「自己調整学習」と「自由進度学習」は両輪になるのか、という話。
小学校外国語教育とは、少し離れるお話を一つ。
みなさんは、「自己調整学習」や「自由進度学習」という言葉をお聞きになったことはありませんか? 前者の「自己調整学習」は最近、多方面で聴く機会が増えてきました。また、京都大学付属桃山小学校で教鞭をとられておられた木村明憲先生も、この自己調整学習に長年実践に取り組まれていました。
先日、木村先生の講演を拝聴することができ、大変、興味深く、そして何より「未来」を感じながら、聞かせて頂きました。今日のは、タイトルにある通り、『「自己調整学習」と「自由進度学習」は両輪なのか、という話」』で、講義の内容をリフレクションしながらまとめていきたいと思います。
これは、外国語教育に留まらない、どこか、今後の教育界の本質や本髄を貫く価値観に触れることができるかもしれません。未来的な話、ここで少しみなさんと一緒にしてみませんか?
「自由進度学習」とは?
私は、自己調整学習という概念に出会う前は、「自由進度学習」との違いや狙いの差をよく理解できていませんでした。以下、Copilot(Windows版生成AI)に「自由進度学習について100文字でまとめて下さい」、そして「自己調整学習について100文字でまとめて下さい」を比較して掲載します。(あくまでも傾向を知る、その程度でご理解ください)
Copilot:自由進度学習は、子どもが自分のペースで学習を進める形態で、特定の単元や無学年制で実施されます。教師は個別化・個性化教育の一環として、子どもの学習特性に応じた学習材や環境を整えます。また、自己決定や友達との相互作用を通じて学びを深めます
いかがでしょうか。文字面だけでは捉えにくいところがありますが、「個別に」「能動的に」「学習を調整」「自己決定」などという言葉が並び、どこか同じ景色に見えてしまうかもしれません。事実、学習中の2つのスタイルの子どもたちの様子に大きな差は見られないようです。
では、何が違うのか。
それは、こどもたちが「どのような願いや意図をもって、その時間の学習に取り組んでいるのか」、その目的意識だといえます。今回の木村先生の講義を私なりに咀嚼するなら「自由進度学習は手段」「自己調整学習は目標」だと捉えました。以下、まとめてお伝えします。
「自由進度学習は手段」とは?
自由進度学習時には、児童はひたすらに、個に応じた課題を様々な形態(グループ・協働・個人)で解決することになります。取り組む課題は様々で、指導者から出されている課題、プリント、タブレット教材、動画視聴、WEB教材など、、、それは様々です。先日拝見した授業では、塾講師のYoutube動画を見て数学をノートにまとめている子どももいました…。賛否は色々とあるかもしれませんが、この学習形態の裏側には、学習前に抑えておかなくてはならないことが2つあります(この2つは基本の2つですので、実施者によってそれぞれ差はあります)
①学習計画(どのように学習を進めるのか、学習前に計画するカード。学習パスポートとも。)
②振り返りカード(学びが終わった時の、自身の振り返りをまとめるカード)
つまりは「学習前」の計画、と「学習後」の振り返りが必要ということです。それはそうですよね、無計画に学習を進め、どこがゴールかわからずに進めること、それはかなり相当危険なことかもしれません。
この2つがあることで、学習における「信頼性」「計画性」も担保できる、私は、木村先生の講義をうけるまで、そこまでの理解でした。
しかし、ここで私はいい意味で裏切られました。ここまで私が提示してきた自由進度学習は、あくまでも、「手段」であり、この学習の先に、別の目的があるべきだ、ということです。つまり、その目的は「一教科一単元だけの学習に成果を出して喜ぶ」という短期的な目的ではなく、「VUCAの時代、予測困難な時代を学び生き抜く力を課題解決能力を育てる」という長期的な目標。それが「自己調整学習」だということでした。
「自己調整学習は目的」とは?
「自己調整学習」自体を定義することは、今やたくさんの実践事例がでているのでなかなか難しいところがあります。前述の定義の中にあった100文字定義だけでは、足りないところを以下、少し補足をしておきます。
Zimmerman and Schunk (2011)は、自己調整学習の基本の3本柱を以下のように提示しています。
動機づけ(やる気): 学習への意欲や興味を喚起することが重要です。適切な目標を設定し、モチベーションを高める条件を知ることで、学習者は自発的に学習に取り組めます。
学習方略(学び方): 学習方法を試行錯誤しながら把握していくことが自己調整学習の一環です。自分に合った学習スタイルを見つけ、効果的な学習方法を選択します。
メタ認知(客観視): 自分自身を客観的に見つめ、学習の状況や理解度を把握することが必要です。自己評価や進捗の確認を通じて、学習を適切に調整します。
つまり、この3つの方針は、特定の教科だけの同一単元内だけに発揮される力でないことは容易に理解していただけると思います。3つの指針は、単元・一教科・学期・学年という垣根を越えて、「生涯にわたって人生を学びぬく力」。まさにこの力を身に付けることが自己調整学習だと考えることができます。
では本題。「自己調整学習」と「自由進度学習」は両輪になるのか、という話。
ここで、ようやく今日のテーマの土台に乗ることができました。
まず最初に抑えておかなくてはならないのが、この2つの学習方略についてそれぞれ発案者とされる方がいらっしゃるということです。
「自己調整学習」は、1990年代にアメリカの教育心理学者であるバリー・ジマーマン(Barry Zimmerman)らによって提唱されています。そして、ドイツの教育学者ペーター・ペーターセン(Peter Petersen)が創始した「イエナプラン」は、自由進度学習の一形態として知られています。ペーターセンは1923年にイエナ大学に赴任し、大学附属の実験校で、学校教育についての彼の思想と構想に基づく実践を行いました。
つまり、それぞれの2つの価値観がミックスされている形で、令和の時代の日本の学校現場でこの学習方略が広く実践されている、と現状を理解できます。
それを踏まえて、今回の本題「「自己調整学習」と「自由進度学習」は両輪になるのか」を考えるなら。
「実態にそって」
どこか曖昧な答えになってしまい申し訳ないのですが、この二つを知れば知るほど、「実態にそって」使い分けることが最も大切なのではないかと感じました。また、どうもこの手の議論を所々で拝見していると、型に当てはめて価値観を共有しがちな現象(いわゆる思考停止状態)が往々に起こります。まさに日本人的な残念な思考。その方が、実践にむけるハードルが低くなり、取り組みやすいことになるからでしょう。「○○だから△△をすればいいのでしょう?」この△の部分に「自由進度」や「自己調整学習」を当てはめ始めると大変危険でしょう。一対一対応の価値観でこの方向に進むこと自体、この学びのスタートラインには立っていない、そう自覚することが大切だと思います。
つまり、「実態を的確に把握すること」そして「その実態に即したアプローチとして何が的確なのか」。これを見極める観察力が必要なのです。
最後に。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。後半は、価値観や教育観の話になってきたので、少し重たい印象になってしまったかもしれません。とにもかくにも、この「自己調整学習」と「自由進度学習」の関係性についての理解は、日々アップデートされています。私の知っている大学教授が「とかく生徒にまかせっきりの授業が最近広がっているけど、それはそれで危惧すべき状況もしれない」とつぶやいていた言葉が今も忘れられません。何が正解か不正解か、といった二項対立の構図でこの状況を理解するのではなく、2軸4象限やマトリクス的に多角的な視点で捉える習慣をしておかないと、まさに時代に取り残される「時代錯誤な教員」のままになってしまうのかもしれない。その危機感を最後、お伝えして今回のNOTEを閉じたいと思います。ありがとうございました。