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『地球にちりばめられて:多和田葉子』を読んだ

気になった箇所・フレーズ

・自分の国が無くなるということを考えたことがあったか?少子高齢化で勢いは無くなりつつあるが消滅することまで想像したことがない。

・Hirukoが作った人工言語「パンスカ」、うスカンジナビアの人なら大体理解できるらしい。人工言語としてはシャレイア語は聞いたことあるけど、言語を作り出すのは難しそう。無から有にしているわけではないけれど。(どちらももともとある言語や文字を使っている)

・「復興という言葉を聞いて、みなさんは何か恐ろしさを感じませんか。壊れたものを元に戻そうとするのは立派なことです。でも復興という言葉は、どこかひっかかりませんか」
地震大国日本ではよく聞かれる言葉だからか、何もひっかからなかった。良いイメージしかない。

・「オーデンセに棲息。」
パンスカの表現面白いな。熟語の方が意味合いが多く含まれるから表現できる幅が広いのかも。

・「自分はなになに県人です、と言わなければいけないという規則ができた」
自己紹介くらいでしか今は言わないけど、どんな理由で決まったんだろう。自分と同じ県人しか信用できなかったとか?

・「バルト海のサーモンを食べると生殖能力が異常に刺激され、鮨屋から家に帰ってすぐに性交したくなるという噂もある。」
現代でもそうだけど、他の国の文化や慣習を聞いて想像を膨らませることってあるよね。知らない国のことならなおさら、尾鰭はひれが付いて思いもよらぬ方向に広まっていく。

・「絵筆はムンクなど天才が手に持つべきもので、普通の人間が絵を描くのは恥ずかしい、そもそも美術は手先の器用さとは関係がない、上手い下手ではなく、描くことを天命と感じない人間は描くべきではない、と人々は考えているようだった。」
芸術というものに対して、ハードルが上がっているように感じる。なぜ文字は書けて、絵は書けないのか。なんなら文字だって書き方によっては芸術だろう?

・「わたしの生まれ育った国では、かなり昔からすでに性ホルモンがほとんど消滅していた」
日本人であろうHirukoの発言。どうやって繁殖し続けていたのか?培養とか出来るようになっていた?それなら子孫がいなくて国が滅びることらなさそうだよなあ。

・「あなたは何を故郷と呼ぶのですか。」
ただ長く住んだ場所よりは、思い出がある場所?思い入れのある場所じゃないと故郷とは呼べないかな。

・「抱きしめられたみたいに身体が暖かくなった。」
大好きなクヌートから話しかけてもらったアカッシュの気持ち。分かる。何気ない一言で心が満足するんだよな。

・「世の中の不平等を自分から感じたいと思っていた二十代初頭の私には願ってもない話だった。」
若い時の苦労は買ってでもせよとは言うけども。本当に進んで欲しがる人がいるとは。

・「まるで俺の身体をエスキモーと書かれた膜が包んでいて、外からくる視線は膜の表面でとまってしまい、誰もそれより奥に入ってこられないみたいだった。」
外見や人種でこうと決めつけられてしまっている。自分もしているつもりはないが、無意識にしてしまっているかもしれない。

・「オリジナルが消滅した後は最上のコピーを捜す以外に方法はない」
こうなってくるともはや、何がオリジナルで何がコピーか分からなくなってきそう。コピーと気づかず、それかオリジナルになっていくのかもしれない。

・「メカがチュンチュンでやばい」
不意にきたこの表現、ほんと好き

「冷たいロボットの顔だと思っていたカルメンの顔には、人間くさい羞恥や期待や驚きや同情からくるゆがみがあった。オレはカルメンが急に嫌になった。」
susanooの若かりし頃の経験談。ロボットのような冷たさに美しさを見出していたのだろうか?カルメンは嫌な女だ。

・「僕はその人差し指と中指の間にそっと舌を差し込んだ。」
最終章でいろんな伏線回収がされてきて忙しい中でなにやってるんだ、クヌート。

・「それなら、みんなで行こう」
俺たちの冒険はこれからだ!感がするまま、物語が終わった。

感想

海外に行ったことがないので、日本語が通じない、日本語が周りにないという状況に置かれたことがない。日本に来たばかりの外国の方が戸惑う様子だと思えば想像しやすいのだろうか?
ら抜き言葉とか新しい造語とか、今生きている中だけでも日本語は変化し続けている。日本が無くならなくても、今使っている日本語は移り変わる中で無くなってしまうのかもしれない。
そう考えると、普段何気なく使っている日本語に愛着を感じるように思われる。

パンスカの表現が実用的でありながら、今の私たちからすると奇妙にも、可愛らしくも受け取れる不思議な言語だった。

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