《調査》川上事務所の川上正夫

大屋満の事を調べた時に出てきた川上事務所。
こんなマイナーな情報はどこを調べても何も判らないだろうと思っていたが、なんと『私説コメディアン史』(澤田隆治著)に載っていた。

川上事務所の主、川上正夫。
経歴をざっくり書くと《大正9年(1920年)大阪生まれ。エノケンの弟子であり、最終的に10年ほど前までは新宿コマの専属コメディアンをしたあと事務所を構えた》とある。
《10年ほど前まで》とは『私説コメディアン史』が発行された1977年から数えるので、つまり1967年頃まで専属コメディアンだった、ということになる。
この本の発行当時はまだご活躍だったろうが、1979年頃にはお亡くなりになっている、気がする(理由は、今は伏せる)。
川上は脱線トリオの南利明の恩人とも言えそうな人でもあり、芸能事務所時代は大屋満のほか、南や関敬六のマネジメントを担当していたそうだ。もしかしたらもっと他のコメディアンとも関係があったのかもしれない。

川上事務所のことをもっと調べたいのだが、そちらはかなり厳しそうなので、まずは川上正夫本人の芸歴についてだけでも調べてみた。

『私説コメディアン史』によると、川上は昭和14年にエノケン(榎本健一)に弟子入りしたそうだ。
エノケンの弟子と言うからには、ある程度は一緒に映画や舞台に出ていたのは想像できる。実際『私説コメディアン史』には戦後の有楽座で『エノケンのターザン』にゴリラ役で出演と書いてあるし、戦後のエノケン映画でエノケンのフキカエ(スタントの事か?)をしていたともある。ただ、所謂大部屋役者だっただろうし映画も有楽座も古い話なので、このあたりの情報はなかなか出てこないだろう。
エノケンは昭和45年1月に亡くなったが、それ以前にもエノケン自身が体を壊したりと色々あったので、いつまで川上がエノケンの元にいたのかは検討がつかない。

とにかく、名前が判ればこっちのもの。川上正夫の名前でネット検索をかけてみた。するとあっさりと幾つかヒットした。

一番古い情報では、福岡の嘉穂劇場で、昭和13、14年頃に座長をやっていた、というもの。

画像1

嘉穗劇場サイト内より拝借)

昭和13年は1938年だから、このチラシと件の人が同一人物ならは座長は18歳となる。
今の感覚では18歳座長というのはあり得ないくらい早い気もする。でも当時は尋常小学校を卒業してすぐ社会に出る世の中だったし、例えば親の代から一座を引き継いだ可能性もある。それならば18歳で座長というのも何の不思議もない。ゴリラというキーワードも共通している。

『私説コメディアン史』と嘉穂劇場のチラシの情報を時系列で並べ直してみても違和感はない。
昭和13、14年頃に福岡で座長。
昭和14年に上京してエノケンに弟子入り。
そして昭和15年には技芸者之証なるものを警視庁から貰っているそうだから、当時既にそこそこ実績があったことが想像出来る。
おそらく同一人物だろう。

他の舞台はどうだろうか。
手元にある東宝ミュージカル(東京宝塚劇場)のパンフレットを見てみると、川上はエノケンが出演している第1回公演『泣きべそ天女』『恋すれど恋すれど物語』、第2回公演『太陽の娘』『俺は知らない』、第3回公演『極楽島物語』(いずれも昭和31年=1956年)に出演していた。
エノケンが出ていない、他の回の東宝ミュージカルには川上も出演していなかった。
新宿コマ劇場が開場したのはこの年の12月。それと、エノケンの東宝ミュージカル不出演が関係しているのかはわからない。

ネットからは舞台の情報が4つ出てきた。
1つ目は昭和33年(1958年)9月、東京宝塚劇場。17代目中村勘三郎の歌舞伎公演になるらしい。川上が出演しているのは3演目のうちの『鷹と怪盗』のみのようだが、共演に初代水谷八重子、鶴田浩二、宮城まり子といるから、歌舞伎歌舞伎したものではなかったのかもしれない。
ちなみにこの時期はエノケンが右足を切断したあと復帰して間もない頃だ。
http://www.kabuki.ne.jp/kouendb/sp/perform/detail.html?kp=10387&TB_iframe=true&width=610&height=480

以下、参考にしたサイトが既に消滅してリンクが貼れないのだが。

2つ目は昭和37年(1962年)3月、 新宿コマ劇場『エノケンの村井長庵』。公演名には「第3回新宿コマ喜劇人まつり」とある。NTVで舞台中継もあったらしい。エノケンと脱線トリオの共演、ということで南利明とも一緒の舞台だった。

3つ目は昭和39年(1964年)2月、新宿コマ劇場『爆笑白浪五人男』。こちらはヤフオクの画像で確認した。森川信、宮城まり子、平凡太郎、茶川一郎、堺駿二、由利徹、佐山俊二、石川進、という面々の喜劇だそうだ。スタッフに内藤法美と岩谷時子の名前が見える。後に川上事務所の所属となる大屋満も共演していた。

もう1つは昭和39年(1964年)6月、新宿コマ劇場『女の花道』。美空ひばりのコマ初出演だ。

下3つの情報から川上が1964年当時には新宿コマの常連もしくは専属コメディアンだった可能性が高いと言えそうだ。
新宿コマの情報はもう少し調べるともっと出てくるだろう。

次に映像を。
moviewalkerというサイトで川上正夫の映画出演作を検索してみた。

『ワンマン今昔物語』 (1959) 由利徹主演
『まぼろし大名(1960)』 (1960) 高田浩吉主演
『まぼろし大名 完結編』 (1960) 高田浩吉主演
『宇宙快速船』 (1961) 千葉真一主演
『しろばんば』 (1962) 芦川いづみ主演
『カレーライス』 (1962) 江原真二郎主演
『006は浮気の番号』 (1965) 由利徹主演
『ヤマムラアニメーション図鑑 どっちにする?』 (1999)

1999年のアニメはさすがに別人だろう。
それ以外の7作が、判っている範囲の出演作になるのだと思う。エノケン映画は1本も引っ掛からなかったが、恐らく出演していてもノンクレジットなのだろう。

テレビドラマデータベースからは6作が出てきた。

『轟先生』(NTV)1955/08/06 ~
 (1956年1月放送分から1957年3月放送分までに45回出ていた)
『ソール・アチャラカ劇場』(OTV=朝日放送)1957/01/19~
『こぐま物語』(NHK)1959/04/17~
『少年鉄仮面』(NET)1960/10/05 ~ 
『天下の暴れん坊 猿飛佐助』(NET)1961/01/03~
『いかすぜ珍商売』(CX)1963/10/12~
※ゲスト
『いまに見ておれ』(TBS)1964/05/09~ 1964/08/01※ゲスト
『特別機動捜査隊』(NET)1966/06/01~ 1966/06/01※ゲスト

映像世界における川上正夫の活動時期は1965、6年ぐらいまでと言えそうだ。また国内のテレビ放送が1953年から始まっている事を考えると、黎明期の頃から出演していたのかもしれない。

『私説コメディアン史』に戻るが、川上は1967年頃まで新宿コマの専属コメディアンとあり、映像での活動時期とほぼ一致する。恐らく専属コメディアンと言っても、映像の仕事も合間を縫ってこなしていた、ということなのだろう。

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