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昨日もそれなりに会議が詰まっていて、それなりに忙しかった。

7時半に出社し、昨日2番目の会議の資料を自分で作った。
週次のミーティングで使うものだ。
先般、部下がフォーマットを作ってはくれたが、そのフォーマット自体、自ら手を入れ、そして中身も自分で放り込んだ。
たかがこれしきのことだが若い時、資料作成マシンと化して仕事をしていた時のことをほんの少し思い出して新鮮だ。
それに自分で作ると、わかったつもりのところがわかっていないことに改めて気が付いたりする。
やはり今までと立場も違うし、やることも違うけど、それはそれなりになんか楽しい。

それとは別に、朝イチに部下の評価に関わる重要な会議があったが、どんな仰々しいものかと思ったら、極めてざっくばらんな感じで拍子抜けした。
言い方は悪いが雑談レベル的な…。
やはり規模感がこうさせるのか、この会社の文化なのか、それで機能がワークしているなら、全然いい。
ある意味、面白い。

そして昼からは私が赴任してから初めてになる、重要な案件群を決議する会議で、これも出向元に比べれば(資料だけは多いものの)ざっくばらんなムードで結構言いたいことを言えてこちらも面白い。
出向者は私含め2人だが、業務柄、私の経験はここでは活きる?ので、私に対しては発表者は興味本位もあるのか、私がどんなリアクションを示すのかを見ているようだ。それはそれで本当に面白い。

会議とは別に、私のチームの雰囲気も少し変化が。
あれだけ静かで言い方はキツいが暗い感じでギスギスしてたのが、私のところに何か決裁をもらいに部下が来る時、私が軽口を一言二言、言うので、そこで(愛想かもしれないが)笑いが出るようになった。
なので、少し明るいムードが出てきたように見える。
なにせ今まで愛想笑いすら起きなかったチームだから。

全てが一直線で良くなっていくわけではないだろうし、私自身が楽しいことだらけになるはずもないのだが、今のところ、順調にきてるような感じがする。
皆が少しでも明るいムードの中、仕事に取り組めて、そして成果を上げてくれたらこれほど嬉しいことはない。
その糸口たるものがなんとなくだが見えてきた感じがするので、やり甲斐を感じてきた。

今回の事件で私の守備範囲も部下の数も大激減した。
外形上、飛ばされた感満載で、出向元にいる周囲は同情の目で見る人も多いと思う。
しかし当の本人はとっくにそんなステージから脱出し、今の仕事、今の生活を楽しめている。
今の職場は出向元とほぼ同業界であり、仕事のやり方や社内用語、課題が違うだけで、大枠の利益を出す構造は変わらない。
かつての私のポジションからして、出向先の人たちは私の言うことに聞く耳は一定程度は持ってくれているし、私も彼ら彼女らの言葉を素直に聞きやすいので、人物評価で嫌われなければ溶け込みやすい環境ではある。
そうは言っても誰1人として過去の私のことを知らない組織で働いているので、私の素の実力は試されるし、現段階ではそれでもやっていけそうな気がしてきた。
引継ぎの時は前任に細かい資料なんて自ら作るのはいかがかと苦言を呈していたが、やってみたら昔を思い出して意外と楽しかったりもする。
飛ばされなかったら、こう言う原点回帰的な仕事をもう一生しなかったかもしれないので、本当に転職しなければならない時になんかは、このような経験が生きるだろう。
そしてなによりも先般まで感じていた数字やその他諸々のプレッシャーから解放されたことは心にゆとりをもたらしてくれる。
前にも書いたが、今から思えばこの前までは、いつもいつもイライラカリカリしてたのだと思う。
それがなくなったのだ。
加えて、この職場の最大のメリットは何度も書くが完全フレックスタイム制だ。
かつての職場では「絶対的」超早朝出勤して「相対的」早帰りをしていて、結果、相応の時間を拘束されていたが、今は「相対的」超早朝出勤して「絶対的」早帰りができ、結果として労働時間は少なく、なにせ明るいうちに帰れる。
しかも京都でだ。
前回も書いたがこんな幸せなことはなかなかないのではないか。
なので
人間、何が本当の幸せかわからない。
日記を書き出した当初はこう思えるようになりたいと願ってはいたが、内心、こんな心持ちになれるのは相当、先だと思っていた。
しかし気付かないうちに既に心からそう思えている自分がいる。
「人間万事塞翁が馬」とは良く言ったものだ。
出向元の周りからしたら今回を踏み台にしてステップアップして東京へ復活しないとこの言葉を使えないと思われているかもしれない。
しかし私は私にとってあの不幸な出来事によって今、幸せがもたらされようとしているので、やはり「人間万事塞翁が馬」なのだ。
それとやはり「諸行無常」なのだ。
形あるものはいつか壊れる、永遠なるものはこの世にない。
随分前だが『風の時代』を教えてくれた親しき知人は逆に「形のないものは永遠に残る」かも?と言った。
私の本当の価値や私の生き様なんてものは会社にどんな仕打ちを受けようが変わらないし、大切な人を大切に思う気持ちも変わらない。
そんなことは他人が評価できるものではないのだ。

そんなことを思いながら常連化作戦?として先週金曜日に引き続き地元の餃子屋にまた行ってしまった(汗)

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旨い餃子を噛み締めながら、家路に着いた。

定点観測で毎朝毎夕、写真を撮っている近くの池だが、昨夕はまた雨が降り出したので時間の割に真っ暗だった。
それでもカメラ機能が売りのiPhone12ProMaxのナイトモードで、しかも手持ちで撮影すると、なんとこの明るさ、この画像。

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正直たまげた。
見るフィルターやレンズによって同じ風景でも違って見える。
人の評価も同じだよ、と言いたい。

まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️