「ありたい自分」、「なりたい自分」
中央大学サッカー部4年木村豪です。
このような機会を頂きありがとうございます。
今回は自分の考え方についてお話をしていきたいと思います。
まず、「ありたい」と「なりたい」は全くの別物であると言う事。この違いについて少し考えてみてください。
例えば、幸せになりたい、楽しい人生を生きたい。これらは「ありたい」に当てはまります。もっと簡単に言うと「ある」と言う表現は今の状態を指し「ありたい」とは自分の中に存在するものでり、自分でコントロールすることのできるものです。幸せや楽しいは自分が決める事であり感じるもので、要は自分が今どうありたいかです。
次に「なりたい」の例えで言うと子供の頃に考えていた、将来はプロサッカー選手になりたい、お金持ちになりたい、良いお嫁さんになりたい、これら全ては「なりたい」に当てはまります。「なる」と言う表現は未来の状態を指し「なりたい」とは自分の外側に存在するもので自分ではコントロールがしにくいです。プロサッカー選手はなりたいからと言ってなれるものではありません。
生きる上で「ありたい自分」とは自分軸。自分の考え、感情をもとに自分らしく生きる事。「ありたい」が自分軸であるのに対して「なりたい自分」は他人軸。周りや他人の評価を気にしたり人に嫌われないようにして自分の考えを持たずに生きている事です。
ここまで2つの違いについて話してきました。決してどちらが正解、不正解であるという話ではありません。これまで自分はプロサッカー選手「なりたい」だけを目指してここまでサッカーを続けてきました。間違いなく「なりたい」人生を自分は生きてきました。
しかし、この「ありたい自分」、「なりたい自分」と言う考え方を知ってからは自分の中で人生に対する考え方が変わりました。
本当に考えなければいけないのは「ありたい自分」であり、それと同時に「なりたい」人生を生きてきたこれまでに対して他人軸の人生であったと気づかされました。
その瞬間から本当の意味で自分の人生を生きるためには「ありたい自分」を持ち続け生きていくべきだと考えるようになりました。ここまで多くを話してきましたが自分は「ありたい自分」の先に「なりたい自分」があるとも思っています。でも、確実に自分の中で「ありたい自分」だけを考えるようになってからは本当の意味で自分の人生を生きているなと言う実感を持つことが出来ています。たった1文字しか違わない言葉なのにここまで人の考え方を変えてしまう、言葉の奥深さを感じながら自分の話を終わりにしたいと思います。
最後にはなりますがあくまでもこの考え方は一個人としての考え方に過ぎません。
そして、この部員ブログをきっかけに自分の人生とは何なのか、「ありたい自分」とはどんな自分なのかを考えるきっかけになればと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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