#268【日記】フラとのご縁
今日もお読みくださってありがとうございます!
昨日NHK BSで、綾瀬はるかさんがハワイに行ったドキュメンタリーを再放送していましたね。
先日12月8日に、日本が真珠湾を攻撃してから80年を迎えました。
このことを思うとき、今、自分がご縁をいただいてハワイのフラを学ぶことができていることを、得難い奇跡のように感じます。
わたしは子どものころから友と師に恵まれてきたと自負しておりますが、大人になってから「ご縁をいただいた」と思うものってあんまりありません。
(不遜?でもだって就職も転職も自分で活動して得た結果だし、結婚もしてないしね。)
そんな中ではっきりと「ご縁をいただいた」と思っているのがフラです。
そのことと、それに対する感謝の気持ちをまとまった言葉にしたことがなかったので、今日はしてみます。
※何年習っても知らないこと・わからないことばかりで、フラまたはハワイ文化それ自体について何かを語ることは分を越えたことだと感じているので(事実そうだし)、フラに出会った「自分」のこと、「自分」の変化についてのみ書きます。
フラを始めたきっかけ
スポーツ教室のワンコイン体験会
2012年に地元に新しくできたジムで、オープン記念にレッスンがなんでもワンコイン体験期間というのがありました。
それまで運動習慣がまったくなかったわたしですが、これを契機にと思い立ち、エアロビクス、ステップ、ヨガ、ズンバ、キックボクシングなど、いろいろなものを体験しました。
このときの鏡を通して見るわたしの無様さと言ったら、ほんとうにひどいものでした。
エアロビクスもステップも、一回でも回転する動きがあるとついていけないし(先生のほうから目を離さないといけないし、一回転したら方向がよくわからなくなっている)、少し動きが長くなってくると全く覚えられません。
ヨガもズンバもキックボクシングもだいたい似たような状態でした。
でも当時のわたしはこの時間がとても楽しく、大切に感じていました。
「自分はたいそうな者ではない」と思い出せる場が欲しかった
当時、わたしはある危機感を感じていました。
転職して最初の職場では、何をしても「よくできる」「あなたはすばらしい新人だ」と言われました。
社内報の原稿執筆を引き受けたと言っては褒められ、採用希望者と若手職員の懇談会を引き受けたと言っては褒められ、挙句いつもシュレッダーのゴミを捨てているとか、床に落ちたゴミを拾ったとかで褒められていました。
確かにどれもこれもシステム担当だったわたしの職務分担ではないが、システムではまだ成果出してないのにそんなことで褒められてもなあ……。
しかし、『赤い蝋燭と人魚』の老夫婦のように、繰り返し繰り返し聞かされていることに人間は篭絡されてしまうものです。
こんな言葉を浴び続けていたら、いつか自分が勘違いしてしまうかもしれない。
そんな時こそレッツゴースポーツ教室。
無様な己を意識的に見るように努めていれば、おごり高ぶりなど起こりようもなかろう、そんな動機で、そのワンコイン期間さまざまな教室に顔を出していました。
当初、フラを体験するつもりはなかった
ほぼ毎日ジムに入り浸っていたら、頻繁に顔を合わせるようになった親世代の女性・クロさんから声をかけられました。
「フラダンス教室を体験してみたいのだけれど、ひとりじゃ心もとないから、一緒に行かない?」
スポーツ教室の中にフラダンス教室があるのは認識していたのですが、ずうずうしくも運動強度の強そうなものから試していたわたしは、クロさんから誘われるまで体験してみるつもりはありませんでした。
ご縁をいただいたと強く感じている理由はここにあります。
せっかく誘っていただいたし、なんでも試してみたいという気持ちもあったので、体験することにしました。
それが、今にいたるまでフラを教えていただいている先生との出会いです。
フラってこんなに美しいんだ!
思えばそれまでちゃんとフラをみたことがありませんでした。
そのレッスン場でみた先生のフラは、柔らかく優しいのにパワフルで力強い、観ているだけで心躍るような美しさでした。
体験してみると、ハワイの歴史・文化や歌詞の意味とともに振り付けを習うのはとても楽しいことでした。
先生が踊るとそこにハワイの洋上の明るい満月がたちあらわれるのに、わたしが踊ると日本の盆踊りのオカメにしか見えなくて、鏡を目にして「え、なんで?!」と吹き出してしまうありさまでしたが……。
その後、ワンコイン体験期間が終わったとき、わたしはエアロビクスやヨガではなく、クロさんとともにフラダンス教室に入りました。
上述の通り、ジムに通い始めた当初は、運動習慣をつけることと、戒めとして無様な自分の姿を見ることが主目的でした。
もちろん、フラダンス教室でそのどちらも達成できていましたが、そのうち、どうしたら少しでも先生のように、ハワイのダンサーのように素敵に踊れるようになるか、というふうにモチベーションが変化していきました。
また、フラでも回転する動きはありますが、エアロビクスのときのようについていけなくなることは減っていきました。成長!
なぜか周囲からディスられまくった
当時のことで思い出すのは、なぜか周囲からディスられまくったこと。
職場の女の先輩(当時30代後半)に、
「20代後半で新しい習い事始めるなんて、わたしにはそんな発想がない」
とか言われたり(そういわれてもこっちはなんて答えればよいのか)、
仲良しだった同年代の友達にさえ、
「この年で男のいない趣味始める意味は何?結婚捨てたの?」
とか言われたりしました。
え、ふつうにひどくね??
確かにいまだに結婚してないけど……当時の自分の人間関係泣ける。
12年経った今
フラは自分と向き合える時間
そこからなんと今年で干支がひとまわりしたんですね。
今では、モチベーションはさらに変化して、フラやハワイ文化に少しでも近づきたい、にじり寄って行きたいというチャレンジ、となっています。
また、フラを踊る時間は、なんというか、「その場所に戻ってくる」感覚があります。
ほかのことはとりあえずいったんわきに置いて置いて、「フラを踊る自分」に戻ってくるというか。
フラを踊ってみて初めて、その前の自分の状態がどうだったかわかる。
すごく元気がなかったけど元気出てきた、とか、頭ばっかり空回りしていたな、とか、ちょっと調子に乗ってたな、とか。
あと、前回のレッスンではこの振り付けの時にこんなことを思い浮かべていたな、というのがフラッシュバックすることもよくあります。そうすると、その時と今回との自分の内面の違いに気が付けたりもします。
仕事が忙しかったり落ち込んだりして全然集中できないときは、それはそれでそういうサインとしてキャッチできます。
それから、フラの音楽には自然や故郷、家族や恋人への愛を歌う歌が多く、踊りの中では、愛を存分に、日本人的な感覚で言ったら非日常的なほどに、表現することができます。
何かに対して、誰かに対して「あなたを大切に思う」と表現することは、同時に自分にも「あなたを大切に思う」と伝えることにつながる、ような気がしています。
上手く言えないけど。
内田樹師匠の文章で、映画で囚人が独房で壁に向かってひとりでキャッチボールをし続ける話があったけれど、それに近いというか。
なんともうまく言えないけど、総じて、自分と向き合う時間になっているように思います。
音楽に合わせて身体を動かす時間がもっとあっていい
また、最近オーストラリアのアニメ『ブルーイ』にハマってから、音楽に合わせて身体を動かす時間って日本でももっと身近にあってもいいよな、と思うようになりました(同作には大人も含めて踊る遊びをするお話がたくさんある)。
そう感じてからは、「音楽に合わせて踊ることができる曲がある」「身体にしみこませた・練習した音楽と踊りがある」ということがとても幸せなことだと感じるようになりました。
ご縁に感謝!
スポーツジムから先生のお教室にうつって、舞台で踊る機会や、ハワイでクムに学ぶ機会まで、始めたころには想像もできないほどたくさんの学びと経験をいただいてきました。
クロさんはお辞めになってしまいましたが、お教室の皆さんともそれだけ長いお付き合いになり、いわゆる「お友達」ではないのに、練習や舞台やハワイ行きと、多くの時間をともにし、ほかのどの人間関係とも違ってありがたい場所であります。
お声がけいただかなかったら、なかった経験。
これをご縁と言わずして何と言おう。
感謝しきりな12年目の暮れでした。