日大運動部不祥事に感じる日本式義務教育の恐ろしさ

 日大の運動部でまた胸糞悪い不祥事が起きた。抑えようとしても、怒りが込み上げてくる。ただ、私が怒りを禁じえないのは、世間の批判が集まっているであろう、非人道的な指示をしたり、行為をした組織の上部にいる監督・コーチに対してではない。私が腹立たしいのは、黙って非人道的な指示を受け入れて、何の罪もない学生を傷つけた実行犯であるアメフト部員であり、黙って何本もの爪楊枝を刺されたラグビー部の学生の方である。

 前回のアメフト部の不祥事は、監督コーチの指示により、何の罪もない対戦相手の学生に下手をしたら一生歩けなくなるような負傷を脊椎に負わせたと言う事件。そして、今度はラグビー部のコーチが部員の頭に何本も爪楊枝というより串と呼んだほうがいいものを刺したり、蹴ったり、殴ったりしたのを他の部員達もそして恐らくは刺された学生自身もその場では声を上げずに刺されるがままに刺されたという事件。

 腹立たしいのは、赤ん坊や幼児ならともかく、江戸時代ならとっくに元服を済ませ、現代法の下にあっても、立派に成人と認められている人間が、黙って監督・コーチの非道に付き合い、許した点だ。  

 彼らにはDignity=尊厳はないのであろうか。大学生にもなって、自己判断力の一つも育っていないのだろうか。どうして、最も人生で体力があり、しかも名門アメフト部やラグビー部に所属するほどの身体能力を有しながら、非力な老人であり、人数も遥かに少ない監督・コーチの非道を許したのか。命じられただけで、ロボットよろしく殺人未遂の罪を犯したのか。彼らの意気地なさに憤りを感じる。後から謝って済むならそれこそ刑務所は要らない。

 楊枝を頭に刺して来たら、私ならその手を振り払う。それでも刺して来たら、間違いなく殴り飛ばしていただろう。私は体も小さく、体力もない。だが、負けるとか勝とか考える前にそうしていたと思う。その結果、たとえボコボコにされても、最後まで殴り掛かったと思う。体が傷つくより、頭に爪楊枝を刺されるのを許すと言う自己の尊厳が傷つく方が遥かに痛く、嫌だからだ。卑屈になるのが何より嫌いだからだ。

 上司であるたった一人、二人に対抗するのに、部員全員で当たらなければ何もできなかった屈強な若者達に憤りを覚える。日本国憲法を読んだことがないのだろうか、基本的人権という言葉も知らずに大学生になったのだろうか。

憲法第十三条には「すべて国民は、個人として尊重される」とある。爪楊枝を頭に刺されることは個人として尊重されることだろうか。どうして、彼らは個人として尊重されない、尊厳を傷つけられる行為を黙認したのだろうか。個人として尊重されることを明記する憲法はその前の第十二条でこう言っている。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と。

監督やコーチ、会社の上司など権力者達は権力を誇示し、その権力に平伏す人々の姿を見て、自分の権力を確認するのが大好きだ。そうやって、社会的承認を確認し、安堵する。人は一度その味を覚えると止められない。一本爪楊枝を刺させてくれたら、二本も大丈夫だと思うのが人である。自ら下した命令が理不尽であればあるほど、それに服従する人間を見て、自分の権力に酔いしれ、承認を受けたと安堵する。だから、彼らを増長させてはいけない。自らの尊厳は、自由と権利は自分で守れと憲法は教えている。安倍政権が理不尽だと思えば、最低限選挙で落とさなくてはいけないのである。

 そう、彼らは自分の基本的人権を保持する努力を忘れたのである。権力者の前にひれ伏したのだ。だから、私は彼らにこそ憤りを感じる。そして、そう言う人間に彼らを育て上げた日本の義務教育に怒りを禁じえない。

 義務教育で一番教えられるのは、「先生の言う事を聞きなさい」と言う事だ。決して、「正しい言葉には耳を貸せ」ではない。「先生の言う事を聞きなさい」には、自己判断は一切入っていない。「先生が正しいかどうか」自己判断せずに、先生の言葉を鵜呑みにして従えと教え続けるのだ。これは、本当に恐ろしい洗脳だ。僅か6歳から10数年、「上の者には従え」と洗脳され続けるのだ。自己判断は放棄しろ、善か悪は考えるな、有無言わずに上司に従えと。

 その結果生まれたのが、日大のスポーツ部員達である。同世代の若者より力も強く、屈強な体を持ちながら、それに見合った屈強な精神は育てて貰えなかった。だから、貧弱なジジイの言葉に従ったのだ。同年代の人間が彼の頭に爪楊枝を刺したら、彼らはどうしただろう。きっと、刺してくるその手を振り払った筈だ。だが、上司であるコーチが刺して来たら、振り払えなかった。上司には従えと教えられてきたからだ。

 スポーツ系の学生は就職に有利だと言う。それは、上司に逆らえない、都合のいい、自己判断力の無い人間だからだ。そして、彼らは自分が上司になれば当然のごとく、部下に権力を振りかざし、理不尽な命令を下す人間になるだろう。彼らが受けた教育が彼らがそうなる様に彼らを育てのだ。根拠も言わず、ただ命じる。日本のあちこちで見る光景だ。

 日本の会社が世界で一番生産性が悪い事は良く知られている。その根本原因は、何故を問う事を忘れ、誰も欲しがらない、つまりは誰も金を払わない商品・サービスを作り続け、理不尽にも売れと言われて売るからだ。「売れないモノは売れません」と言う営業マンは多分干される。それを当然と思う人間しか生まない義務教育システムだからだ。

 この無批判精神は、コロナ禍でも発揮された。法で規定されずとも、飲食店は営業を止め、人は街に出ず、外気の下で、付近に人もいないのにマスクをし続ける。コロナにはこの唯々諾々とした義務教育が育てた自己判断欠乏症の人々がある程度功を奏した。

 だが、この自己判断欠乏症の人々は、敵がコロナではなく、政府が敵だと言えば、戦争に行く。その結果が先の大戦だ。誰も、戦争反対と言わなかった。憲兵の前に反対と言えば隣近所のおじさんおばさんに殺されたからだ。きっと、日大の学生達は立派なオジサンオバサンになるだろう。だから、胸糞悪くなる程、この事件が腹立たしい。

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