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コロナ禍(コロナ化) COVID-19 の『本質』を考える(岩田健太郎)

本質の感染症』(岩田健太郎 著)の刊行を記念して、本書ボーナストラック「コロナ禍(コロナ化)COVID-19 の『本質』を考える」を期間限定無料公開致します。

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新型コロナウイルス感染症のパンデミックは「コロナ禍」であり,コロナ以前の時代と隔絶された,新しいコロナ以後の世界を作る「コロナ化」でもあった.その「本質」についてここで書き下ろす.これまであちこちで書いたり論じてきたことと重複する部分もあるが,エッセンスのところだけまとめてみた.

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新型コロナウイルス感染症の「本質」を語るということは,「他の感染症(あるいは疾患すべて)と新型コロナウイルス感染症との根本的な違い」を語るということだ.「差異」を語ることこそが本質を語ることなのだと思う.

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では,何が「差異」なのか.

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それは,コロナが「数」の感染症だということだ.

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もちろん,全ての感染症には「数」がついてまわる.しかし,コロナの場合には「数」こそが本質なのだとぼくは考えてきた.

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結核が1 例でも,100 例でも,結核という疾患の特徴は大きく変わらない.「数」は属性の1 つであるが,結核の「本質」ではない.

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新型コロナウイルス感染症が数例のときは,これはほとんど問題にならない程度の感染症である.診断も比較的容易,濃厚接触者の追跡も容易,隔離も容易,ほとんどの方は無事に治癒することであろう.

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しかし,大量の患者が発生すると,事態は大きく変化する.患者数が増えれば増えるほど「非典型的なプレゼーション」が増加し,診断は困難になる.無症候の感染者や,検査が偽陽性になったり偽陰性になるケースが増える.濃厚接触者も追跡しきれなくなる.隔離する場所もなくなっていく.医療機関や保健所にとって「少ないコロナ」はどうということのない問題だ.しかし「多くなったコロナ」は御し難いのである.

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もちろん,どんな病気だって大量発生すればしんどいに決まっている.しかし,ほとんどの疾患は急に大量発生はしない.たとえ感染症であっても,コロナのように無慈悲な増え方はしない.コロナは,対策を怠るとどうしようもなく無慈悲に増え,対策を取ればそれなりに減る.そのダイナミズムが他の疾患と桁違いなのだ.

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感染経路が限定的な感染症は広がり方も限定的だし,感染リスクも比較的容易に把握できる.典型的なのは性感染症だ.例えばHIV 感染については,日本では大多数の感染者がMSM なことがわかっている.性交渉なしでHIV 感染することは現在の日本ではとてもまれなことだ.また,HIV では「感染爆発」のようなことは起きにくい.介入のポイントはわかっている.

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コロナは重症者リスクこそ大小の差があるが,「こういう人は感染しない」という区分はほとんど存在しない.そこに感染経路が成立すれば,誰でも感染しうる.夜の街で感染が広がる.では,と夜の街対策をすると昼に広がる.若者に多いと言われて若者対策をすると,こんどは高齢者で感染が広がる.とにかく,「ここを叩けばいい」という決め手がない.日本のコロナ対策は基本的に「起こったことの後追い」なのだが,これだと常に後手後手に回るのだ.日本政府が後手後手なのは必然なのである.

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多くの門外漢が誤解している.「毎年インフルエンザで大量の患者が発生し,たくさんの方が死んでいる.でもコロナのように騒いでない.コロナはインフルのようなもの.騒ぎ過ぎではないか」という見解である.

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もちろん,この考えは間違っている.本稿執筆時点で,日本でも世界でもインフルエンザはほぼほぼ姿を消してしまった.ぼくはこの1 年間,一例もインフルエンザを経験していない(!).強力なコロナ対策は日本から,そして世界からインフルエンザを(それから他の呼吸器感染症や下痢症なども)ほぼほぼ制圧してしまったのだ.

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そのようなインフルエンザを制圧してしまうような強力な感染対策でもなお,コロナは制圧できない.そして,ちょっと油断するとすぐに増加してしまう.人の心を見透かしたように,油断したところで確実に感染が増加する.「ここは大丈夫」という場所はほとんど存在しない.

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コロナとインフルは同じようなものではない.インフルリスクを無にするような努力をしても何百万という人命が地球上で失われ,日本でも9 千人近くの死亡者が出ている(2021 年3 月時点).もし,我々が真摯にコロナ対策をしていなければ,(いつもの)インフルと(もっと巨大な)コロナの感染で,世界はもっともっと悲惨な場所になっていたであろう.

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また,コロナの重症患者の入院期間は,インフルのそれよりも長く,死亡率も高いことが比較研究でわかっている.本稿の目的はテクニカルな論文やデータの解説ではないので詳しくはメディカルトリビューンの「ドクターズ・アイ」の連載を御覧いただきたいが,要するにいろんな意味で「インフルとコロナは同列には扱えない」のである.ぼくは折口信夫の別化性能よりも類化性能を重視するほうだが,それでもそう思う.

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では,なぜかくもコロナが抑え込みにくい感染症なのかというと,それは無症候者や軽症者が多いこと,感染期間が長いこと,よって人がどんどん移動して感染を拡大させてしまうことにある.

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これだけ短期間に全世界に(南極にまで!)感染を広げてしまい,かつ,感染を広げる主体がほぼ人だけ,という事実は驚愕である.100 年前ならコロナはこんなに広がらなかったであろう.グローバル化した21 世紀の社会がSARS-CoV-2 というウイルスのキャラと見事に連動して現在に至るのである.そういう意味では,このウイルスの出現したタイミングは最悪であった.いろんな意味で人類史上最悪の感染症の1 つである.

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感染者の数をやたら増やしてしまうのがコロナの特徴なのだから,「死亡率が低いこと」はさしたる問題でない.分母が激増すれば,結局死亡率の低い疾患でも死亡者は増えるのだ.かといって麻疹のように激烈に増えるわけでもない.だから,世界中にコロナが広がるのだけど,かといって集団免疫が獲得されるわけでもない.実に微妙に,巧妙に,感染者は増えていき,しかし集団免疫はできず,分母の巨大さのために何百万も死亡者が出ている.しかも先進国で.考えれば考えるほどひどいウイルス感染症だ.

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診断についてコメントしておく.いつものことだが,時間的概念というものを無視した議論が多い.時間を無視した診断などありえないというのに.血液検査にも画像検査にも「時間」というファクターは入れられていない.それは「今,ここ」の時間性を無視した情報に過ぎない.検査で時間を加味できるのはモニター心電図など,少数の者に限られる.

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よく議論されるが,抗原検査にしてもPCR 検査にしても,例えば感染してから10 分後には陽性にはなるまい(もちろん,抗体検査も,だ).20 分後
にも陰性だろう.では,どのくらい時間が経てば検査は陽性に転じるのか.我々は発症直前,つまり感染してから1 週間前後くらいでウイルス量が最大となり,よってPCR が陽性に「なりやすい」ことはわかっている.が,目の前の人物が感染してから何日目なのかはほとんどの場合はわからない.全ての疑い患者に毎日PCR を繰り返すのも現実的ではない.

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よって,無症状の感染者の場合,検査の偽陰性は「原理的に」起きる.感染症学,臨床医学,診断学の基本中の基本だ.ここが理解できないならば,もうPCR の議論はしないほうがよい.たとえ,基礎医学領域でたくさんのPCR をやってきた擦れっ枯らしの「PCR のプロ」であったとしても,だ.実験室と臨床現場を混交している時点で臨床医学を語る資格はないのであり,それは昭和の時代の日本の臨床現場では通用していたのだけれど,今は通用しない.してはいけない.

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同様に,ウイルスが生きていなくても遺伝子のかけらがあれば偽陽性は起きる.実際に起きている.抗原検査についても同様だし,定性でも定量でもそうだ.

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偽陰性や偽陽性が起きやすい「程度」の違いはあるけれども,その現象は確実に起きる.これはすべての検査に共通したことで,例外はほぼない.これが理解できない人も診断を論じるべきではない.

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日本ではCt 値の閾値が―,という議論もほとんどナンセンスだ.確かに閾値の設定によって,偽陽性が出るケースは「ある」.が,めったにない.ほとんどはどのような閾値を使おうが新型コロナウイルス感染症を見誤ることはない.2 メートルの身長計を使おうが,10 メートルの身長計を使おうが,人間の身長はほぼほぼ正しく計測できる.「10 メートルの身長計を使っているから,実際にはキリンの身長を測っている」と主張するのが,Ct 値閾値→ コロナ幻想論者の正体だ.コロナを論ずるのは止めて動物園でキリンでも見物していたほうがよい.

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治療薬については何千という臨床試験が行われており,たくさんの試みがなされている.今のところ,「これだ」という治療薬はデキサメタゾンだけだ.

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トシリズマブはかなりポジティブなデータも出ているが,同時にネガティブなデータも出ている.複数のRCT でポジだったり,ネガだったりが繰り返され,メタ分析でフォレストプロットを作るたびにオッズ比が変わるような治療薬の本質は「効くか,効かないかははっきりしないけど,そのエフェクトサイズは大きくない」薬だ,ということである.敗血症性ショックのステロイドのようなものだ.こういう薬は激論を呼ぶが,激論を呼ぶという事実そのものがその薬の効果が「微妙(if any)」であることを示唆している.レムデシビルについても同様のことが言える.外来で用いる抗体療法なども同様だ.デキサメタゾンも死亡リスクは下げるが無にする,無に近くするわけでもなく,要するにCOVID-19 の治療薬に「決定打」はまだない.

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良い意味で予想外だったのがワクチンだった.まさか,これだけの短期間に複数のメーカーから効果的なワクチンが開発,承認,製造されるとは予想していなかった.ワクチンがコロナ問題の「ゲームチェンジャー」になる可能性は極めて高いし,ワクチン抜きでコロナ対策を論じることは不可能だ.

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アンソニー・ファウチが述べるコロナ対策にはビジョンがある.2021 年3 月に彼の見解が報じられていた.それによると,ファウチはワクチンのロールアウトを徹底し,集団免疫を獲得し,そしてコロナがスポラディックにしか発生しない,現在で言うところの麻疹や風疹やポリオのような疾患にしたい,というものであった.ワクチンによってウイルスを無化するのではなく,感染を無化するのである.現在の米国における麻疹や風疹やポリオの存在を考えるとすぐにわかるが,これは事実上の「ゼロコロナ」政策である.

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ただし,ファウチのビジョンには何点かのリミテーションがある.

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1 つは,SARS-CoV-2 に対する免疫の持続期間だ.すでにCOVID-19の再感染が発生することはわかっている.麻疹のようにはいかないのだ.感染後,半年くらいは時間が稼げるだろうし,次の感染のときには軽症化することも期待できるが,あくまでも「期待」だ.ワクチンについても同様で,現行のワクチンがどのくらいの長さ,効果を発揮するのかは現時点ではわからない.さらに,変異株の問題がある.変異株がワクチンの効果を減じてしまえば「ワクチンで集団免疫」という構想は破綻する.ファウチのビジョンはこうしたいくつかの「IF」を乗り越える必要がある.

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あと,日本には日本独特の問題がある.「群れの免疫 herd immunity」を作るには小児の免疫が欠かせないと言われる.よって,小児,若年者に対する臨床試験が現在進行中だ.おそらくは小児にも現行のワクチンは安全に提供できるだろうが,ポイントはそこではない.そもそも感染しにくく,重症化しにくい小児のコロナ.つまり,彼らにとってワクチンのメリットは大きくないのだ.ということは,可能性のある副作用のデメリットが相対的に大きくなるということを意味している.HPV ワクチンとは違うのだ.よって,小児・若年者へのコロナワクチンは「社会への奉仕」という側面が大きくなる.社会のために,個人が(ある程度のリスクを背負って)ワクチンを打つべきか.新たな倫理学的問題をここでは内包する.

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さらに,テクニカルな問題だが,日本の医師は,小児科医も含め,筋注に慣れていない.日本の予防接種制度が未熟なため,ずっと皮下注をデフォルトにしてきたためだ.筋注に抵抗感を持つ医者やナースは案外,多い.現在も筋注の問題点について議論が喧しい.三角筋への接種でもこんなに揉めるのだから,過去のトラウマをひきずる大腿四頭筋への接種はさらに揉めるだろう.小児へのコロナワクチンはちゃんと普及するだろうか.

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ぼくはBMJ にレターを書いたように,小さな区域で少しずつ感染対策で「ゼロコロナ」を達成し,それを広げていく地道な方法を取りたいと提唱している.ファウチのようにウイルスを許容し,感染を防止するのではなく,ウイルスそのものも阻害する方法だ.これはアフリカでのエボラ対策でも使われた.コロナは人の移動を止めれば感染の広がりは容易に抑えられるので,実現可能性は高いし,現に日本の「人の出入り」が激しくない自治体ではほとんどコロナは発生していない.演繹法的にも,帰納法的にも,そしてアブダクションを用いた考え方でも,セグメンテーションによるゼロコロナはポッシブル,かつフィージブルな選択肢だ.

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そして,その戦略はファウチのワクチン戦略とは矛盾しない.要するに,両方やればいいのだ.コンドームか,ピルかの議論は不毛である.両方やればよいのだから.というわけで,ぼくはファウチの戦略を是とし,かつ肯定的に受け止めつつも,セグメンテーションによるゼロコロナによりその達成はより早まるのでは,と考える次第である.

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とにかく.SARS-CoV-2 とは到底共存はできない.ウィズコロナは幻想である.これが現実だ.ウィズコロナをそれでも提唱する人は現実世界をちゃんと観察できていないか(こちらが圧倒的大多数),かなりなディストピアな世界を肯定している悲観論者であろう.

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いずれにしても,新型コロナウイルス感染症の正体は,ウイルスの属性だけでなく,人間サイドの属性が大きく寄与する現象の問題であり,人間次第でその様相は大きく変わるということだ.この本質に気づくのがまず大事.そして,どちらの方向に舵取りしたいか,我々自身が決めねばならないのである.その決断を,後世の人たちが評価する.

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我々は後世の人たちから称賛されるのか,恨みに思われるのか,嘲笑されるのか.それを決めるのも我々自身である.現世の人からどんなに悪しざまに罵られようと,それは大した問題ではない.価値ある仕事は常に現状の否定であり,既得権益の破壊であり,重力に魂を奪われた人々への抵抗だからだ.コロンブスも,ジェンナーも,ネルソン・マンデラも「今」からは大いに否定され,攻撃されたのだ.我々プロの感染症屋が気をつけなければならないことは,現在から攻撃されないことではない.未来の世代からがっかりされることなのだ.このことは絶対に忘れてはならない.(了)


◆◆◆書籍のご紹介◆◆◆

「本質の感染症」

岩田健太郎 著
A5判 188頁
定価2,420円(本体2,200円 + 税)
ISBN978-4-498-02138-9
近日刊行

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