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人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた㉗

走り始めて四半世紀近く、気づけば齢50超え。コロナ禍をきっかけにマラソンのタイム更新にチャレンジしているおばさんの記録です。
昨シーズンは右腿裏の痛みに悩まされ、4月の長野マラソンの後はそもそもなんで走ってるかに立ち返り、しっかり休んで再スタート。
さあ、新シーズンの初レースは、つくばです。

ランレストの日々

なんでここまで走ってきたか?
「大会で走れば走るほど、楽しいと思えたから」
走り始めて初めて出場したのは2002年7月1日のバンクーバーの10キロの大会でした。留学してまだ3ヶ月目、どうやってエントリーしたかすらよく覚えていませんが、手続きも会場に向かうのも全部一人。ゴールテープを切ったときの拍手に、新しい土地で受け入れられたような喜び、満足感、爽快感、充実感、達成感、自己肯定感に気持ちが高揚したのを鮮明に覚えています。そこから走れば走るほど楽しくなっていったのは、何の痛みもなく走ってこれたからこそでした。

もう多くを望まないから、右腿の裏が何も気にならない素の状態に戻りたい。痛みなく走れることを先ずは目標にするために、5月以降はパッタリと走るのをお休みしました。
念のために整形外科でもレントゲンもとってもらい、骨には異常ないので、その痛みは筋挫傷の修復を待って地道にストレッチしていくしかないという医師の話を聞き、そこからはかかりつけの整骨院の先生に経過を診てもらいながら6月の仙台国際ハーフもDNS。その代わり、いつも手首につけているガーミンのボディバッテリーは1週間満点が続くようになっていきました。睡眠時間は意識して7時間以上取って睡眠スコアも90点台続出の日々。

それでもウォークやラジオ体操をするたびに、右腿裏には芯のような痛みが潜んでいるのを感じる毎日。まだいる。まだ突っ張ってる。いつかいなくなる日は来るんだろうか…。
そんな中で週末の伴走クラブでの荷物番や伴歩をしながらのおしゃべりはいいリフレッシュになりました。走る仲間に会う都度、故障になった時の経験談を聞き、いつ傷まなくなりました?どれくらい待って、どうやったら走れるようになりました?と聞いていた気がします。3ヶ月という人から、十数年という人まで、中には今も痛みながら走っているよ〜という人もいました。オンラインマラソン部でも故障撲滅のための話題になると食いつき気味で耳を澄ませていました。


走れない間に、なんの気は無しに同行援護支援従事者(視覚障害者ガイドヘルパー)の資格をとり、試しにお仕事を入れてみると、これまでの人生や出かけることに楽しみを見出している年代様々な人たちと話すことで元気をもらい、自分と伴走との関わりを再考する機会も増えました。
また一方で、産後ケアを必要とする女性のためのランニングイベントの企画にも携わりながら、いつか走りを再開できる日を信じて待ちました。

練習再開

7月に入り、ようやく痛みが薄らいできました。最初はどんなに走れそうでも30分まで、ペースはキロ7分より上げない、走ったら翌日は必ず休む、というルールを徹底していくうちに、だんだんと腿裏のヤツは存在感を消していきました。

7/14 朝5キロ、7分15秒ペース。
7/18 朝6キロ、6分33ペース。
7/31 朝5キロ、6分32秒ペース。

今年の夏は本当に暑かった。。

8月に入り、かかりつけの先生から、よくここまで我慢したね。もう大丈夫、走れるよ。と言われた時はベッドで仰向けになったまま熱いものが込み上げました。

8/6 朝10キロ、6分26ペース。
8/14 朝15キロ、6分38ペース。
8/26 オンラインマラソン部練習会クルーズインターバル(1000×4 6分40→5分40)

でも、まだ無理は禁物。周りのラン仲間がインターバルやタイムトライアルを進める中でも、全力で走ることは出来ず、8月の織田フィールドの練習会も恐る恐るの参加でしたが、その場に戻れたことは喜びでした。

9/10 皇居20キロ、6分42ペース。
9/17-18 三瓶山合宿で2日トータル50k以上
9/30 皇居イベント5k+ビルドアップ20k7分ペース。

9月の三瓶山合宿では、ようやくどこまでも走れそうな感覚が掴めた気がします。苦しいけど楽しい大人の合宿に、マラソンの結果は一足飛びには出ないけれど、これを続けていればきっと伸びていくだろうなという希望をもらいました。

10/8 夢舞マラソン42.195km 9分50ペース。
10/28 皇居30k 7分ペース。
11/21 皇居10k 5分51ペース。  


10月は途中、ちょっと例の痛みが顔を出す時もありました。そんな時は迷わず休む。調子良くても、3日連続で走ったら翌日は休む。有料で申し込んでいたペース走イベントもキャンセルしたり、身体の声によく向き合いました。私が勢いに乗りそうになるとその都度ブレーキを踏んでくれる先生やラン仲間のアドバイスも有り難く、こんなに真剣に慎重に自分の身体と向き合いながら過ごした夏はかつてなかったと思います。

食事の変化

練習、休養と合わせて意識したのが食事(栄養面)でした。
1月から6月に受けたランナーのための栄養学講座を受けたのですが、7月に受診した会社の健康診断ではこれまでオールAだった自分が初めて血液検査の部分が白血球の低さによるE判定になったいたことも、自分の身体に何が起きているのか不安が募りショックでした。たんぱく質も意識してとっているし、鉄剤などサプリも補給しているのに何がダメなのか?
健康診断の二次検査では異常なしでしたが、単発の検査結果ではなく、これまでの何回かの血液検査結果や食事履歴他、私のここ数年のデータを総動員してランナーであり薬剤師でもある先生に解析を依頼しました。

どうなりたいと思う?というのが、解説の前の最初の問いでした。体重や体脂肪を落として、、と最初に出てしまったのですが、それは短期的な指標に過ぎず、最終的にどうなりたいのか、という長期的な目標をここでも考え直すことになりました。痛みなく走り続けられて、好きなものを食べて飲んでも元に戻せる身体になること。結局はそこに行き着きました。

複数の要因が絡み合い、仮説として私が取り組むべき提案のキーワードの1つは腸内環境を整えることでした。
何かを我慢するのは嫌だったけれど、身体の変化への好奇心が勝り、2週間だけ粉物、乳製品、間食で食べる甘いもの、アルコール、カフェインをやめてみました。すると、仕事中手放せなかったボトルガムや席の真横にあるオフィスグリコに手を出す気持ちがなくなりました。だいたいどの辺りでお腹が空くかは知っていたので、その時にはゆで卵や小さなおにぎりをよく噛んで食べていくうちに、停滞していた体重計の針も再び動き始めました。

2021年に一気に落とした体重は、2022年に見事に右肩上がりになりながら故障や気持ちの落ち込みや生理不順など更年期を理由にやり過ごしていたのですが、2023年の長野マラソンをピークにその後また右肩下がりになって落ち着いていき、何をどれくらい食べれば枯渇しないかのバランスが見えてきました。

身体が軽くなると走りも楽になります。ただしスピード練習はしていない分、ずっと抜け出せなかったキロ7ペースにようやく戻ってこれた程度。30キロ走は1回しかしてないけれど、季節は移りマラソンシーズンはやってきてしまいました。

いざ、つくばマラソンへ

そんなわけで、秋まで長い道のりでしたが、一応スタート地点には立てるところまできました。ステージは、つくばマラソン。
このnoteを始めるきっかけ、第1話に登場した、2006年の人生PBを記録したた「つくば」です。
ただ、もう過去のことは振り返らず、現在の私と向き合って。
2023年の目標は…

4時間44分59秒 (長野マラソンの4時間45分00秒を切る)

に、決めました。
さあ、超回復の成果は出てくれるのでしょうか(つづく)




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