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人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた⑳

走り始めて20年余り。コロナ禍で、50歳を前にして自己ベストとこれまで果たせなかったサブ4を目指して色々チャレンジ中。今回はキロ5分から、キロ8分まで、振り幅広く走った3つの大会についてのお話。

仲間たちとの国立競技場EKIDEN

ある日、産後ケア仲間の1人が、「国立競技場で駅伝だって!どなたか参加しませんかー?」と呼びかけてくれ、アシックス駅伝で参加したメンバーとして私もタグ付けを受けました(詳細は⑪参照)

産後ケア仲間というのは、NPO法人マドレボニータの産後ケアクラスを受けたことのある全国の仲間たちです。ある程度子育てが一段落した人も、まだまだ保育園の送り迎えに終われている人も、それぞれが産後のどこかのステージ上で自身の時間をやりくりしながら、走る魅力に取り憑かれたり、恐る恐るチャレンジしたいと襷を繋ぐことに手を上げた仲間たちはあっという間に10名集まり、「マドレゆるラン部」として女子ハーフ部門にエントリーしたのでした。

16時スタートという時間まで、当日子供の居場所どうしようとか、今、泊まりの仕事中だからあとでまとめて確認する!とか、一人あたり1.4kmの周回10名でハーフってどう組めばいいんだろう?走順どうする?スピード練習なんてやったことないけど、今夜やってみる!などなど、リレーなんてやったこともないおばちゃんたちがワイワイメッセンジャー上でやりとり。
「みんなそれぞれの自己ベストに近づけるよう楽しんで走ろう♪」
「うんうん記録より楽しみが記憶に残る大会にしたい♡」とやっている中で、
「みんな、アップは本番1時間前に1度心拍数を上げて流しで刺激を入れるといいみたい!」と、一人聞いてきた風のガチアドバイス(私より早いメンバーはよっぽどいるのに・・)

当日、恐れ多くもアンカーを仰せつかった私は力をすべて出し切ろうと、1時間前2kmジョグ、ドリル、流し50+100+150、出番10分前に流し100×2本というオンラインマラソン部部長からのアドバイス通りに過ごし、トラック1周+外周逆回り、というコースを2回走りました。
必死に走った数字を後で見ると、今までの私が見たこともないような数字。確かに出し切りました。


最後にゴールゲートをくぐったそのとき!何やら首にかけられ、仲間達が飛び上がって喜んでいて、まさかの3位入賞(ハーフマラソンリレー女子の部 1時間39分31秒) 

表彰台に上がる頃は、ポツポツ雨も降り出しましたが、それもまたドラマティックで、まさに「それぞれの自己ベストを目指し」た結果「記録も記憶にも残る」大会結果となったのでした。

いざ、柴又60K

その翌週の日曜日。第10回記念大会 柴又100K~東京⇔埼玉⇔茨城の道~の60Kの部に出場しました。前回書いたとおり、皇居12周の自主練で7時間49分で終えていたので、アップダウンもないひたすら川沿いのコース、8時間は行けるだろうと踏んでいましたが、エントリー時は目標8時間半にしていました(ということを当日ゼッケン引き換えしたときに知りました)。

引き換えで受け取った封筒を開けると、ゼッケンは前と後ろ両方つけるという私にとっては初のパターン。ミニリュックを背負って走るつもりでしたが、背中ゼッケンをどうすればいいのかわからなくて、リュックを止めて身軽に走ることにしました。ただ、前回の皇居でバッテリー落ちが寂しかったので、モバイルバッテリーとケーブルとアミノバリューゼリーは無理矢理ポケットに詰め込み、握ってきた梅干し入りのおにぎりは、、もういいや、置いていこう!と荷物預けに。(後から振り返ると、アミノバリューはおいていき、米を持って行くべきでした)
先週と打って変わって、この日はひたすら一人旅、喋り合う仲間もいません。9時スタートと同時に、ラジオとプレイリストが私のお友達、でも、駅伝のときのような差し迫るプレッシャーもなく、お天気もいいし、のんびり、のんびり、キロ7分半~8分ペース。これくらいのだらだら走りは私の得意とするところです。


ただ、走りはじめてみると、暑い。約2.5kmごとの給水には最初から全部立ち寄っていきました。そして、すぐにトイレにいきたくなる。普通考えるとハーフマラソン中にトイレにいくことなんてないのに、25キロ地点で2回目のトイレに立ち寄ったとき、生理が来たことに気づきました。
大体1ヶ月周期の私は、1ヶ月前の皇居自主練の時も来る頃だとは思っていたのですが、やってきたのは走った翌日。今回も怪しいけど何とか今日だけ来ないで、と思っていたら、見事にレース中に始まりました。年齢的にも若い頃に比べて出血量は少なく症状も軽く、早く閉経こないかなと思っているくらいなのですが、やはり、1ヶ月の中で一番レースには当たりたくない時。脳は不思議なもので、それまで順調に動いていた身体、特に下半身と股関節周りが急に重たく感じてきたものの、今朝飲んできた鉄のサプリや、食べてきた糖質たんぱく質をゆっくり振り返りながら、まだ私の体内のグリコーゲンも血液も働いてくれているはず、とイメージしながら淡々と前に進みました。

その後、トイレには全く行く気が起きず(面倒くさくなったのと何も目にしたくなかった)、40kmまではほぼ7:50のイーブンペース。エイドは塩飴、アミノバリューと、なぜかブッセというふわふわのパンにクリーム(チーズクリームやカスタードやチョコクリームが挟まったもの)。ああ、、
梅干しおにぎりを置いてきてしまったことが悔やまれる・・皇居の時に学んだはずなのに、案の定、塩でざらつきまくっている私は塩を欲していました。
50キロ手前のエイドで初めてブッセに手を出し、(4分の1だけ)もっていた干し梅やコーラで、残り皇居2周か!と気持ち奮い立たせると、54キロ目、55キロ目、56キロ目は7分台前半にペースアップ。ここで気持ちよかったのは、下をうつむきトボトボ歩いているおじさんたちをぐんぐん抜けて行けたこと。下半身が重い、、と思っていた数時間前はなんだったのかというくらい、確かに身体は疲れているけれど、理想のフォーム(頭から糸が伸びていて、立ち位置と骨盤の位置と腕ふりと視線の位置と踏み込み方)を確認しながら走るほど冷静に走る力が残っていました。
が、、ウルトラはそんなに甘くない。58キロ目から突然ガクンと足が重たくなってきました。残り皇居2周!という気持ちは早すぎたようで。さっきまで次々と進んできた1kmごとの表示が、いつまでたっても出てこない。何度も何度も抜かれては抜き返すを繰り返していたようなランナーさんがまた私を抜いていきます。


ようやくゴールが見えてきたときはほっとしました。会場のMCさんが「おかえりなさい、ゆちゃぽん選手!最高の笑顔です!」とアナウンスしてくれます。(この方、これもう何時間やってるのかと思うとすごいお仕事だなぁ、、と思いましたが、ランナーにとっては本当にうれしいです)
手元ガーミンで8:05で、何とか日が暮れる前にゴールできたのでした。

ハーフ、リベンジなるか

柴又の翌日月曜日の仕事中はさすがに身体がギシギシしていたものの、意外に3日後には筋肉痛もほぼ薄れていたので、やはりゆっくり長く走る分にはあまり残らないのだな、それよりインターバルとかやったあとの方が痛みは長引くかもものなのかも、と思いながら、同じ週にジムでの筋トレを再開したり、軽いジョグで様子をみたりしていたのですが、2週間後の日曜日、昨年11月に悔しい思いをした二子玉川ハーフマラソン(⑩参照)に再エントリーしておりました。
11月走ったときは、右大臀筋の痛みを不安に思いつつも、「6分/kmペーサー/目標ゴール:2:07」の背中にぴったりついてみると、ペーサーと走ることって楽だなぁ、、と感じたのが印象に残っていました。しかしながら19kmからあと3kmちょっとなのに、ついていけなかった自分が悔しく、 


あれから半年以上自分なりにやってきた力を確認したく、とにかくペーサーに最後までついていくことを目標にしました。今回は6分ジャストのペーサーはハーフの部門にはなく、「6:10/kmペーサー/目標ゴール:2:10程度」の方が用意されていたので、その方についていって、ようし、最後20km超えたらダッシュ!とまで意気込んでおりました。
実はスタートで、あれ?6分ペーサーいないと思ったけど、さっきいなかった?とその背中のゼッケンに書かれていた表示の人を探そべく、むやみにスタートダッシュしてしまったところ、それは10km部門のペーサーで、ハーフの6:10ペーサーより前に行ってしまっていたことに2kmすぎに気づきました。その後は、当初思っていた6:10ペーサーについていきました。
スタート時の気温は22度、しかしながら日差しは強くどんどん気温も上がります。10km過ぎたときに、ちょっとこれ最後までもつかな、、という弱気が頭をよぎりました。今回は足の重みより、呼吸が苦しい。苦しいときほど、息を吐く、と前に聞いたアドバイスを何度も心も、ふーーーっと吐ききって、ガーミンを確認。13km地点で170という心拍を目にしてしまいました。私のLT値は136-161と試算済。その数字を見たときに、いやいや、世の中には乳酸値閾値を超えてからも走り続けられる人がいるらしいじゃん、あと10km切ってる、いける・・かも? ついてけ、ついてけ、ここで離れちゃ絶対だめ、と15kmまではなんとかついていく。もともとこのペーサーには私含めて4名はいたはずが、もうその時点で私ともう一人だけで走っていました。ペーサーの方も、飲み終わった紙コップを回収すべく手を差し出してくれたり気遣ってくれたものの、明らかに呼吸と足音と付き方が怪しくなっていってたのは気づいていたことでしょう。16km地点、離れ始めてしまったとき、だめだめ、ここからついていくためにゼーゼーハーハー練習もしてきたはずじゃん!最後は根性! 最後、、までには長いな、、あと5キロ・・?と思った瞬間くらっとしました。もうそうなると、あっという間にペーサーの背中が遠のいていく11月の19km地点でのリプレイです。あのときよりペース遅いのに、気温と湿度?体調?脱水?脚も重い・・とりあえず次にやってきたエイドでかぶり水を首からかけてもらい、塩タブレットも口に含みましたが、気持ち悪くてすぐ紙コップに吐き出しました。

18キロすぎからついに歩き始めました。残り3キロが果てしなく遠い。20km過ぎに、ラスト1kmは走ろうと思っても、それすら出来ませんでした。ラスト100m切った頃、6:10ペーサーの方がやってこられて、「15kmまでは粘り強くついてこられましたよね、もう、ゴールですよ、最後は走りきって!」と、声をかけてくださいました。引きずるように、10mだけ、形だけ走ってゴールしました。


それぞれのペースを振り返って

今回私は、瞬間ながらもキロ4分台の短距離走と、キロ8分のウルトラペースと、私が目標としている5分40秒に一番近しいキロ6分ペースで走ること、それぞれを1ヶ月以内に詰め込んでしまっていました。
このハーフマラソンのようにレース中に歩いてしまうというのはこれまでのマラソン人生の中で実は2度目になります。土砂降りの第1回東京マラソン、完走率97%の中で、15kmで歩いてしまってリタイアしたのがそのときで、1月に宮古島100km、2月初旬に青梅30k、2月下旬に東京マラソンを入れていました。今回のハーフで歩きながら、あのときを思い出していました。自覚症状はなくても身体の疲れは累積している、ということを身をもって感じました。
ハーフを走ったその夜のオンラインマラソン部の講義は、暑熱順化、熱中症対策、スタート立つまでにどう過ごすか、走る前の管理の大切さ、疲労抜けないまま走ってしまうことの危険性、苦しいときに皆は何を考えてどう乗り切るかなど私にとってとてもタイムリーな内容。そうだった、私の目標はフルマラソンの自己ベストだった、と気持ちを整理し直して、まずは疲労抜きだな・・・と早めに就寝するのでした(つづく)



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