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ふるさとは今「ここ」にある

帰省ラッシュやUターンラッシュなどのニュースを見るたびに、「ふるさと」に帰る人たちをは大変だなぁ、と思ってしまう反面、なにか羨ましく思ってしまう…。

なぜならば、私のふるさとは、「ここ」だから。

三代住むと「江戸っ子」と言われるように、私は何世代も名古屋に住んでいる「名古屋っ子」である。

祖父母たちと一緒に住んでいるわけではないが、祖父母達も同じ名古屋に住んでいて、クルマで数分の距離しかない。ふるさとの風景を見るために、渋滞を数時間体験したり、乗車率が150%なんでいうことも体験したことがない。

ふるさとの懐かしい風景。のどかな風景。思い出の風景…。

私にとって、なにか非連続的な思い出がふるさとの風景ではなく、「いま」ここにある風景が、「ふるさと」である。

私と同様に、小中学生の2人の子供たちにとっても「いま」、「ここ」がふるさとである。

しかし、彼らが成人になって名古屋に居続けるのかは分からない。彼らにとって、この「ふるさとの風景」が、私と同じく、大人になっても連続的な思い出になるかもしれないし、非連続な特別な思い出になってしまうかもしれない。

どちらにしても、私は、「ここ」の「いま」の瞬間、この「ふるさとの風景」を子供たちと創り続けていきたい。

子供たちと「ふるさとの風景」を残すために、河原に行き、凧を揚げに行ってくる。
子供たちが一緒に遊んでくれる間は…。

いつまで一緒に遊んでくれるだろうか。
そこが一番の心配である。

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