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子育て中、心の支えにしていた言葉

こんにちは。最近、ゴボウご飯にはまっている、なかだいらです。
今日はこれまで発達障害の子供たちを育てる中で、こころの支えにしていた言葉や気づきを得た言葉を備忘録として書いておこうと思います。

本人や周囲が困っていたら「障害」。困っていなかったら「個性」。
私の人生のテーマとして「普通って何だろう?」という問いがあるのだけれど、それに関連して「障害」と「個性」の違いについても、たくさん考えました。
この言葉はもう誰からいつ聞いたかも忘れちゃいましたけど、いまでもたびたび思い出して立ち戻る軸になっています。
上記の観点から考えると、我が家の長男と次男は小学校の頃はその特性が「障害」になっていたし、成人した現在はちょっとやっかいな「個性」と言えるかな~と思います。

発達障害のひとにとって分かりやすい工夫というのは、発達障害のないひとにとっても分かりやすい工夫になります。
これは物の捉え方に偏りがあるひとにとって、視覚的なサポートや分かりやすい導線づくりなど、環境を整えるための本に書いてあった言葉です。
障害のあるひとのためにわざわざ特別なこと(障害のないひとにとって無駄で邪魔なこと)をするのではなくて、結果的にみんなにとっても分かりやすく暮らしやすい環境になるよという意味があります。
「障害」「障碍」「障がい」と表記が分かれるところではありますが、そのひとが生きていくときに困ることがあるということは、そのひとにとって社会の中に障害となることがある、と私は考えるので、「障害」という字を使います。社会の中にある障害を取り除くことができれば、みんながハッピーになると思っています。

軽度発達障害にとって、現在の支援は「大きすぎる靴」と「小さすぎる靴」。
この言葉は2005年頃に参加した、発達障害に関するシンポジウムの中で出会った言葉。発達障害の中でも軽度の子供たちにとっては、「普通学級」も「養護学級」もどちらも合わず、適切な支援が受けられない状態を表したものです。
うちの子たちの特性で苦労したのは随分昔の話なので、いまほど発達障害に関する書籍もなければ、周囲がADHDという言葉を耳にすることもない時期でした。
小学校に診断書を持って相談に行ったときは「初めてのことなので対応が分からない」と言われました。先生たちと一緒に、子供たちに何ができるか模索する日々でした。
2021年の現在は、当時に比べ情報や支援がだいぶ得られる時代になりました。

障害は「可哀想」なわけではない。ちょっと不便なだけ。
これは障害のあるスポーツ選手がテレビのインタビューで言っていた言葉。
もともとヘレン・ケラーの「障害は不便だが不幸ではない」という言葉もありますね。
目が悪い私が眼鏡をかけるように、みんなの不便さを補う環境を整えられればいいよねって思っています。

自立とは、
1. ひとりで遊べること。
2. 複数で遊べること。
3. 自分の身の回りのことができること。
4. 自分が生活するためのお金を稼げること。

発達障害の育児に関する冊子で見かけた言葉です。
これも我が家の子育ての軸にしていて、プラスで
5. 18歳になったら独り暮らしを始めること。
というのも独自で加えています。
実際のところ長男は家から通える大学に進学したので22歳まで同居していたし、次男は16歳で家を出たし、想定外のことはあるけどねー。
ちなみに自分だけでは不可能なことについては、それを支えてくれる先を手配できていれば、自立と言えると思っています。

生まれてくるときに、ちょっと変わった車を選んだだけ。乗りこなすのにコツがいるけど、みんなが行けないところまで行ける。
これは誰に聞いたか忘れてしまったけれど(私の思いつきかも)、子供たちに伝えるときに時々使う言葉。私たちはみんなが普通にできることがなかなかうまくできないけど、特性を活かせばかなりユニークな人生を歩めるので、自分をダメだって思わないで欲しい。価値があると思って欲しくて、大事にしている言葉です。

「兄弟みんな同じように育てているのに、どうしてこの子だけうまくいかないのでしょう」というお母さんがいますが、子供はみんな違うから、兄弟みんな違うように育てる必要があるのですよ。
次男の診断で訪れた筑波大付属病院の宮本先生に言われた言葉。
長男の子育てに苦労したので、発達障害について若干の知識を得た我が家でしたが、次男に同じ方法を試しても全然うまくいかなくて悩んでいました。
特性が違うならこちらの関わり方も変えないとダメだよねって、初歩的な気づきでしたが当時の私には目からウロコの一言でした。

愛情が不足しているわけではない。お母さんはちゃんと愛情を持って子育てしているし、しっかり愛情を注いでいる。けれど子供が受け取れるカタチで渡してやらないと、子供は愛情をキャッチできない。
これも宮本先生の言葉。
次男とは愛着形成もうまくいっていなかったので、私の愛情が不足しているのかと思っていました。そうかそうか、彼が分かりやすいカタチで示してやれていなかったんだな、ということが分かって、救われた気持ちになりました。私は会話による表現やコミュニケーションを重視していたけれど、次男は言葉の処理が不得意だったので、ベタベタ甘える方が大事でした。

「それは治るの?」
こころの支えとは違うけれど、病院で診断名がついたことをママ友に伝えたときに言われた言葉。
もちろんママ友に悪気はなかったし、言われたこと自体は大して問題ではないのだけれど、このひとことでたくさんのことを考えました。
果たして「治った」先に何があるのだろうと。
もともと自分が子供を持つ前から、自閉症などの子供たちが見ている世界をとても素晴らしいと思っていて、いまの社会で生きていくのはとても大変ではあるけれど、彼らの世界を大事に守っていきたいと思っていました。
「発達障害が治った」としたら、それってどういう状態なんだろう。
「普通」になるということなのかな。「普通」って何だろう。
私は子供を「普通」にしたいのかな。などなど、考えました。
またひとそれぞれ「障害観」というものがあるのだということも理解しました。障害に対する知識や先入観、向き合い方はひとそれぞれ。
ママ友は本当に発達障害を知らなかっただけで、私が困っていることを感じて「それは治るの?」と、かけてくれた言葉だったと思います。
それと同時に、ひとは「分かり得ない」ことがある、ということも学びました。
障害観と関係することですが、どんなに説明しても「分かり得ない」ということはあるので、発達障害について誰かれ構わず話すことは控えた方がよいと学びました。
諦めたというニュアンスではなくて、あえて発達障害について知らなくてもよいひとに、積極的に話していくのは自分のエゴかもしれない。相手に申し訳なかったなと感じた出来事でした。

注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供が宿題を忘れずに提出するまでには数えきれない苦労がある。
・授業中、宿題が出されたことを「忘れる」
・黒板に書かれた宿題を連絡帳に書くのを「忘れる」
・宿題を書いた連絡帳を学校に「忘れる」
・家に帰って連絡帳を見るのを「忘れる」
・宿題をやるのを「忘れる」
・宿題をやったノートを家に「忘れる」
・学校でノートを提出するのを「忘れる」

NPO法人えじそんくらぶ代表であり、ご本人もADHDである高山恵子さんが講演会で話していた言葉。
もう「あるあるあるあるっっ!」と激しく共感しながら聞いたお話しでした。
私も小学生の頃から忘れ物がクラスで1番多く、先生からもよく怒られていていました。「どうして忘れるの!???」と言われるたびに「忘れるから忘れるんだよ……」と内心思っていました。
「何回言ったら分かるの!??」と、たびたび言われたけれど、「忘れるな」と何回も言うよりも、忘れないための支援(環境づくり)が必要だったと感じています。
ちなみに私も大人になってからADHDの診断を受けています。

親でなくても良い。大人がひとり、しっかりと見守ってくれているだけで、子供は自分の道を見つけて人生を歩みます。
聖徳大学のオープンカレッジで発達障害について学んでいたときの言葉。
海外の研究で子供たちの成長を長年に渡り記録した結果、分かったことだそうです。自分の子供に対してそうでありたいと思うし、そういう大人が増えるといいなと思って記憶に残っています。

大人が余計なことをしなければ、子供はきちんと育ちます。
これは自然の中で子供たちを自由に遊ばせるレクリエーションインストラクターの言葉。色々な年齢の子供たちを見ていると、高いところから飛び降りる際も、子供たちは「飛べるかな?」「いや、まだ無理だ」「僕なら行ける」と自分の感覚を確かめながら行動している。大人があれこれ先回りして口を出すことで、子供たちの感覚が成長しなくなる。というお話しでした。
大事なことだよな~と思って、心に残っています。
ただ多動や不注意が強い子の場合は、気をつけて見守らないといけないですね!

例えばもし何かの拍子にあなたがひとを殺すことがあって、世界中のひとがあなたの敵になったとしても、私だけはずっと味方で、どうすることがあなたにとって最も良いか一緒に考えるから。
私が高校生の頃、母から言われた言葉です。
肝心の経緯を忘れてしまったのだけれど、八方塞がりになっていた当時の私はこの言葉でだいぶ救われたのでした。
世界中の親が、子供にこう言ってあげられれば良いのにな、と思ってます。

わぁ、長文になってしまった~。
まだまだ出てきそうだけど、今日のところはここまで!

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