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書類に恋した男

 探偵団の朝は早い。

 眠たくてすぐに落っこちてくる目を無理やりに開けながら、私、矢原草江は今、駅のホームでふらふらとしている。

 この時間ホームで安全確認をしている駅員の水谷さんは、はじめこそふらふら歩く私を気にかけて、今にもホームに落っこちるんじゃないかと目を光らせていたのだけれど、今では呆れ顔を向けて一言「今日も部活かいな」と馴れ馴れしい挨拶を交わすばかりであった。乗客のたくさんいる都会の駅とは違って、退屈な田舎の駅ではたまにこういうことが起きる。煩わしいなんて思わないよ、これも大事なことだ。市民を守る探偵にとって、情報網は多いに越したことはないのだ。

「探偵の朝は早いんだよ、おっちゃん。朝礼が八時半から。それサボったって一時間目が四十分から。今から活動したって二時間しかないんだ」

「探偵部が何なのかは知らんが、朝練じゃなきゃダメなんか? 毎回聞くけれど」

「そりゃね、午後も活動するけれど。ほら、朝ごはん食べて、カラダ動かしてんだよ、一番アタマが冴える時にやるのがベストだろー。あー眠た」

「全然冴えてないじゃないか……ところで探偵団って、そんな毎日依頼が舞い込んでくるもんなのか」

「んにゃ、事件は探すものよ。おっちゃん、事件ちょうだい」

「見ての通り、当駅は平和そのものだよ」

 水谷さんは言い終えると、ちょっと時計を確認してから駅舎に戻りかけた。が、扉の前でふと何かに思い当たったように立ち止まって、少し声を大きめにして聞いた。

「そういえば最近二丁目のコンビニで、不思議な奴がいるんだ」

 朝の教室はいつにもまして閑散としていた。いつもは部活サボりの男子が数人、こっそり持ち込んだゲーム機で協力戦をやっていたりするのだけれど、今日は私たち二人の独占だった。黒板は昨日掃除したばかりの綺麗な緑色で、私は謎の背徳を覚えつつ、端っこに小さく議題を書いた。

「書類に恋した男ぉ?」

 相棒の綾木依織は一番前の席で、単語帳の赤シートをひらひらさせながら黒板の字を読み上げた。現在団員は三人。他にも深雪という同小の幼馴染がいるのだけれど、違う学校に通っているので、めったな事件でない限り欠席だ。

「そ。そこの角曲がったところのセブンで度々目撃情報があるんだ。すげぇ怪しいやつ」

「草江の目にかかればなんだって怪しいからなー」

「そうさ、世の中は怪しいことで満ち溢れている。例えば勉強嫌いの依織が単語テスト終わった直後に単語帳開いてんのはどういう理屈か、とかね」

「赤点はステータスだぞ?」

「謎が一つ解けたわ。そう、その謎の男なんだけれどね――」

 事の始まりはこうである。
 駅職員の水谷義男は品行方正、家庭円満を絵に描いたような真人間で、仕事と家族を心から愛し、毎日仕事終わりに立ち寄る喫茶店と、週末息子を連れだしてのキャッチボールを心待ちにするような模範的小市民であった。しかしどんな人間にだって秘密の一つや二つはあるものだ。彼がここ数か月、最愛の妻にさえ黙っている秘密、それは彼にもう一人だけ、愛する女性が出来たことだった。
 鉄っ娘のリカちゃんである。
 鉄っ娘というのは去年からキャンペーンが始まった近隣私鉄のキャンペーンで、アニメ調の絵で描かれた女の子たちを各駅のキャラクターとして売り出すと言うものだ。リカちゃんは水谷が務める駅の公式キャラクターとなり、等身大のボードをはじめ、広報誌、啓発ポスター、ホームページ、記念切符、土産のパッケージと、目に触れる機会は着実に増えて行った。
 このリカちゃんがもし、ひらひらとした露出の多い服装をまとい、セクシーなポーズを決めていたならば、男は眉を顰めるばかりで「若いのは、こういうのがええんか」などと悪態さえついたかもしれない。けれども彼女は品行方正だった。彼の勤める会社の制服を見事に着こなして見せた。等身大パネルがお披露目となった時、彼の脳みその、海馬の奥の部分には、若かりし頃の大恋愛が鮮やかに想起された。かくして若者に鉄道への興味を持ってもらおうと始まった試みは、見事五十路の男の心を射抜いたのである。
 漫画と言えば手塚治虫しか知らないような水谷にとって、これは人生の大事件であった。彼は実直な男であるから、二次元への好意は別腹だと割り切ることが出来なかった。リカちゃんを愛することは、妻への裏切りであり、職場での許されざるスキャンダルであった。考えあぐねた末、水谷は彼女を高嶺の花、遠い存在だと言い聞かせるようにした。ちょうどキャンペーンは全国で話題に上るようになり、雑誌で特集を組まれるようになっていたから、彼は二十年続けた喫茶店通いを中断して、コンビニで立ち読みをするようになった。雑誌に載っているような子なら遠い存在と言えるだろうと、そういう理屈である。ちなみに妻も息子も、お父さんの隠し事をとうに知っているのだが、本人はまだばれていないつもりでいる。

 さてそのコンビニで事件が起きた。立ち読みするようになった彼は、月に一度か二度やってくるもう一人の男の存在に気が付いた。歳は三十代くらい、スーツを着ていて猫背気味。太い黒縁の眼鏡は年季が入っている。彼ももう一人の常連の存在に気が付いたのか、やがてコンビニに入るや水谷に会釈して、それから書類をコピーするようになった。
 はじめは気にも留めていなかった水谷だが、何度か会釈を交わしたある日、男の奇行に気が付いた。
 印刷し終えた出来立ての書類にキスをするのである。
 まるで寝ている我が子に鼻先を近づけるように、書類の隙間にやさしく口付けを交わす。それから大事そうに、わきに抱えた鞄にしまって、何も買わずに出て行くというのだった。

「ほとんど年甲斐のないおっさんの話じゃない!」

「私の調査能力をもっと褒めて。さあ!」

 依織はため息をつくと、持っていた赤シートを自分の瞳にあてがって言った。

「色眼鏡だよ。おっさん、自分が二次元に恋してるからそういう風に見えちゃうのさ」

「もちろん私だってその線は考えてる。なにも本当に書類に恋愛感情を持ってるなんて思ってないよ。問題は書類に何が書かれていたか、だよ」

 チョークを黄色に持ち替える。赤シート越し、依織の視線がチョークを追ってするすると動く。分かりやすい子だなと思う。御しやすいとも言えるかも。

「ちょっと想像してみよう。例えば願掛け」

「何か大事なプレゼンとか交渉があって、それが上手くいくようにってこと?」

「そう。自分が頑張って作った書類にキスをして、自分の頑張りを褒めてんのかも。ストレスコントロールで」

「なるほどねー。でも、それコンビニでやることかな。プレゼンの直前でよくね?」

「まあ、確かにね」

「例えばさ」

 今度は依織が声を出す。相棒はだんだん乗り気になって来たみたいだ。

「恋文とか、大切な人に宛てた手紙だったら? 遠距離の相手とか、故郷の家族とかに」

「ほぅ、依織ちゃんはロマンチストだねぇ」

「ちゃ、茶化すなよ……」

「でも、愛する人への手紙にキスするくらいの人ならさ、コンビニでコピーはなんかしっくりこないよな。手紙は手書き。便箋とかペンにもこだわってさ……」

「草江も十分ロマンチストじゃん。でもまあその通りだなぁ……」

 それからちょっとの沈黙。教室にはいつの間にやら人が増えている。クラスメイトは黒板に書かれた文字を興味深そうに眺めている。どうせなら坊ちゃんみたくでかでかと書けばよかった。「天麩羅四杯なり。ただし笑うべからず」。思いを巡らせたところで予鈴が鳴って、それと同時に担任の郷田が教室の扉を開けた。

「先月の単語テスト、赤点だったもの、欠席したもの、放課後追試をやるから残るように。綾木、お前のことだぞ!」

「はぁーい」

「なんだその返事は……おまえ先月もサボったろ! 今週末から期末だ。今日のところテストに出るんだから、ちゃんと残れよ! あと矢原も。最近成績落ちてんぞ。あ、ついでに依織に勉強教えてやれ」

 扉がピシャリと閉まると、依織は両手で頬杖をつきながら舌を出した。

「行くもんか」

「行けよ」

「あたしには書類男の方が大事だよ。午後、深雪も呼んで再検討だ」

 かくして捜査は午後に持ち越されることになった。

 学校から帰って一度着替えてから、依織の家の前で待ち合わせる。四十分ほど経って現れたのは、あからさまに不機嫌な顔をした依織だった。

「ばれた」

「はい?」

「裏口から回り道して出ようとしたんだよ」

「追試サボってか」

「そしたら腕組んで待ち伏せしてやんの」

「読みが浅かったな」

「くそ……あたしの大事な青春の時間が」

「追試ないのにここで待ってる私の時間は?」

 そんなやり取りをしているうちに、三人目の団員がやってくる。深雪は共通の幼馴染で、依織の家とは隣どうし。けれども遠くの学校に通っているから、いつも帰りは遅かった。

 綺麗に整えた黒髪に折り目のピシッとついた制服。世間離れしていておっとりした天然。いかにも清楚なお嬢様という感じで、バカな男の目に留まりやすいタイプ。

「ただいまー。遅くなってごめんねー」

「いいよいいよ、今来たところだから。依織は」

 依織の視線がささるのを感じつつ、三人並んで駅へと向かう。水谷さんに詳しい話を聞くためだ。道すがら深雪に顛末を説明すると一言「情報不足ね」と言った。深雪は探偵団のブレインだ。私立のお嬢様学校に通うだけあって頭もいい。ちなみに私は情報収集担当で、依織は鉄砲玉。

「その男性、月に一度か二度来るんでしょう。まず何日に来たかが分かれば、職種や書類の内容にあてが付けられるかもしれないわね」

「なるほど……たとえば?」

「月末ならば報告書、月頭ならば仕事に使う書類、みたいな。まだわからないけれど。それに学校や役所、会社なら自前のコピー機があるでしょう。どういう事情でわざわざお金を払って、コンビニでコピーするのかも気になるわね……」

「とにかく話を聞いてみよう。水谷のおっちゃんならもっと詳しく知ってるはずだから」

 駅に着くと、当のおっちゃんは表に出て煙草をふかしているところだった。隣にはリカちゃんの等身大ボードが微笑んでいる。

「おっちゃん、お似合いじゃない」

「何がお似合いだ……秘密にするって言ったじゃないか!」

「まあまあ、かたいこと言わずにね。今日は調査に来たんだ。今朝の、書類男の話」

「あー、本当に調査してるのか。それで、何が聞きたいんだ?」

 意外にも乗り気の水谷さんを前に、深雪が一歩、歩み出る。手にはペンと手帳。なるほど探偵らしい振る舞いだ。

「初めまして、岐波深雪と申します。早速なんですけれど、例の男性といつ頃お会いしたのか、お聞きしてもよろしいですか」

「そうだね、私がコンビニに行くようになったのは去年の頭くらいだが……彼は夏あたりから見るようになったね。基本的に毎月いるんだけれど、八月は見なかったかもしれん。七月と、九月十月、十二月には二回見たぞ。でも今月はまだ一回しか会ってないなー」

「ホントに毎月通ってるんだ……」

「なんか気持ち悪いですよ、おじさん」 

「馬鹿を言うな、毎月雑誌に載ってるわけじゃないんだから、リカちゃん。コンビニ通いがしみついて、関係ない雑誌も読むようになっただけだよ。釣りとか、ゴルフとか……」

「ホントにー?」

 私たちが茶化している間、深雪は淡々とメモを取って、再び顔をあげる。

「いつも何時ごろに来られるんですか」

「仕事終わってからだから、夕方ごろだね。何時かまでは憶えていないけれど」

「男性の書類はどんなものでしたか?」

「詳しくは見てないな。のぞき見も悪いだろう。でもそこそこの量だ。ありゃ二、三十枚かな」

「なるほど、ありがとうございました」

 深雪はどこか得意げな顔をしてお辞儀をする。

「真相が分かったら私にも教えてくれよ」と言って、水谷さんは駅舎へと引っ込んでしまった。



「深雪、何か分かったのか?」

「うー、もしかしたら学校の先生かも」

 幼馴染は疑問を消化しきれないと言ったそぶりで答える。

「先生?」

「うん。月に二回会った時期を見ると、中間テストや期末テストと被るもん。たぶんテストか、テストを作る資料を刷ってるんだ。何かの事情で学校のコピー機が使えなくてとか……」

「あれ、もしかして、うちの先生?」

 何かに気付いて、依織が言葉を挟む。そう考えると、私もいろんなことに憶えがある。

「学校から最寄りのコンビニだし……」

「九月の頭って、休み明けのテストやったよね。八月は夏休みでテストないし……」

「ちょっと待って依織。てことはさ、毎月来てるそいつって、毎月テストしてる……」

「郷田か!」

「ゴウダ? ジャイアン?」

「違うよ深雪、うちの担任で英語の先生だよ」

「ジャイアンというよりはスネ夫だ。態度はジャイアンだけれど」

「うちのクラスだけ毎月単語テストするんだよ……その、ちょうど三十人分」


 私たちは想像する。毎月のテストにやさしくキスをする郷田……

「な、なんかげんなりしてきた。鞄の中のテスト早く捨てたい……」

 深雪はそんな私たちにはお構いなしに、口先に指をあてて考え込むようなポーズをとる。

「でも、確かにキスの正体がわからんね……生徒への愛なのか、誰か生徒の中に思いを寄せる方でもいるのかな」

「え」

「え」

 私たちは顔を見合わせた。

 日の長さも少しずつ実感できるようになってきた夕方だ。街角にコンビニ。田舎らしく駐車場は広い。西日が少しずつ赤みを帯び始め、照らすアスファルトには影が三つ。

「くそ、来ないな、郷田の奴」

 担任の気持ち悪いシーンを想像したくない私とは対照的に、依織は鬼の首を取ったようなにやけ顔をしている。いったいどうしてそんな顔をするのだと聞けば、彼女は得意げに答えるのだ。

「何って草江、復讐のチャンスだぜ」

「ふくしゅう」

「そう。さんざんあたしを苦しめやがった郷田の、不順異性交遊だよ。不純な。異性の。交わり」

「交わりって言うのやめなさい」

「ここで現行犯をおさえれば、郷田はあたしに頭があがらなくなるでしょ。いや、むしろ泣いて詫びると見た。なんでも言う事聞くから公表だけは勘弁してくれってね」

「公表?」

「深雪は知らないか。たまに教室の後ろに、探偵新聞みたいなもの貼りだすんだ。いつも郷田にはがされるんだけどね。でも今回はスクープだよ! それであたしは言うわけ。え、今何でもするって言ったよねって。さて、何をさせようかしら……」

「素敵ね」と深雪。

「でしょう。素敵だろ、あたしの完ぺきな妄想」

 深雪は私の方をちらと見て笑った。

(私は馬鹿ねと言ったのよ……)なんて言いたげだ。

「それにしても来ないわね。ねえ草江、依織。その先生は本当に今日来るの?」

「可能性は高いよ」

 私は深雪に負けずと手帳をめくる。本当は確認の必要なんてないのだけれど。

「今週末から期末テストなんだ」

 私の言葉の終わらないうちに、依織が「あ」と小さく叫んだ。視線とピントを合わせると、見知った顔がコンビニへと入っていく。

「本当に来たな。これはクロ確定だろう」

 依織がほくそ笑む。郷田はまだこちらに気が付いていないようだ。スーツの内ポケットから財布を取り出し、慣れた手つきで硬貨を投入する。その様子は普段の郷田のイメージと少し違う。なんだかそわそわしているようだ。スマホを取り出し、番号か何かを入力して、読み込みを始める。郷田らしくない、優しい微笑みをたたえて、プリントしたての小さな一枚を取り出すと……

「ええい、もういいだろう、行くよ!」

「待って!」

 最初に飛び出したのは依織だった。つられて深雪が追いかける。私はどこか違和感を覚えながらも、後に続いた。

 男は、郷田高志は驚いたはずだ。
 仕事を済ませ、最寄りのコンビニに寄り、プライベートな時間が戻ってくる。手にした紙の、その先に見える少女の笑顔を見ると、自然に頬が緩んでしまう。と、真正面、ショウウィンドウのガラスを挟んだ向う側に、何やらニヤついている女生徒がいるではないか。

「お、お前……」

 女生徒は目が合ったと分かると、滑り込むように店内へと入って来る。

「見ぃちゃった、先生、その紙は何ですか?」

「おまえ綾木じゃないか。はよ帰れ」

「いやぁ、先生のこんな姿を見てしまっては、素直にハイとは言えませんねぇ」

「なんだその喋り方。演劇部だったか? お前」

「いいですか。未成年に手を出すのはね、犯罪ですよ。ハ・ン・ザ・イ」

 隣の立ち読み客がハッとして郷田を見る。

「馬鹿、めったなこと言うもんじゃない!」

「でもねえ、目撃証言があるんですよ。月に一度か二度、ここで大事な書類にキスする先生のね!」

「キス? 綾木……頭でも打ったか?」

 郷田の表情を見て、遅れて入った深雪と私は顔を見合わせる。深雪はなぜか余裕の笑みを見せているけれど。

「ちょっと、依織。なんか変だよ?」

「え? 何が?」

 あまり状況を飲み込めていない依織に、郷田はプリントした紙を突き付ける。それは一枚の写真だった。写真には未成年の女の子が一人、水着姿でこちらに向かって微笑んでいる。

「これ、は、先生。あの」

「娘だ。今日で五歳になる。かわいいだろ」

「娘」

「俺みたいな古い人間は、スマホに保存しておくのがどうにもおぼつかなくてな、消えてほしくない写真をプリントしてアルバム作るんだよ」

「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ。私の推理だと先生は写真じゃなくって、期末テストの原稿を……」

「はぁ? テストをコンビニで刷るわけがないだろう」

 しばしの沈黙の後、依織はゆっくりとこちらを振り返る。あ、助けてって言ってる。ごめん無理そうだ。深雪はというと、わざとらしくそっぽを向いて、口笛を吹く真似をしている。

「観念しな、依織。推理は外れた。すべては哀しい二次元デビュー親父の妄想だったんだ」

「そんな、あたしの復讐は……」

 それを聞いた郷田は、ついのさっきまで依織がしていたような意地悪な顔をして、わざとらしく言った。

「ほう、綾木、復習とは感心だ。どれ、先生が見てやるから明日から自習室に来な」

「あ? えっと、あたし門限が厳しくて……」

「お母様からは先日、厳しく指導してくれと仰せつかったところだ」

「ちょ、よせ、親は卑怯だぞ! いやだー!」

 郷田にしがみつき、引きずられながら店を出た依織を見ながら、私はぽつりとつぶやいた。

「深雪。あんたこの展開予想してたのか」

「あらどうして?」

「なんとなく。深雪は強かだから、気付いたら悪ノリするだろうなと思って。依織が慌てるのは面白いし」

「……水谷さんは郷田先生のこと、知ってたんだと思うよ。あの人、謎の男が今月は二回現れるのを知ってるような言い方してたから」

「そんなことで気付いたの」

「水谷さんだって毎日通っているわけじゃないんでしょ。それにいくら常連でも、何月に何回来たかなんて気が付かないわよ。きっとたまに見る郷田先生に話しかけて、草江達の担任だって知ったんだ。草江のことだからいつも暇がてら探偵ごっこの話をしていたんでしょう」

「そっか、郷田は郷田で探偵新聞見て、私らのやってること知ってたんだ」

「きっと興味を持って謎かけしてくれたんだね」

「ふぅむ……一本取られたなぁ……でも、書類にキスするなんて発想、どこから出たんだろう……」

「そうなんだ。私もそれが分からなくて……」

 ただ一つ残った疑問は、けれども突然に明かされた。

 私たちの目の前を、男が一人横切った。男はコピー機に向かうや、やはり慣れた手つきで書類のコピーを始めた。郷田の時とは違い、A4の紙が三十枚ほど排出される。男はそれを取り出し、コピー機の上に立てると。

「あ……」

 男は不揃いの紙の束の上に唇を当てる。

 ふっと息の音のするのが早いか、不揃いだった束は綺麗に高さをそろえた。深雪は腑に落ちたという感じで「なるほど」と呟いた。

 男のキスの正体は、願掛けでも故郷の家族への思いでも、ましてや告発すべき不純異性交遊でもなかった。

 単に紙の角をそろえたかったのである。

 

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●大学サークル時代、部誌 に載せた一作です。
●8200字(25枚)
●本作自体が別の作品のスピンオフなので、この三人にはもうちょっと色んな設定があります。もう何作か書きたいシリーズです。
●「邪悪も毒もない話だって書けるんだからね!」という気持ちで公開しました。
●感想など頂けますと飛び上がります。

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