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「俺のこと何も知らないくせに」 4年 松井竜豪

「俺のこと何も知らないくせに」

4年 法学部  松井竜豪

「竜豪って挫折した事なさそう」
ある日、友達から放たれた一言。
そんなわけがないだろ、俺のことを何も知らないくせに。

就職活動の時、「松井さんが人生で挫折した経験はなんですか?」
何度この質問を聞かれたことか。
そんなの一つに絞れるわけがない。
就活生として自信を持って話す自分と、それを客観的に見つめる挫折した当時のもう一人の自分。

自身のサッカー人生を振り返ると、何度挫折したことか。

小学生の頃は、自身の黄金期と言っても過言ではなかった。
自分の代では主将を務め、3つ上の代まで試合に出場していた。
チームの監督からは、「史上最高傑作だ」とまで言われた。
自由な環境で伸び伸びとサッカーをやり、自信に満ち溢れ、周りのどんな奴らよりも自分が上手いと信じて疑うことはなかった。
親や友達、周囲の人々から多大なる期待を寄せられ、それが嬉しかったし、自身も当然プロ選手になれると思っていた。

しかし、人生はそんなに甘くはなかった。

今でも苦しかった日々は、昨日の事のように脳裏に蘇る。

電話越しにFC東京のJrユースに昇格できないと告げられた日。
小学生最後の試合で鼻を骨折して救急車で運ばれた日。
骨折から復帰後、初めて三菱養和の練習に参加した時に同期と埋められない差を感じた日。
中学時代、久々に対戦した友達から「竜豪、お前サッカー下手になった?」と言われて、何も言い返せなかった日。
高校時代、レギュラーを勝ち取った矢先に足首の靱帯を断裂して、部活の同期が見守る中、人目を憚らず悔し涙を流した日。
全国大会の予選を1カ月後に控えたタイミングで2度目となる足首の靱帯断裂をした日。
なんとか復帰して出場した全国大会の予選、5人目でPKを外して負けた日。

挙げればきりがない。
小学生から高校生までで、数えきれないほどの挫折と屈辱を味わってきた。

もうこれ以上、サッカーを続けたら、今度こそサッカー自体を嫌いになる。
両足首の靱帯は切れ、テーピングを巻いた状態でなければサッカーが出来ない状態。
日常生活で普通に歩いていても足を捻るようになった。

もう十分頑張ったじゃないか。
もう潮時ではないか。
そう思った。

しかし、このままでは終われなかった。
終われるわけがなかった。

逃げることは簡単だが、何も成し遂げられないまま終わっていいのか、悔しいままでいいのか。
このままではサッカー人生に一生の後悔が残る、そう感じた。
だからこそ、大学の体育会サッカー部の門を叩いた。

正直怖かった。
また、苦しい思いをするのか、屈辱を味わうのか、怪我した瞬間の痛みとあの絶望を感じるのかと。

だが、それ以上に「後悔を残したくない」この一言が自身の背中を押した。


元日本代表の選手、全国屈指の強豪校出身の選手、プロ内定が決まっている選手など、エリートが集う環境での4年間は過酷ながらも充実していたように感じる。
1年で一番下のカテゴリーながら「10番」に選ばれ、主力選手としてリーグ優勝に貢献。
2年には上のカテゴリーに昇格して先発出場を遂げるなど、死に物狂いで喰らいついていった日々。
大学でやっと順風満帆なサッカー生活を送れる、そのはずだった。

が、ここで終わらないのが俺の人生。

大学3年の前期リーグ戦が開幕する1週間前に人生3度目となる足首の靱帯断裂。
更に、大学4年の同時期に、4度目の靭帯断裂。
試合中と練習中に足を捻って、その瞬間すぐに分かった。
何度も聞いた靱帯が切れた際のこの音、この痛み、そしてこの腫れ具合。

だが、もう涙は出なかった。
自身に対する情けなさや怒り、悔しさは当然あったが、自然と落ち着いている自分がいた。
これら全て含めて「松井竜豪のサッカー人生」という物語なのだと、そう思うことにした。

俺はずっと小学生時代の輝かしい自分、過去の栄光に縋って、理想の自分を追い続けていたのかもしれない。俺は、こんなものじゃない、もっと上手にやれる、そう思い続けてきたし、そう信じたかったのかもしれない。
下手な自分を認めたくなかった、認めるのが怖かった。
しかし、怪我をしては落ち込み、その期間に何度も自分自身と向き合った。
そうやって、何度も挫折を経験する中で、やっとありのままの自分を受け入れられるようになった。

等身大の自分を受け入れて自身と向き合い続けた結果が、最後の最後に報われた。
大学最後の引退試合、高校時代に立ちたくても立つ事の出来なかった聖地「西が丘フィールド」でゴールを決めた。


点を決めたあの瞬間のスタジアムの大歓声、叫びながら向かってくるチームメイト達、後輩たちの盛大な応援歌。

これまでの苦労はこの瞬間の為にあったのだ。そう確信した。

鼻を骨折しようが、足首の靱帯が切れようが、夢を笑われようが、悔し涙を何度流そうが、サッカーでゴールを決めた瞬間、試合に勝利した瞬間、仲間と喜びを分かち合った瞬間は、それら全てを忘れさせてくれる。

幼稚園から大学まで約19年以上サッカーを続けてきて、どれほどの挫折を経験してきたか分からないが、今まで続けてこられた理由が改めて分かった。

サッカー人生に一片の悔いなし。
心からそう言える。

これまでサッカーを通じて出会えた全ての方々に感謝します。
本当にありがとうございました。


両親へ

誰よりも俺がプロサッカー選手になることに期待をし、一度も信じて疑うことはなかった父。俺と兄の為に、休日の時間を割いてチームのコーチを務めてくれてありがとう。
いつも朝食や弁当を作るために、誰よりも早起きをして準備してくれた母。
怪我をした際には、病院や駅に何度送り迎えしてもらった事かわからない、ほんとうにありがとう。
俺も兄貴も中学から試合観戦に来ようとする二人を拒否してばかりですみません。
小学生の頃の輝いていた自分と今の自分との間にずっとギャップを感じ、そんな自分を受け入れられなかった。そんな姿を二人に見せたくないと思っていた。
カッコいい自分を見せたい、その一心でずっと頑張ってきたけど、ただがむしゃらにボールを追いかける、ただその姿を見せる事こそが、親孝行であったと今ではそう思います。
最後の引退試合、二人の前で最高のゴールを決める事ができて本当に良かったです。
幼稚園から大学まで僕のサッカー人生を支え、見守ってくれてありがとうございました。
これから社会人になり、少しずつでも恩返しをしていきます。

松井竜豪

◇松井竜豪(まついりゅうご)◇
学年:4年
ポジション:MF
前所属:都立駒場高校

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