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一昨日、朝に所用があったわけではないのに初めてゆっくりめの出勤をしてみた。
会社に着いたのが9時20分頃。
そして16時半頃に退社したので、出向元では厳密に言えば定時に遅刻し早退した…みたいな。
私の立場は出向元でもここ出向先でも時間で管理されることないので関係ないと言えば関係ないのだが。
ただ業務的に、と周囲の目とかも気にしながらやっていると、出向元では理由がないとそういった動きはしにくかった。早く出社している割には定時まで無理やりいてたりしてた。
もちろん、そんなことをしなくても誰も咎めたり詰めたりすることは一切ないが。
(今から思えば)逆に私がいない方が良かったかもしれないが、あまりに多くのことを相談され決断しなければならなかったため、そういうことはなかなか物理的にも出来なかった。
気がつけば私のスケジュールはすぐ埋まり、私が夕方以降の会議を嫌がっていたことが周知されていたので自ずと早朝に会議が入るとこが多くなっていた。

しかしこの出向先は幸か不幸かそんなに忙しさに比べたら雲泥の差。
もっとベタに言えば今までと比べて格段に時間にゆとりがある。
なので遅く来て早く帰っても業務に支障はない。
ただ周囲の目だけを気にしているのである。
そうは言っても時間管理されている社員が完全フレックス制なので何時に来ようが何時に帰ろうが自由でありコアタイムすらない中でそれはどうだろうか。
社員は1ヶ月を通じて決められた時間さえ働けば良いし、1ヶ月を通じてそれを超えた時間は幹部層以外は残業代として支給されるし、デイリーの残業時間は関係ないのだ。
そういうことなので一昨日みたいな私のような動きをする人も普通にいる。
だからこそ私がたまにそんなことをしても気にする必要はないのだが、そこは私自身、昭和的な気分の持ち主だからか、貧乏性だからなのか、なんかサボっているように思われてるのでは?と、勘ぐる。
実際にサボるとかは実態面としては誰しもあるし、私もある。
でも時間という外形上だけを見るとそう見えているのではないかと気にするのである。
しかしよくよく考えてみるとかつてと比較して私が部下から相談される事項が極めて限定的であり、通常時には彼ら、配下のスタッフからすれば私の「そこにいる」と言う存在価値は相対的に低い。
だからこそ適当に来ようが適当に帰ろうが、自分が気にするほど誰も気にしていないのだと思う。
と思えてきたので一昨日はそれを実行したのだ。
そんなことで「喧騒」されるようなことはもうないのだ。
むしろ「いざ」と言う時にどういうビヘイビアを取るのか、簡単に言えば「逃げず」に責任を全うするのか、だけを見られているのである。
「いざ」と言うピンチな場面はまだないが、組織の方向性は指し示してきた。
総論賛成だが、各論になると各自やはり抵抗し始める。それを今、こじ開けようとしているところである。

そんなこんななので、一昨日はそれまでの連日の「喧騒」から離れ早々に退社し梅田で軽く夕食を済ませ

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悪い癖で買い物までしてしまった。
と言ってもふるさと納税の返礼品の「鎌倉シャツ」のプリペイドカードが期限切れになりそうだったので無理やり感はあったが…

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火曜水曜と遅くまで京都で飲んだのでこの日はアルコール抜き。
しかもその翌日、いわゆる昨日は引越し以来、初めてお休みにした。
この会社で「初めて」の経験はずいぶんなくなってきて、ほぼ自分のペースというもので回るようになってきた。
1月の終わりに想像した京都大阪の生活。
ある意味イメージ通りのところもあれば違うところもある。
春を過ぎ夏を迎えるにあたってどう変わっていくのか。これもまた楽しみである。

まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️