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世界のうちに拠り所を得ることーbeing at home in the world

あちこちで見かける小さな雑な石仏たち。気に留めることもなく通り過ぎて…。

私の曾祖母は夫を見送ったあと出家したと聞いています。
曾祖母は、お大師さん(真言宗のお寺)の参道脇に不動明王の祠をたてました。わたしは幼い頃、そのお不動さん(不動明王の祠)でよく遊びました。お不動さんは、ちいさなお地蔵さんやらよくわからない石仏を誰かわからないけれど、捨てるように置いていかれ、だんだんと石仏の数が増えたそうです。この名もなき仏さんたち、何処から来たのでしょう。誰がどういう思いでこの仏さまを作ったり、誰がそばに置いたりしていたのでしょう。どういう経緯があって、もしかしたら持て余されたりした?からこのお不動さんに置き去りにされたのでしょうか。この仏さまたちはこの場所で、他の仏となかよくできて、安らえている(being at home)のでしょうか。

一生旅人という人ももしかしたらいるかもしれませんが、生きていくためには住まう場が必要です。すべての人にとってその住まう場がホームと呼べる場でありますように。
で、、ホームって何?

8月22日土曜日 
竹之内裕文著(死とともに生きることを学ぶ――死すべきものたちの哲学)7章 人間の生の拠り所としての「ホーム」――ホスピス運動の源流から展望する 
を読みました。
繰り返し出てくるこの「ホーム」という言葉。人間の生の拠り所という定義のもと、いろいろな考察が進められていきます。この章はボリュームもあったこともありますが、付いていくのが大変でした。この本ではこの章に限らずですが、普段何気なく使っている言葉のきちんとした意味について否応なく学ばされます。参加者の愚痴(ムズい!わからん!)もまぁまぁ多かったです(笑)

1.視点の変化ー「在宅」から「ホーム」へ
1節では著者の経験と視点の重なりから「在宅」で迎える「死」をホームという場、必ずしも自宅(在宅)とは限らない場へと、という発想から問題提起がなされています。
「病院で死ぬのはいや、家で(畳の上)死にたいわ」とあまり深く考えることなく交わされるこのような会話はよく耳にします。でも実際にその時を迎える時、わたしたちはほんとうにその時にいる家で死にたいと思うのでしょうか。

「ホーム」とは大切な人たちと共にあり、同時に、自分なりの生活が尊重される場所、それゆえ居心地がよく、安らぎが感じられる場所

2.なぜ「在宅ケア」なのか?ー7「在宅医療・介護安心二〇一二」を手がかりに
この節では、日本の政策としての在宅ケア推進について、論拠などをつまびらかに整理しながら、その中での見落とされている(私達が気づくこともできない)問題についての鋭い指摘がなされています。
在宅ケアを推進することは国民の意識調査から得られた在宅死を望む傾向、「国民の希望」と医療介護費用の増大からのコスト削減という財政的な要請に基づいている。が、しかし在宅死と施設(病院)死との本質的な違いについてきちんと考えられていないことや、在宅ケアが割安であるかどうかについても安い労働力に担われること、もしくは家族の無償でのケアに頼るものであるとして、それでいいのかということ、そこを解決していった場合にコスト削減されるかどうかの吟味も曖昧であるとの指摘をしています。
「ホーム」が1節で定義されているようにいわば人間の生の拠り所であるとするなら、すべての人のあらゆるライフステージにおいて「ホーム」が必要なのではないかということになります。
「在宅ケア」という考え方から「ホームケア」という考え方にどうすればシフトできるのか。
この節で、在宅ケアに関わる仕事をしている参加者が看取りの時期の関わりの経験から当事者ではなく、関わっている医療者の考えが優先される現状があり、大変モヤモヤしているとの発言がありました。

3.人間の生の拠り所としての「ホーム」ーホームとケアの関係をめぐって
この節で、さらに「ホーム」の概念を掘り下げます。
東北大震災の被災者が奪われた「ホーム」は、土地というものも含まれていきます。地域やコミュニティはその人のアイデンティティと不可分であり、ホームはそれらも含有するもの、、、というふうに読み取りました。そこからまた哲学的な難しい概念「世界内存在」というものに掘り下げられていきます。「ホーム」が単に「拠り所」ということのみならず、そこで生きることが始まり、ケアすることされることを通して、人間である/になる、ための場としての「拠り所」。そういう意味合いを含む「世界内存在」。
being at home in the world ということ。
むずかしいです。

4.死にゆくすべての人に「ホーム」をーホスピス運動の思想的源泉をたずねて
著者はさらにホスピス運動に迫るために北アイルランド、アイルランドに訪ねます。ホスピス運動は節のタイトルにあるように、ホームを死にゆくすべての人に与えることを目的にしているのだそうです。
その歴史や、現在のホスピス施設への訪問の記述が多くなっています。知らなかったこと、そしてそれまで口にしたこともまぁまぁある「ホスピス」の意味についても学びが多かったです。
この節で出てくる文言はわたしのように医療や福祉に関連した職種の人にとっては聞き馴染みのあるものが多いと思います。わたしにとってその文言はどうも身に添わず苦手で使いづらいと感じるものが多いです。例えば「共感」「尊厳」「権利擁護」などです。
その中でもわたしが一番苦手というか嫌いだった言葉は「尊厳」です。これは本当にこの業界に溢れている言葉ではないかと思いますが、調べてもよくわからない言葉です。
ですが、この本で著者は明確な定義をしてくれています。
「尊厳」とは「各個人の固有の価値を尊重すること」
わたしにとって、今まで見た「尊厳」の説明の中で一番わかりやすい説明でした。著者が訪れたホスピスの医長に「このホスピスで一番大切にしているホスピス・スピリットはなにか」という質問をしています。医長は「わたしの場合」という限定つきで「個の尊重」と答えているのです。わたしは「尊厳」の意味を納得した上で見たこの答えに感動しました。ちゃんとつながっていると思えたからです。
さて、「尊厳」の意味に初めて納得感が得られたわけですけれども、喜んでばかりではいられません。わたしはこれ、やはりできていない!と思うからです。その人の価値を大切にしているか。どう考えても「ダメよ~、ダメダメ」です。(古っ!)
というような焦燥感に襲われつつ読み進めました。

5.ホスピス・コミュニティを拡充するー運動の終焉と課題の継承
更にホスピスのコミュニティとしての働きについて書かれています。
ホスピスは死期の迫った人が人間らしく生きられる場「ホーム」を提供したわけだけれども、それは彼らと共に生きるチャレンジでもあったということ。それはコミュニティであるからこそと読みました。

死にゆく人はコミュニティを必要とする。コミュニティからの支援、交友関係、ケア、配慮は、死にゆく人たちの苦悩や恐れを鎮め、安らかに逝くことを可能にする。コミュニティは、永遠にかかわる事柄について考えるため、また他者に聴き、他者に与えるため、死にゆく人を必要とする。

ホスピスではそのコミュニティ全体がその人を助けているのであり、そこに属している人はそれぞれがその持ち場でできることをすればよいのであるという考え方はとてもいいなと思えました。このあたりでの参加者の方々の感想は、「社会全体がこのようになればいいのに・・・でも周りを見渡せば、私利私欲にまみれている人ばかり・・・やっぱり無理よねぇ・・・」でした。う~ん、そうなのか。残念だけどなんともならないのかという気持ちです。

6.ホスピス・スピリットを受け継ぐーこれからの「ホームケア」のために
このような著者の経験によるホスピスの有り様、ホームケアの価値から、日本のホスピス・緩和ケアの抱える問題について考察が進められています。
いくつか挙げられていますが、その中でもわたしたちがあまり意識せずにやってしまっている、「日本人」という括りです。本質主義という言葉も始めて見ましたが、ほんとやたらわたしたちは「日本人は」「日本人として」。とか言ってますよね。
「日本人の」と括るとき、相手を「理解する」ことや、「考える」ことを放棄している・・・本当にそうかも知れません。

ホームの確保はあらゆるケアの土台にかかわる。高齢期や終末期に限定される課題ではない。わたしたちは、人間的な生における「ホーム」の位置について理解を深め、人生のあらゆる局面・段階で「ホームレス」状態を無くすという社会的課題に取り組まなければならない。

わたしにとって「ホーム」とは。そしてわたしは今、「ホーム」が与えられているのでしょうか。
わたしの曾祖母さま、「ショウさん」という名です。ショウばあさまにとってお不動さんがホームだったのかな。
今日は関西の地蔵盆の日。毎年、お不動さんでも地蔵盆をやっています。でも今年はコロナの影響で地蔵盆は自粛だそうです。今日親族だけ少し集まってお不動さんのお参りをしました。ショウばあさまにわたしは会ったことないけど、会いたかったです。

**いよいよ終章を読みます!!

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次回のお知らせです。
9月26日(土)18時からデイサービスぐらんどにて、たもとの会第9回をやります。
竹之内裕文著(死とともに生きることを学ぶ――死すべきものたちの哲学)終章  死すべきものたちの哲学――死とともに生きるための実践する 
を読みます。この本をこの回で読み終えます。
著者竹之内裕文氏が来神してくださる予定です。なので一時間早く始める拡大版です。今回はこれまでご参加してくださった方、及び申込みをされたことがある方に限定させていただきたいと思います。
参加費 500円 懇親会を行います。加えての参加費は1000円程度の予定です。
お問い合わせ、ご参加のご希望は メールでお知らせください。
ますいよしえ:g3u@outlook.jp まで。

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