ラジオブーム
ラジオを聴くようになったのは、
コロナ禍、緊急事態宣言が発令されていた頃。
まだ1年しか住んでいない、
知り合いがほとんどいない、いても会えない独り暮らしの家の中、
私は誰かの話し声を求めるようになった。
ラジオに音質は求めていないから、きれいすぎないその声は
すぐそこで知り合いが話しているような気分になれて安心した。
散歩しかすることがない異常な日常で、ラ
ジオは散歩のおともにぴったりだということを知った。
ラジオを昔から聴いている人が羨ましいな、と不意に思った。
単純だけど、ラジオってなんだか楽しくて、気軽で、自由でおもしろいから。
小さい頃に出会うとしたら、
家族の誰かが聴いているとか、
好きな俳優やアーティストがラジオをやっていたとか、
そういうのがきっかけなのだろうか。
仮に上のどちらかなのだとしたら、私にはどちらもあったはずだ。
父は車で常にラジオを流していた。
けれども私は同乗するとき、自分で作った
お気に入りの曲だけが入ったMDをひたすらリピート再生していた。
そのお気に入りの曲の大半を占めていたアイドルグループの
メンバーの1人は、たしか文化放送でラジオをやっていた。
しかし私は、1回聴いて、最後まで聴ききれずに
そのまま二度と聴く日は来なかった。
大人になった今もう一度、自発的にラジオに出会いにいったから、これだけ好きになったのかもしれない。
しかし、「ラジオ」には飽きないものの、
同じ番組を何年も聴くことがほとんどできないでいる。
お気に入りの番組ができては毎週聴いて、
けれど数か月か半年ほどしたら、ぱったり聴かなくなる日が来る。
そんな自分を、少し恥ずかしく思う。
偉大な長寿番組を、私ごときが飽きているということに。
昔受けた編集の授業みたいなもので、
インタビュー相手のことをどれくらい調べたらいいですか?みたいな
生徒の質問に、先生が答えていた。
「相手が執筆している本を何冊か読みます。
何冊か読むと、『あ、これ知ってるな』という瞬間が出てくる。
そうなれたらその人の下調べが1周したと思っていい」
みたいな。そんなことを言っていた。
この時は、ビジネス書や自伝的な本についての話だったはずなのに、
私はそのあと、いろんな創作物に対して
その言葉を当てはめてしまうのだ。
好きな小説家に出会うと、何冊も続けてその人の小説を読む。
そうすると、いきなりぱったり読まなくなってしまう日が来る。
ラジオと同じだ。
勝手に飽きている。
勝手に「1周した」ような気分になっている。
自分が知っているその人なんて、全体のほんの少し、にも
満たないだろうのに。
いつどうしたら、ずっと飽きずにいられるようになるのだろうか。
私がもっと飽きない人間になればいいのだろうか。
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写真は最近食べた、東京駅のイワシマサラ
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