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人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた㉒

走り始めて20余年、ファンランをモットーに走ってきたアラフィフおばさんが、コロナ禍をきっかけに初めてタイムを更新するために何でもやってやろうとしている記録です。このnoteを書き始めるきっかけとなった横浜マラソン、ついに走ってきました。

目標設定と結果

前回も書きましたが、そもそも、いつかサブ4できたらなぁ〜から始まったトレーニングでしたが、2022年10月現在、まだそのレベルには達せておらず。前回も書きましたが、設定した横浜マラソンの目標は、

①出産後のフルの自己ベスト
(2019さいたま国際女子マラソンの4:43切り)

②サブ4.5 (4時間30分切り)

の二段構えで設定しておりました。

果たして結果は…

4時間32分27秒!(ネット)


ということで、①は達成、②は未達成。

我ながらなかなかナイスな目標設定だったと思います。
では、どんなレース展開だったのでしょうか。

スタート〜10km

私のスタート地点Fブロックには8時までに入らなければならず、7:50に近くのホテルのトイレで用を足し、これ以上ない完璧なタイミングでトイレいけたー!と喜んだのも束の間、、お天気はいいのに、寒い。身体がどんどん冷えていく。結局待っている間にまたトイレに行きたくなってきてしまい、スタートした8:45にはもう、次はいつトイレに行けるかで頭の中は一杯になっておりました。
と、同時に、20キロまでは1キロあたり6分45〜6分半で抑えていこう、と思っていたのに、それを守れたのは最初の1キロのみ。何度も手元の時計を見ながら、早すぎる、抑えなきゃ、流される、早すぎる、抑えなきゃ、あ、トイレ、並んでる、、先を急ごう、早すぎた、抑えなきゃ…を繰り返していました。

10km〜ハーフ地点

時計を見ることに疲れてきた私はもう自然の流れに身体を任せて走り始めました。とりあえず21キロから高速道路に乗るところが最大の傾斜、そこまでは力を溜めつつも淡々と走ろうと。トイレは相変わらず探していましたが。

21km〜30km

高速に乗ってからは、噂には聞いていた通り風と傾斜のある路面をひたすら進む旅が始まりました。身体のリズムは出来ていたので淡々と進みましたが、一緒に会場まできた練習仲間の背中を見つけられたことが力になりました。

30km〜40km


高速の後半、普段はドライバーに対して出る電光掲示板が、この日はランナー向けのメッセージが「本当の勝負はここから」と光っています。その通り、段々と足が重くなる中、ついに1人も待機していないトイレを34km地点で発見!迷わず飛び込みました。

トイレから出た後、ここから音楽の力を借りてゴールまで駆け抜けようと思っていたら、電池切れ。もう自分の息遣いと鈍くなった足音しか聞こえず、長いなぁ、、そんな時沿道の応援の方が持っていた1枚のプラカードが目にとまります。

「全て気のせい」

このメッセージにニヤっとさせられたのは私だけではないはず。
そうかぁ、、足が出ないのも気のせいか〜と思えるほどしかし身体は素直ではないわけで。

40キロ〜ゴール

40キロ地点でチョコレートっぽいものがエイドステーションに並んでいるのが目に入ります。残り2キロちょっと、そんなの食べてる場合か〜と思いつつも、モグモグタイム。チョコと梅干しを食べて、水を飲んで、よーし、ラスト!最後は根性、、と思っても、そこからビルドアップする力は枯渇しておりました。辛い時こそピッチ気味でいいから、腰高に、前傾姿勢で、腕を引く!と言い聞かせても動かない身体がもどかしい。それでも何とか脚を前に出し、ようやく3年ぶりのリアルフルのゴールを切りました。

振り返って

3年ぶりのリアルのフルマラソンのレース。
それは少し時間が経った今だから思うのかも知れませんが、想像していたよりも、長く感じなかった気がしています。少なくとも、産後走ってきたどのレースよりも、後半の1キロ毎の表示が次々と現れた感覚があります。
コロナ禍に入り、特にこの一年取り組んできたことは無駄ではなかった。
やったことのないスピード練習をやり
相談したことのない夫にインターバルを付き合わせ
ハイテクスポーツ塾で骨盤の動きを染み込ませ
1日の食事を徹底管理し、リブレで血糖値の動きを観察し
サプリをとって睡眠の質向上の努力をし
低酸素トレッドミルで追い込み
ジムで筋トレメニューを組み
オンラインマラソン部でタイム向上のポイントを抑え
フォームを変えようと努力し
大臀筋を痛めてMRIを撮り
自分をケアすることの大切さを知り、、
マラソンだけではない日常の中で、出来ることを出来る範囲でやる努力。それは、楽しい積み重ねでした。その積み重ねが、少なくともこれまで走ってきたどのフルよりもあっという間の42.195kmにしてれたのでしょう。
「いつかサブ4」の夢はまだもうちょっとかかりそうですが、少なくとも産後、1番その夢に近づいたレースとなったわけです。さあ次は、何を強化してどのレースを目指すか?おばさんの挑戦は続くのでした。(つづく)

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