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私の芝生は青かった

中央大学サッカー部4年 谷尾晟

練習の出来で1日のテンションが左右されることも、走りのメニューを気にすることも、夏休みのクソ暑い日の練習後に日陰でみんなと話すことも、もうないのか。翌日のためのストレッチもしなくていいし、外食しても何も気にせず好きな物を食べていいのか。

部員ブログを書きながら、ふとこんなことを感じる。
サッカーがないとめちゃくちゃ楽な生活になるな、なんて考えながらひどく寂しさを覚える自分がいた。普段は、本音を話すのが恥ずかしいから適当にヘラヘラしているつもりだけど、最後のブログくらいはほんの少しだけ自分にとってのサッカーを曝そうと思う。

2022年8月27日、大学サッカーの終わりまで約2ヶ月といったところで松葉杖をつかなければならないような怪我をした。

「ジョー大丈夫か?」
「ジョーくんいつ復帰?」

同級生や後輩が心配して優しい声をかけてくれる。それに対して僕は決まって似たような返答をする。悔し涙なのか、汗なのか自分でもわからないモノを必死に隠して、

「いや~もう無理かも」
「引退の準備でもするわ」

といった具合にヘラヘラしてる。本心は復帰することで頭がいっぱいなのに。なかなか治らない痛みに焦りと不安を感じているっていうのに。

ここで少し自分のサッカー人生を振り返る。

小学生の時、練習が嫌いすぎて、走るのがきつ過ぎて、何度もサッカーをやめようと思った。実際、1ヶ月以上練習をサボって友達と遊びまくってた時期もある。雨が降ると練習が中止になるから、学校で授業を受けながら窓の外ばかり見ていたし、ノートにびっしり「雨降れ‼︎!」なんて書いたりした時期もある。さらには、長期休みになると合宿がある。2週間前くらいから指を折って合宿までの日数を数えるくらい憂鬱だった。

それでも友達とサッカーするのは好きだし、一丁前に1人で公園にボールを蹴りに行くことも多かった。負けたくないライバルを常に意識していたし、試合に負けて泣くこともあった。

なんだかんだ中学生になると、環境もレベルもこれまでとは桁違いのチームに属することになった。
そこは3000mを最低でも12分で走ると言う基準があったけど、走るのがキツすぎてサッカーを辞めたいと思うくらいだから、体力なんてあるはずもない。最初の練習でGKの先輩に1周差をつけられて14分くらいでゴールしたのを覚えている。腹が痛くて、、なんて言い訳もした気がする。とんでもないところに来てしまったと思っていたら、結局中学3年間で3回坊主になった。だから僕の中学の卒業アルバムは坊主の写真だらけなのである。ここまでサッカーをやってきた人ならそれなりに辛い想いや、苦しい期間を過ごしているだろうが、中学生の僕にももちろんそれはある。練習に行きたくなさすぎて、駅のホームで何本の電車を見送ったことか、遊びに行く同級生を横目に何度泣いたことか。

それでも確実に強く、逞しくなった。今の自分のサッカーと自分という人間の基準を作った3年間だし、一晩じゃ語りきれないほどの思い出がある。初めて「チーム」と「仲間」を知ったし、楽じゃないサッカーの苦しさと面白さを知った。

高校でいい思い出はほとんどない。というか覚えていない。思うような結果が出なかった僕は、環境に甘えて逃げた。練習中は隙があれば時計を確認し、まだ15分しか経っていないのかと少しガッカリして、周りの様子を確認して合わせる。試合ではただミスをしないことが自分の中で良しとされた。上手くなったと実感することがほぼなかったこの時を振り返ると、なんとももったいないと思う。

それでもこの3年間のおかげで自分にとってサッカーとは何か、何を表現したいのか、何になりたいのか、改めて確認することができた。何より、今までのチームメイトや結果も出していないのに何故か自信満々な自分に負けたくないと思った。高校でサッカーを辞めようとしていた僕には、全国各地で結果を出している小学生の時のライバルに、中学、高校のチームメイトに負けない自信がまだあった。

そして今、大学サッカーで結果を出し早々にプロサッカー選手になることが決まった友人、すでにプロの世界で結果を出している友人、サッカー以外で結果を出している友人、と自分を比べ劣等感を感じる毎日。自分の理想と現実に悩まされる毎日。後輩や違う大学の友達にまで「また怪我?」と言われるくらい怪我ばかりだったことも悩みの種だった。

それでも、あれをやってみようと試行錯誤する日々を過ごし、自分のためにサッカーをする毎日は楽しかった。20歳を過ぎてからやっと自分の身体を動かせるようになってきたし、自分のサッカーはこれだよって表現できるようになったと思う。(だいぶ遅いかもしれないけど)

色々あったけど、自分に期待して、自分に落ち込む、そんな毎日は楽しかった。朝寝坊をして、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いて過ごす甘い日々もいいけど、なんだかんだサッカーと共に過ごした日々は最高だ。

なかなか思うような結果は出ないけれど、いいサッカー人生だった。などと言うつもりはないが、それをひっくるめて本当にいい時間だった。

そんな生活のまであと少し。
怪我から1月半が経った。もうヘラヘラして「いや〜、もうムリかも」なんて言わない。

僕の怪我を本気で心配してくれる人のためにも、僕の試合に声がかれるほどの大声を出してくれる人のためにも、僕の活躍を願ってくれる人のためにも、何より自分のためにも、僕の出せる全てを出したい。

と、ここまでが10月の上旬に僕が書いた部員ブログ。
意気揚々と最終節への意気込みを書いていたのだが、直前で原因不明の高熱が出たためにみんなより一足は早くしれっと引退が決まったのであった。曝け出したはずの想いをプレーで表現すら出来なかったことがひどく情けない。
体調管理には気を使ったいたつもりだし、本当にどこにも出掛けていないから普段なら熱を出すなんてことはなかったと思う。

このタイミングで体調を崩してプレーすらできないと言うことはつまり、神様が

お前は大した結果も残していないのに、感傷に浸って満足して引退なんかすんなよ

とでも言っているのではないか。割と本気でそう思う。

サッカー楽しかった、ありがとう、ラスト頑張ろう!みたいなブログの締め方をしてて、それは正解だと思ってたけど、本当は違う。
これまでの自分を愛おしく、懐かしく思っている場合じゃなかった。

結果の世界で、それを残せなかった俺は、
悔しくて悔しくて、人の応援を笑ってするほどの余裕なんてなくて、なんもやりきってなんかいなかった。

この気持ちは絶対忘れちゃいけない
って神様は教えてくれたんじゃないかな。多分。

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