《メモ》読書雑感

堀切直人『浅草 戦後編』

様々な書籍から浅草芸人についての話を時系列でまとめた本。演芸本以外からもかなり細かく調べていて、各演芸本で断片的に語られていた様々な歴史の隙間が少しずつ埋めらている。それでも浮き上がらない出来事も多いが、逆に、書かれてない隙間を自力で埋める楽しみがまだ残っている、とも言える。
なおビートたけしの件が終わったあとの章の引用元がほとんど澤田隆治の『私説コメディアン史』からなのでそのあたりを知りたい時は『私説コメディアン史』を読んだほうが早い。

細かな感想。
昭和39年当時の萩本欽一の、東洋劇場を飛び出て→劇団を作り→TV生CMで大失態→劇団解散→東洋劇場に戻る、という一連の話が、別の本だと38年になっている。恐らく年をまたいでの話でありどの時点での表記にするか程度の誤差だろう。だけどそこを詳しく知りたい。
それから高平哲郎「由利徹が行く」引用部分。TV「お昼の演芸」が好評になると永六輔らによる台本が届けられたが由利ら脱線トリオはそれを無視して即興で演じ続けた。いわく『ああいうコントとかはストリップ劇場の経験者じゃなくちゃ駄目』。私が永六輔に共感しきれない違和感の答えを由利徹が出してくれていた。

中山涙『浅草芸人』

薄いマイナビ新書で、堀切氏の『浅草』を見た後に読むと、堀切氏の本を薄く簡素にまとめた印象になってしまって残念。
でも悪い本ではない。何も知らない人が歴史を押さえる入門書的にはちょうどよいくらい。
とはいえ、年別にすると昭和37年以降45年までがスッカスカ。特に40年代はコント55号結成とドラマ版「男はつらいよ」くらいしかない。30年代頭は渥美清の資料、46年東洋劇場改装、47年からはたけし自伝等があるけど、その間を埋める参考書籍が存在しないのが原因。

井上ひさし/こまつ座編著『浅草フランス座の時間』

井上ひさしは実際に浅草フランス座にいた人物。
この本は全編が井上氏が書いたものではないけれど、当時の息遣いが伝わってくる。

『小林信彦萩本欽一ふたりの笑タイム』

注釈で助けられる部分もあるけど、個人的に一番注釈が欲しいのにない箇所が(泣)
トリオザパンチの結成年は書いてあったが、ギャグメッセンジャーズと、その前身エーワンコミックの話をもう少し知りたかった。
あと、石田英二。石田英二に関してはどの本を読んでも「酒を飲みすぎなければ……」と書いてある。どんだけ失敗してたんだろうか。

『マセキ会長回顧録』

ウンナン世代なので、デビューの裏の裏の話が知れたのは興味深かったが、残念ながら自分が知りたい世界とは平行線だった。同じ浅草なのにまるでパラレルワールドのよう。なので斜め読みして一旦おしまい。落ち着いた頃にまた改めて。

佐山淳『女は天使である』

図書館で閲覧。禁出本なのと時間が無かったので、末の芸人の章だけを流し読みした。渥美清、萩本欽一それぞれの「お姉さん」の話は別の本にも引用され、特に萩本の話はドラマにもなっていたので、そんな意味でも深く読まなかった。
章のあたまで、浅草で育った芸人の名前がつらつらと挙げられていた。そのほとんどが名前だけ知っている、他の文献で見たことがある、という方々だったが、一人だけ他の文献ではあまり見かけない名前が。明智トシロー。ネットで見たきりの日劇ミュージックホールのプログラムでは「明智としろ」になっていたが、掲載写真になんともいえない色気があり、以前から何者なのか興味があった人物だった。トシロー名義はここで初めて見た。試しにトシローで検索すると池信一と映像で共演歴が。ということは相当に古い芸人か。 

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雑喉潤『浅草六区はいつもモダンだった』

図書館で借りて、序盤のオペラをすっ飛ばして戦後のストリップあたりから読み始める。この手の本でやっと初めて当時の喜劇人軽視路線の批判を目にした。この部分だけでも古書を入手する価値ありとみた。各年代ごとの六区地図も嬉しい。
1984年出版の本なので、深見千三郎の名前は出てこない。本来の王道的な批評本なら彼の名前が出てこないのが正解だから、それがなんとなく嬉しい。この本を参考にした後出の本は山ほどあるが、なぜか批判部分は引用されていない。事実を抜き出すだけでなく、こういった批判の歴史も広く伝わっていってほしい。

日名子暁『ストリップ血風録』

杉兵助の歴史と渋谷道頓堀劇場の立ち上げの頃を知りたくて買うも、内容は支配人の矢野浩祐伝だった。そしてそのあまりにもアウトローな内容に痺れて先に進まず。(で、杉兵助自伝を読みたいと思ったがピンテージ価格に躊躇中。なのでラサール石井の杉兵助評を読むか迷い中。)
そもそも疑問なのが、『ストリップ血風録』では道頓堀劇場は1970年1月開場とあるのにwikiの杉兵助情報には1969年に道頓堀に入るとある。これは開場前の準備期間から入ったってことなのか? 個人的に聞いた「 専属契約の役者のみ使う場だから紹介した」という証言からは開場後契約としか思えないのだが。 
もうひとりの道頓堀オーナー唐木豊の側面から見たら「69年に道頓堀に入る」等々が整合性が出るのかもしれない。「唐木の名前は聞き覚えある」という証言もあるから、開場前に唐木と杉が引き合わされたのかもしれない。 

『エノケンと《東京喜劇》の黄金時代』

巻末の年表をチェックしたが、松竹ミュージカルスの終焉が丸1年食い違っていたなど、今まで調べた諸々と年月が違うものがチラホラ。月の違いは誤差等なので気にしないのだが、全体的な時系列を知りたいので誤記は困る。 

ラサール石井『笑うとは何事だ!』

ラサール自身の芸能史はほぼほぼリアルタイムで見ているので当時を懐かしみつつ読めた。
ただ気になったのは、関敬六が関啓六と表記されていたことなど、固有名詞の間違いが直されていない。関に対して失礼だしそれ以上に、これは筆者と校正と編集がミスに気がついていないということであり、他にも筆者の些細な記憶違いがそのまま書かれている可能性があり、芸能史を調べる為に読む本として信憑性に欠ける気がする。実際、いくら伝聞とはいえ、杉兵助が浅草東洋興業にいた話の劇場名があやふやだ。 
ラサール個人が経験したエピソードそのものに間違いはないだろうが、「年表」という観点からは参考にしない方がいいのかもしれない。

ラサールが道頓堀劇場に入ったのは昭和53年11月。後のコント山口君さんが『道劇と同じ系列の』新宿ミュージックに移ったからだとか。 
新宿ミュージック(ホール)は東洋興業の新宿フランス座が改名した劇場と聞いている。
新宿フランス座跡地は伊勢丹メンズ館だし、上の話もあるから、新宿フランス座改め新宿ミュージックホールは、どこかで経営権も変わりムーランルージュ跡地に引っ越しもしている、でいいのかしら?
(新宿ミュージックホールの謎解きの結果はこちら

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