コンテンツに生かされる
心に留まったドラマや映画や小説の台詞は、可能な限り覚えていたい。
だからスマホにメモしたり日記やノートに書いて置いたり、録画を2度3度と繰り返し見たりして、登場人物が発した言葉を反芻する。
そうすることで、あるとき悩んだり迷ったりした自分のためになる。
高校生の時に読んだ漫画の言葉が私の就職活動の選択を後押ししてくれたし、大学生の時に観たドラマの台詞が、私の恋愛を何度も支えてくれた。
最近だって、好きな脚本家がつくった映画の描写が、私を私らしく居させる一端を担ってくれている。
みんな、そんなもんだと思っていた。
そうやって生活の後押しをしてくれる存在だから、コンテンツというものは永遠に発達し続けているのだと思っていた。本とかラジオとか、何十年も、あるいは何百年も昔からあるものが絶滅せずに残っているのだと思っていた。
けれどもある日、私が友人と話をしていた時のこと。
小さな悩みの話題になり、私はそこで自分がいつも支えてもらっている映画の台詞を話の中で出した。
すると前に居た友人に、「え、過去に観た映画の言葉を頼りにしているの?」と言われた。
驚きと謎の恥ずかしさで、私はすぐに言葉を返せなかった。
どこの誰が考えたかも分からない言葉を心の支えにしているなんて馬鹿げている。そんな仮説すら立てたこともなかったが、考えてみると確かにそうかもしれないと思った。
そんなことよりも自分のことを信じろよ、とも感じた。まったく信じていないわけではないけれど。
友人とそんなやり取りをしたのが半年ほど前。
結局私は今でも、創作物の台詞に一喜一憂しながら生活をしている。
一気読みした漫画の主人公に、全く立場も環境も違うくせに生きざまを真似ようとしてしまうし、今やっているドラマの台詞は毎話ノートに書き留めている。
結局、私を支えてくれるのは、言葉ばかりだ。
顔も年齢もよく知らない作家や脚本家の言葉が、顔や年齢は知っている俳優やキャラクターに乗って私の元に届く。そして私はファンになる。来週や次回作を楽しみに、それが無い時よりも少し楽しさが上乗せされて生きていける。
私は未だに、過去に観た映画や小説やドラマや漫画の言葉を頼りに生きている。
誰かからしたらおかしなことかもしれないけれど、私にとってはきっといちばん生きやすいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?