なぜマスオはサザエの家に上がり込んだのか?

なぜマスオはサザエの家に上がり込んだのか?
今回はこれを社会学的に考察したい。
そのため本稿では、当時の社会構造と規範を踏まえて考察する。

マスオが妻方同居をした理由、それは「サザエさん」で描かれる家族を理想的に見せるためである。

これを考える上で重要なのは当時の家族の理想像である。
実はこのころ家族像は大きく変動した。
その背景にあったのは、核家族世帯の増加である。
核家族世帯の増加ときけば、我々がよく耳にする「核家族化」、すなわち、従来の家父長的な夫婦と親世代が同居する世帯が崩壊して核家族となった、という理論だと解釈してしまうが、実際にはこの理解は半分間違いである。
たしかに、統計を見ると、1955年から1975年にかけて核家族率は約5%増加していることが分かる。
ただ注意すべき点は、従来の拡大家族世帯の世帯数は横ばいでほとんど変動がないということだ。
言い換えれば、従来の拡大家族が核家族化したのではなく、拡大家族は残ったまま核家族世帯が増加したのだ。

さらに、こうした背景には非常に単純な構造がある。
それは当時の世代は兄弟が多かったことだ。
長男が結婚して妻子と共に親と同居すれば、そこに次男三男が妻子を連れ込む隙間はなく、溢れた彼らは都会に越して核家族を形成するほかなかった。
そのため、核家族世帯は一気に増加した。
しかし、同時に、直系家族は存続したため、以前の家族のあり方、価値規範は強く根付いており、理想的な家族はやはり家父長的な大家族にあると感じられていた。

こうして矛盾する二つの構造が現れる。
つまり、量的には核家族世帯は増加しているが、それに相反して従来の理想的大家族像は残っているという二つの構造だ。
実際には、ほとんどの人が核家族に所属しながらも大家族への憧れは消えない。
かといって、しばらくの間、家父長的な家族観に接しなかったために、父の威厳と嫁の服従などの以前の価値観には少々の不快感を感じてしまう。
そのままの丸ごとの従来の家族観には抵抗があるのだ。
こうした感覚を見事に中和したのがマスオというキャラクターだ。
マスオはサザエを実家に連れ込まず、あえて転がり込むことで、彼らは大家族を演じながらも、嫁姑の醜い争いと父親のまさに父親らしいエゲツない一面を見事に隠蔽することで、まさに理想的な家族像を見せることに成功したのだ。
もし仮にマスオが妻方同居でなければ、サザエがカツオを追いかけ回す構図は見られず、反対に、マスオの母を追いかけ回すことになっていたであろう。
いやぁ見てられない。

したがって、当時の理想的な家族像を見事に再現したマスオの妻方同居こそが「サザエさん」ヒットの秘訣に繋がったのだ。
マスオ恐るべし!

今回参考にした文献は「21世紀家族へ[第4版]落合恵美子著」である。
本稿はほとんどこの本の切り貼りに近い形で書かせていただいた。
非常に面白い考察が並んでいる。
興味を持った方は是非チェックして欲しい。

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