哲学的に死にたい

私は哲学的に死にたい
哲学というものは一応言語的活動による抽象的な世界であるが、その言語行為を通して私は何故だか興奮してしまう。
なぜだろうか?
おそらく、哲学というものは、言語行為でありながら、言語行為から一歩抜け出すことができると感じるからだ。
言語を通して言語を超える。
それこそが哲学たるものの本当の美しさなのだ。
哲学の世界に埋没することは、哲学的世界で人生を全うすることは、すなわち言語を超えた何かを感じながら死ぬことを意味するのだ。
さあ、哲学的に死んでみよう!

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