、閉塞感を拭うことは出来ない。

そのまま螺旋状に階段を登っていくと、そう遠くなく先の方にぼんやりと白い光が見える_頂上だ。ふっと、一呼吸おいて、その光の中に進むと____。

そこは、唐突に現れた吹き抜けの屋外だった。しかし、一切の解放感もなく、とび込んできたのは“顔”。

巨大な子どもの顔である。

「Miss Forest /森の子」2016年

圧倒的なブロンズの質量感。その外側を覆う、どろどろした凸凹のマチエール。
顔の大きさは私の身長程はあり、丁度自分の目の高さにその子の目があった。
本当に、真正面、視界いっぱいに迫ってくる。


暗い場所からぱっと出た所為か、それともその作品の圧倒的存在感のためだろうか。
一瞬目が眩み、そのままぐらっと倒れそうな衝撃を覚える。


なんとか其処に踏みとどまり、全体を確認する。

作品の高さは6m以上あり、見上げると先端に向かって細くなり、高くそびえる木のようにも、尖塔のようにも見えるものだと解った。

八角堂の吹き抜け部分の真ん中にそれは堂々と鎮座していた。


これが、高さのない、どんとした顔のみの彫刻であったなら__。作品の高さが入口の高さよりも低く、空間の隙間があったのなら、私はここまで、逃げられないような錯覚に陥っただろうか。

真正面の子どもの顔がこちらに迫ってくる。後ろは壁。八角形の狭い箱の中。嫌が応なくその対象と対峙させられる空間。

この身は完全に塞がれた___。

一体全体、私はその場から一歩も動けなくなってしまった。目瞬きもできない。
全身の筋肉が硬直したかのように、ただただそこに突っ立っている。


暫くそのまま作品に釘付けになりながら、ふと、
“なぜ、この子どもは、こんな閉ざされた場所で一人居なければならないのだろうか。”
そんなことを考えた。

その顔の肌はぼこぼこと荒れ、唇もかさかさ。
左目は、分厚い目蓋の皮膚が今にも垂れ落ちそうだ。
右目は、閉じているようにも見えるが、どろどろした丸い球状ものがあり、目を見開いてこちらを見据える瞳のようにも、泣いている滴にも見えるのだ。

厳しい自然に曝され、その重みに耐え続けているように見えるその子どもの姿に言い様もなく胸が痛んだ。

この子には、なんの罪もない。それなのに虐げられ、耐えている。そう思えた。
何だかやりきれなかった。あんまりだ、と思った。

いつの間にか、私の中にはっきりとした罪の意識が生まれていた。
静かに、しかし強烈に突きつけられた。

この子をこういう風にして置く、大人の責任と云うものを___。

恐らく、この顔が怒ったような表情であったら、このような感想は抱かなかっただろう。つるっとした綺麗な顔であったなら。


敵意など全く感じられない、穏やかな顔。ぷくぷくとした頬っぺたで、じっと此方を見て、あるいは沈黙して生きているあの子だからこそ、
私は__。



どれぐらい時間が経っただろう。

むっとした暑さの中。何度も、もう帰ろう、と思った。それでも、その子から背を向ける事がどうしても出来ずに、踵を返そうとしては止め、遂にはその顔の目の前の地べたに跪いてしまった。

項垂れながら、その頬に手を伸ばした。
しかし、触れなかった。彫刻作品だから、という意味ではない。自分が触れるのはなんとも汚らわしく、その資格がないと感じたのだ。


其処から動くことも出来ない私は、おもむろに寝そべり、空を見上げた。真っ昼間の太陽が陰っては照り、また陰り、また照る。雲が流れては止まる。
その様子をただただ眺めていた。
たまに立ちあがってはその顔を見上げては、また頭を垂れた。まるで謝るように。

___いや、実際、心の中で必死に叫んでいた。ごめん、ごめん、と。

そうして恐らく小一時間経った頃。ようやくその場を離れる時も、後ろ髪を引かれるように、必死で謝っていた。


何故だろう、この子の元から離れたくなかった。どうしても一人にしたくなかった。
出来る事ならば、ずっと側にいて、守って遣りたかったのだ。何から?どう遣って?

解らない。なぜそのようなことを思ったのかも解らない。しかし、とてもはっきりとした意思がそこにはあった。

私は、子を持つ親ではない。けれど、それは親が我が子に抱くような想いに近かったように思う。

もしかすると、この作品は、全ての大人の、子供に対する責任を問うものなのか___。


通路の途中で、未だ帰り難く、木偶の坊のようにのろのろと歩いていると、ふと前方から家族連れが来た。
無邪気にはしゃぎ回る子供のたちの様子。父母の元に駆け寄り、甘えている様子。
ありふれた、平和な光景。


の筈なのに、腹の底にずしんと来るものがあった。

何やら自分は、並々ならぬ重いものを抱えてしまったようだ。

子どもの未来に対する大人の責任。
そう云ったものと、今までしっかり向き合った事などなかった。自分一人ではどうにも出来ない問題だと___。

しかし、あの子に出逢って、もう目を逸らすことが出来なくなってしまった。
お前は何をやっているんだ、と頭の中でガンガンと警鐘が鳴っていた。

__ふと、先程目を通した蔵書の中の「孤独と赦し」という言葉が、自分の中でぴたっと結び付いた。

《森の子》は、どこまでも「孤独」だった。
青森の風に吹かれながら広大な大地の中にそびえる、孤高の存在___。この子は何も云わず、あの閉ざされた場所にただ静かに、座すのだ。一切のモノ が過ぎ去る中で。

どろどろとした重みに耐えながら、じりじりと焼けこげるような夏の日も、雨の日も、雪の日も、ずうっと、此処に居るのだ。

「赦し」は、私たちが知らぬ間に子どもたちに着せた重荷に対する、あの子がくれた赦し。汚い大人たちへの赦しかもしれない。


___それならば、私ができるのはその重荷を少しでも軽くする事だ。そして、あぁ、例えそれが出来なかったとしても。

あの子が雨に濡れていたら拭ってやりたい。雪に埋もれていたら払ってやりたい。
そう思うのだ。


これから先、未来や社会との関わりの中で、何もかも放り投げたくなった時___、北の大地で一人じっと耐えるあの子の事を思い出そう。

そして、踏みとどまるんだ。そこにはきっと、やさしい気持ちがうまれるから。



夕暮れ時、美術館の閉まる直前に、もう一度だけ八角堂を訪れた。昼間よりもいっそう人気のないひっそりとした場所。

薄暮の中で静かに佇む森の子は、微笑んでいるように見えた___。


【青森への旅③に続く】


ー引用元ー
画像:
※1https://www.kairyudo.co.jp/contents/05_kyoiku/support/zubi/img/b1.jpg

※2https://www.artpedia.asia/yoshitomonara/

ー美術館情報ー

青森県立美術館
http://www.aomori-museum.jp/ja/