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行動援護(ガイドヘルパー)の研修を受けて、くちづけについてもう一度かんがえた


ガイドヘルパーの研修をうけた

2023年、3月。
行動援護従業者養成研修を受け終え、修了証明書を手にした。


行動援護従業者養成研修という、日本語なのにやたらめったら漢字がならぶ言葉を、はじめて知ったのは3ヵ月前。
noteでも有名な、岸田奈美さんのつぶやきがキッカケだった。

弟が友達と野球を観に行きたいんだけど、ガイドヘルパーが人手不足で見つからないから自分で研修受けて、ガイドヘルパーになっちゃいます!といった内容である。
(詳しい話はご本人のnoteをお読みください)

ガイドヘルパーというのは、一人では外出が困難な方々のサポートをする仕事。


いや、でもガイドヘルパーの研修って、そんなすぐできるもんなの…?と思って、ググってみた。

なんとこの研修、どこの学校の説明をみても、大体3日でいけますと書いてある。

さらに読みこんでいくと、ガイドヘルパーは同行援護、行動援護、移動支援と、大きく3つに区分されている。
岸田さんの受ける行動援護の対象は、知的障害・精神障害の人(子ども含む)とされている。

精神障害ってことは、パニック障害とか双極性障害とかも対象なんだろうか。
調べれば調べるほど、気になってくる。

国や自治体の支援制度って、ものすごく入り組んでいて、わかりづらい。
だれかが必要とする制度はもとより、自分が利用できる制度さえ知らなかったなんて話は、めちゃくちゃよくある。

この研修では外出時の障がい者サポートを、支援員の視点で詳しく学べるらしい。
介護福祉の、現場で働いた経験はない。
心理学とか机上で知識を集めるばかりだったから、もっと立体的な勉強がしたかった。もっといろんなことを知りたかった。
しかも、その期間はたった3日。

人生の半分以上をうつ病患者として生きてきた私は、普段は支援制度の利用者側。
治療のおかげで、昔に比べたら格段に心の状態は良くなってるけど、身体がついてこず、疲労を強く感じやすい。

それでも、3日間だったら。
私にも受けられるかもしれない。

あわよくば、外出時に付き添ってもらいがちな私にとっても、身になる話がきけるかも、なんて考えてしまったりもしたけれど。

それでも自分なりに覚悟を決めて、申し込みをした。



結果として、勇気をだして本当によかった。

もはやこれ、義務教育とかで国民全体が受けるべき。


実際に学びはじめるまで、ちゃんと理解できていなかったが、行動援護の支援対象は、主に自閉スペクトラム症だった。
教材に載っているのは、なかでも特に、症状の重い方々。

知的障害・精神障害と表記されているのは、自閉スペクトラム症の方が、統合失調症やうつなどの精神障害も発症していることもあるから。

特定のものや事へのこだわり儀式が強かったり、特定の感覚に対して過敏だったり鈍感だったり、突然の日課やルールの変更が辛かったり。
だけど、言語や話しことばでのコミュニケーションが難しくて、自分がなにに困っているのか、相手に事情や辛さを伝える術がなく、自傷や他害せざるを得ない状態(強度行動障害)に陥ってしまっている人。
そんな人にどんな支援が必要で、私たちにはなにができるのか。

それを学べるのがこの行動援護従業者養成研修だった。


受講者同士でコミュニケーションをとる機会も多かったが、たぶん巡りあわせが良かったんだとおもう。
思いありのある、素敵な方が何人もいた。

実際に現場で働いている方の話からは、利用者さんのことをめちゃくちゃ考えてくださってるのが伝わってくる。
祖母の介護のとき介護職の方々に大変お世話になったのを思い出し、おもわず目頭が熱くなる場面もあった。
一期一会ではあるけど、また会いたいと思える出逢いができた。


そしてまた、講師を務めてくださったK先生が素晴らしい方だった。

この研修の講師としての義務や責任を深く考え、伝えられることはすべて惜しみなく出しきり、そして受講者と、ていねいに向き合ってくれる。
教材だけでなく、ガイドヘルパーとしての経験や他業種からの学び、自らの辛い体験まで、私たちの学びの種として差し出してくださった。

またK先生は、介護福祉に関するアンテナをプライベートから常に張り巡らせているそうで、毎回オススメの書籍や映像、作品やお店や映画を紹介してくれる。
3日間で、映画だけでも6本、本は22冊を実際に教室まで持ってきてくれた。

エンタメ大好き人間な私は、帰宅してすぐ作品チェック。

先生あのお店も知ってるかな?あの本もぜひ読んでほしいな、なんて考えていて、ふと、思い出した。

くちづけという、映画のことを。




映画「くちづけ」が私たちに教えてくれること




2013年5月公開
出演 貫地谷しほり 竹中直人
監督 堤幸彦
脚本 宅間孝行

これは、実際にあった小さな新聞記事をもとにつくられたお話。
宅間孝行主催の劇団 東京セレソンデラックスにて上演されていたものを、映画化した。
劇団が解散したいまも、エンターテイメントプロジェクト タクフェスにて、この物語は語り継がれている。



鑑賞後のあの感情は、十年経ったいまも忘れられない。
悲しみや悔しさが渦をまいて、声も殺せずただ泣いた。

この機会にもう一度、教材や教わった書籍をひろげて考えてみる。

「くちづけ」が私たちに、なにを教えてくれたのか。



まずはじめに、頭においておくべきこと。

この物語の発端となった実際の事件は、推測するに2000年初期、もしくは90年代のできごとの可能性がある。
舞台の初演は2010年だが、その時点で宅間孝行氏は「10年以上前にみた新聞記事」だったと述べている。


くちづけに対する世間の感想で、親であるいっぽん先生の行動に対して、批判の声もあると聞く。

だが実はこの20年ちょっとの間に、障害福祉を取り巻く法制度や介護、支援、サービスはどんどん変わってきているのだ。

精神薄弱者福祉法が、知的障害者福祉法に改称されたのは、1998年
発達障害においては、発達障害支援法ができたのが、2004年
たった19年前である。
それまでは法のなかに、発達障害の明確な定義もなかった。

ガイドヘルパーの支援制度は2003年からとされているので、彼らの頃にはきっとまだ始まってない。
しかもガイドヘルパーになるために、私が受けたような基礎や実践技術を学ぶ場が設けられたのは2015年
その後もより多くの人がより深い知識を身につけられるよう、工夫が続けられている。



つまり、あの辛い結末に対して

「どうにもできない」ではなく、「選択肢があったはず」と思えるのは


それこそが凄いことなのではないか、と
私はおもう。


もちろん真ん中に立っている方々からしてみれば、20年どころか1日1時間がどんなに大切か。
法の改正ぐらいじゃ変わらない、とも言われるかもしれない。

当事者でもない、現場に立っているわけでもない人間が、なにキレイゴト語ってるんだと怒られても当然だ。

だから私は10年前、口をつぐんだ。 
自分なんかが語ってはいけない話だと、思ったから。


それでも今回、行動援護従業者養成研修を受けて。
お子さんに障害がある方や、現場をよく知る方々と実際に会ってはなして、感じた。

「生きていくすべがなかったら、生きていける社会にすべきじゃないか」
劇中のいっぽん先生の叫ぶような願い。

その願いを、強く抱いて。

止まらず戦いつづけてきてくれている人たちが、そこにちゃんといる、ということ。


教本には明記してある。
支援の最終目的は、彼らが、みんなが、地域のなかで安心して幸せに生活していくこと。

従来のやりかたに固執するのではなく、それぞれが度数のあったメガネをかけられるよう向き合い、そして本人が自分で選択していけるようサポートしていくのだと。

教本だけじゃなく、書籍や作品などのうしろにも、強い願いを持つ人々の姿はみえる。

辛い現実を、絶望を、そのままで終わらせないために
行動しつづけている人々がいる
と、どうか知っていてほしい。


当事者じゃなくても。
当事者じゃないからこそ、私たちは考えつづけ、知っていなければいけない。

なんとなく見過ごしてきた 歴史は、だれかが生きていくうえで、懸命に積み上げてきてくれたもの。

その一人一人、それぞれにきっと事情があって、想いもあって、大切な人もいた。

当たり前じゃない。

繋げていかなければ、ならない。




そして今もまだ苦しむ人たちに、どうかお願いがある。

頼ることは義務だと思ってほしい。


映画のなかで、家族が一人で面倒をみるのがえらいと言っていた。
うーやんと二人で暮らす決意をした妹は、
いつまでもグループホームに甘えてちゃいけない、と言っていた。

介護や、看護をするなかで。
実際にいまも彼女とおなじように考え、もう頑張れないほど頑張りつづけている人がいるだろう。


「えらい」なんて、クソ食らえだ。

頼るのが、甘えだなんて。
家族だけで、身内だけで。
それが、美談だなんて。

そういうの、もう古いよねって
みんなで笑い飛ばせるようにならなきゃいけない。



どうかたくさんの人と、繋がっていてほしい。

相談支援専門員、通所サービスや、グループホーム等生活援助、就労支援、看護師に管理栄養士や、作業療法士。

これらは、知的障害・発達障害に対する一例だけど。
それぞれの生きづらさ・・・・・ごとに、様々な場所がつくられている。


多くと連携すればするほど、なにかあった時すぐ対応できる。
なにかなくても、対応できる。

事業所ごとに、家族とは異なる知識や視点を持った人たちがいるから、いろんな景色がみえるようになるかもしれない。




ケアするひとだって、ケアされなければいけない。


子どもを守る親も、大人も。
利用者を守る職員も。
生徒を守る先生も。
介助する人も、介護する人も、看護する人も。
あなたも、わたしも。

だれもが等しく、守られなければならない存在だ。

心理カウンセリングも是非、活用してほしい。
カウンセリングというと敷居が高く思われがちだが、
病んでいるわけじゃないって人にこそオススメしたい。

グチをしゃべりに行くだけでもいい。
心理療法っておもしろいよ。

身体がマッサージを受けて疲労を回復するように、心だって疲労回復は必要だ。



「まだ大丈夫」だから 行かないのではなく
て、「まだ大丈夫」なうちに
、行ってみてほしい。



課題や問題はもちろんまだまだたくさんあり
進みつづけてきたからこそ、新たにスポットが当たるようになった課題もある。
悲しい現実や、目を覆いたくなる事実も、たしかにある。

だけどそれだけ、じゃなくて。

前を向いて戦いつづけてくれてる人たちが、たしかにいるから。
変わらない景色にみえるけど、それでもちゃんと変わっているから。

どうか、諦めないでください。
あなたのことを想っています。



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