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少子化と私たちの幸せと

生理が来ると、今回も授からなかったという落胆と、どこかほっとした気持ちの両方が出てくる。

先日、2022年の子供の出生数が80万人を切ったということが話題になっていた。少子化対策として補助金などが検討されていて、もちろんお金はあるに越したことはないけれど、「お金だけの問題じゃないんだけどな…」というもやもやした気持ちになる。

「母親業は、24時間365日営業が18年間続く」と言われており、精神的、肉体的に私には無理だよな…というのがその理由だから。
祖母は「そんなこと言うのは今どきの娘たちのわがまま。男に給料をたくさんやり、女に働くことを禁止すれば子供は増える。」というトンデモ政策を打ち出しており(祖母が総理大臣じゃなくて本当によかったと思うが)、お金を与えれば国民は再び子供を産みだす考えるのは同じロジックじゃない?

イクメンという言葉が流行って久しいけれど、小さな子供を置いて夜、お酒を飲みに行くお母さんとお父さんがいたとして、前者の方はなんとなく眉をひそめられる感じがするけれど、後者は割と普通な受け取り方をされる気がするのは私だけかな。それともこれも私の固定観念かしら。

生物的に哺乳類のメスであるということと、一人の人間であることの両立がなんだか難しいように感じる。父親になった男性はどう感じるんだろう?一人の人間でいることを難しく感じることはあるんだろうか。

母親になった女性が「常に子供の面倒を見なければ」という強迫観念にかられるのだとしたら、男性は「妻子を養い続けなければ」という気持ちにとらわれるのかもしれない。

会社の先輩でメンタル強靭な人がいた。お客様に朝から夕方まで罵倒され、その後、1日分の仕事をこなして、次の日も朝から出社という生活でもぴんぴんしていて、
「すごいですね。仕事していて辛くならないんですか?」と聞くと、
「辛いとかしんどいとか全くないね。落ち込みようがないというか、鬱のなり方がわかんない。なってみたいわーガハハハッ」と話していた。

数年後、結婚しお子さんもできた先輩が
「仕事しんどい。」とつぶやくので、
「珍しいですね。以前、どんなに仕事が大変でも鬱になる気がしないって言ってましたよね。」と聞くと、
「そんなこと言ってたっけ…。それ独身の時でしょ。気楽だったからね。今ならすぐにでも鬱になれる気がする…。」と遠い目をしていた。

ちなみに仕事内容はその時と大きく変わらないので、詳しく掘り下げたわけじゃないけれど、もしかしたら男性は妻や子供を持つと「辛くても働き稼ぐことから逃げてはいけない」という枷を無意識にはめるのかもしれない、と感じた。

とはいえ世の中を見回すと、主夫の人もいるし、子供がいても好きなところに一人で遊びに行く女性もいる。勝手に枷をつくって勝手にはまって勝手に苦しんでいるのは私だけで、政府にどうこうしてもらうよりも、自分の中で意識改革をする方が先なのかも。

12人を産んだ助産師HISAKOさんのチャンネルを観ていて、「家事と育児を上手にこなせない」というお悩みに対して、すごく心に響いた言葉があった。

そもそも育児に向いてる人っていないんですよ。絶対いないんです。私も向いてないと思います子育て。
だって私たちは別に子育てをするためにこの世に生まれてきたわけではないでしょ。
私という一人の人間が輝いて幸せになってたくさんの人達をハッピーにしてっていう生きがいを感じて生きていく。
そのために私はここに命を持ってここにいるなって思っています。

母親であろうとなかろうと、父親であろうとなかろうと、一人の人間として幸せに生きるという点において何の違いもないというのが本質だろうし、それを妨げる社会制度、慣習、集合意識があるなら変えていくというのが理想だなと思う。制度も慣習も意識の後についてくるものだから、先ずは一人一人の意識を変えるしかないのかな…というと大上段に構えすぎるから、「子供がいる人生もいない人生も、煮詰め煎じ詰めれば同じ」というように考えてみるところから始めてみようと思う。

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