《調査》新宿フランス座と新宿ミュージックホール
新宿ミュージック(ホール)は東洋興業の新宿フランス座が改名した劇場で、開場は1952年(昭和27年)、1956年(昭和31年)に改名、1966年(昭和41年)に閉館し、跡地は伊勢丹メンズ館になった、と聞いていた。
しかしラサール石井・著『笑うとは何事だ!』を読むと、「ラサールが道頓堀劇場に入った1978年(昭和53年)11月、後のコント山口君さんが『道頓堀劇場と同じ系列の』新宿ミュージックに移った」という件がある。
新宿ミュージックを調べると、かつて森繁久弥も在籍していたムーランルージュという劇場の跡地にあった、という話もある。
新宿フランス座改め新宿ミュージックホールは、どこかで経営権も変わりムーランルージュ跡地に引っ越しもしている、でいいのだろうか?
よくわからない。
ということで新宿ミュージック(ホール)について調べてみた。
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まずは新宿フランス座跡地=現・伊勢丹メンズ館なので建物史をwikiで調べた。
丸物(まるぶつ)とはかつて全国展開していた百貨店で、近鉄百貨店の前身にあたるそうだ。
新宿フランス座は新宿丸物閉店迄には劇場も閉館したのだろう。
しかし新宿ミュージックホールに改名の前年に新宿丸物が開業しているが、改名は丸物デパートが関係してるのか?
それよりも一番の謎は経営権。やはり引っ越しと同時なのか。或いは最初から「新宿ミュージックホール」と「新宿ミュージック」は全くの別物だったのか。
ここで、家で行方不明になっていた『浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。』を発掘。
筆者は松倉久幸。東洋興行の2代目だ。
この本なら東洋の劇場の歴史については間違いない。
案の定、『~笑われた』は私の疑問をあっさりと解決してくれた。
以下、『~笑われた』から抜粋。
これで何となく謎が解けてきた。
まず、丸物デパートになる前の建物。
新宿の駅前にあった闇市の店たちが区画整理の為に作ったのが協同組合であり、建物なのだとか。露店たちは1階に引っ越して、2階にフランス座を設けた。
wikiにあった新宿ストアーとは、恐らく個々になっていた露店商をまとめて1店舗とみなしてリニューアルしたのではなかろうか。
が、営業が立ちいかなくなり、丸物に買収、建て替えられる。新宿フランス座は3階の店子となる。
時は流れ今度は伊勢丹が買収し、フランス座は閉館となる、と。
そしてもう1つの大きな謎。
東洋興行は丸物の新宿フランス座を引っ越しさせず、閉館とした。
なので、「新宿国際劇場」のほうの新宿ミュージック(ホール)は、別の系列でありフランス座とは無関係。
まぁ、「新宿」は地名だし、「ミュージック」も「ホール」も一般的な名称だから、被っても仕方はない。
(昔は今ほど商標とかに無頓着な世の中だったし)
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ここで改めて年表を作り直してみる。
ここに他の情報も入れてみる。
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個人的な興味は東洋興行のほうだけなので、新宿国際劇場のほうの新宿ミュージックはこれ以上調べる予定はありません。
【追記】
江戸川大学准教授の西条昇さんからご指摘いただきました。
『財津一郎さんは新宿フランス座=新宿ミュージックホールには出ておらず、石井均一座からの参加ですね。ムーラン後の新宿ミュージックは渋谷道頓堀劇場と同じオーナーでした。』
これを受けて年表から財津さんのお名前を外しました。
ありがとうございました。
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