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村上春樹「街とその不確かな壁」感想文

ネタバレあるので、気をつけてください。
村上春樹「街とその不確かな壁」を読み終えました。発売日に買って少しずつ読みました。2部の途中からは一気に読み終えました。
 読み終えた後すぐに明確な感想が浮かぶような本は実際のところ、さほど人生に影響を与えないのではないかなんて思っています。

なので、ちょっとふざけた感じの一言感想として、引用させていただきます。

鼠の小説には優れた点が二つある。まず、セックスシーンの無いことと、

風の歌を聴け 講談社文庫 26P

 ちょっとびっくりしましたね。途中からはその点ばかり気になって、「え?まじでないの?」なんて思いながら読んでしまいましたね。最後は別に「してもいいんじゃないかな?」なんて思いましたが。

 終始、ファンサービス的な今までの集大成のようなそんな風なものを感じましたね。まるで「今までオレの小説を読んでくれて、サンキューな」って言われてるみたいな。だからちょっと寂しい気もしましたね。

イエローサブマリンの少年と意識化で語り合うシーンはビリーミリガンの人格が入れ替わるステージの概念を思い出しました。前回のnoteで「風の歌を聴け」の僕とネズミを解離性同一症ではないかと考察しましたが、自分にとっては、イエローサブマリンの少年と主人公が二人で一つというのは、僕と鼠の答え合わせのようなものなのかななんて感じました。

 今では世界線という言葉(ジョンタイターが使った言葉だったかな?)で、この世界はいろんな世界が重なり合ってできているという考え方が知られるようになりました。量子力学の多世界解釈にも通じるものがあると思います。
 村上春樹が描く物語には、多世界解釈のような世界観のものが多いように感じます。多世界解釈とはまるでSF世界のように思われますが量子力学的な解釈であり、むしろ物理的な認識よりも自然なものかもしれない。
 村上春樹の小説がトリッキーな小説であるにも関わらず多くの人に感銘を与えるのは、むしろ現代的な物理的解釈に疲れた人々にとって自然な世界のありようとして親しみを感じる世界観なのかもしれないと感じました。

2部の最後を読んでいた時に、あれ?これはハッピーエンドなのか。二人は永遠の世界で結ばれるということなんだろうか。それは村上春樹と直子(としていつも出てくる女性)のハッピーエンドなのか。なんて思いました。結局、そういうオチではなかったけれど、何か、そうなってもよかったんじゃないかなと思います。

時間が経つにつれ私の感想は少しずつ変化していくと思います。まるであの街の壁が少しずつ変化していくみたいに。

私はミュージシャンです、音楽聴いてください。


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