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終わりを見つめるシャイニーカラーズ

要するにアンカーボルトソングを読んだという話

前回の記事から早くも半年、何度か記事を書こうかと思うタイミングはあったのですがその度に後に後にと追いやってきました。結局のところ自分は半年に一回くらいのペースが分相応だしそれで満足出来ているのだと思います。絵でも音楽でも文章でも何でもいいんですけど、コンスタントにものを世に発信している人って凄いですよね。クオリティとは別軸の才能とコスト。ところでこの段落は書き出しな訳ですが、ここを書く段階でもう既に結構しんどい。「話を聞いてくれ」っていう部分なので、何の気なしに覗きに来た人が引いてしまわないような、かつ本題を読みに来た人が離れてしまわないような塩梅が必要なわけじゃないですか。素人の自己満足ですらこれなのに、商売として語り手になることを選んだ方々の払う努力と気苦労の重さたるやという気持ちです。

こうして適当に文章を捻りだしてみたらなんだか意外と今回の本題に近い話が出来た気がしますが、さてどうでしょうか。

あらすじ:アンカーボルトソング

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まずはアンカーボルトソングのお話を振り返ってみましょう。このあらすじの画像、読後に全てが繋がる感覚が気持ち良い。

これまでの活動を経て今や押しも押されぬ人気の様子のアルストロメリア。3人それぞれにピンのお仕事が舞い込み、異なるフィールドで活躍している様子が描かれます。歌番組のMCに抜擢され、業界人から熱いオファーが届き始めている千雪、ファッションを武器にティーンから高い支持を得る甘奈にはコスメグッズのプロデュース案件が。今をときめくアイドルらしい活躍を見せる二人を尻目に甜花が思い悩む展開...かと思いきや、ラジオ番組での活動が評価されたりバラエティ番組のレギュラー枠を獲得するなどこちらも負けず劣らずの活躍ぶり。ただそれぞれの道を歩みつつあるアルストロメリアの成長をファンも喜ぶ一方で、ユニットとしての露出が減ったことに対しての寂しさを表明する声もありました。何より互いの成長を横目に見る本人たちの間にも「置いていかれる恐怖」「先を行く者への羨望」が薄っすらと、しかし確かに存在し、スケジュールに忙殺される3人をゆっくりと蝕んでいきます。そんな状況を肌で感じていた千雪はプロデューサーに相談し、見送るつもりだった「商業施設オープン記念の比較的小さなステージでのライブ案件」をユニットとして受けることを選択しました。もう何度も練習した歌とダンスは成長したアルストにとって然したる練習を必要としなかったので、余った時間を使って今となっては貴重な3人の時間でカラオケを満喫。帰り道、ファンの間で話題になった「アルストロメリアの美しき思い出」を共に懐かしみながらも、思い出に負けないために今日を生きるのだと決意と共に楔を打ち込む3人。そして迎えたステージ本番の日、集まったファンの熱狂に包まれながら彼女らはいつかの雨の日を思い出す。それはもうずっと昔のことのようで、あっという間に過ぎてしまった時間を意識せずにはいられない。今この瞬間も同じように思い出になっていくのだとしたら、それはアルバムに収めるに値するのだろうか?あの日と同じように工事現場に鳴り響く槌の音を聴きながら、甜花は新しいステージに向かうこの瞬間に見えている景色をカメラに収めるのだった―――

見ての通りあらすじと言いつつかなりの程度自分の解釈を出しています。というよりアンカーボルトソングは明らかに重要な示唆に富んだシナリオコミュであり、好んで自己解釈を出しているというよりもそうせざるを得ない話だと思っています。記事を書いている間はなるべくシャットアウトするようにしているのでまだ他の方々の感想はほとんど拝見していないのですが、どういう感想が出ているでしょう?今から楽しみです。

この記事について

今回筆を執るに至った最大の要因はもちろんアンカーボルトソングで語られたテーマとそれに対する感想であり、同時にこの記事における主張の中心なのですが、この記事ではもうちょっと言及の範囲を広げて「これまでのシャニマスに潜んでいた描写」も絡めて語っていきます。結構大仕事になる気がしていますが(何なら既に結構な仕事なんですけど)、この仕事は「これからのシャニマス」を見つめる上でそれなり有意義に機能するはずです。そしてこれらの議論を踏まえて更にもう一つ、アンカーボルトで示された最も重要な示唆について私見を述べたいと思います。

テーマ①:積み重ね

シャニマスのこれまでのコミュをいくつか見ている人は、アンカーボルトソングの過去コミュとの関連の強さに気づいたでしょう。それもそのはずというか、シャニマスの4年目のテーマは「重なり」だそうですね。「重なり」という言葉からは単純に時間の積み重ねが想像されますが、それだけだと3年目のテーマである「変化(するものしないもの)」との差別化が図れません。L@YERED WING 01のジャケット絵を見ると分かりますが、真乃とにちかが手のひらを重ねています。

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つまり「重なり」の意味するところは、個人やユニットのこれまで積み重ねてきた時間だけではなく283プロダクションの人々のこれまでの全てを含めたものということなのだと思います。これについては明るい部屋およびにちかと美琴のWINGに含まれた過去コミュへのつながりを見れば明らかでしょうし、おそらく多くの方が既に語っていらっしゃると思います。SHHisの二人については書こうかなと思って時期を逃した感がありますが。

さて、アンカーボルトソングにはどんな「重なり」があったでしょうか。

関連①アンティーカ感謝祭

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「売れることによって仲間とのすれ違いやファンの求める理想との乖離が起きてしまう」という類型は最早王道という感触すらある昨今ですが、シャニマスで言えば自分はまっさきにアンティーカ感謝祭を連想しました。アンティーカという枠組みに対して家族のような絆を信じていた咲耶は、アンティーカがユニットとして成功することによってメンバーひとりひとりにスポットが当たることで逆にユニットとしての時間が減ってしまうことに寂しさを覚えていた...というのが要旨の一つです。こちらはアニマスにおける天海春香が抱えていた悩みにも非常によく似た話でしたね。アンカーボルトがこれらと比較してユニークな点があるとすれば、その現代性でしょうか。シャニマスはコミュニケーションへの理解が深いだけあり、SNSの使い方が物凄くうまい。「いいね」の速度・有無、コラボ投稿の醸し出す空気、バズに対する公式側の認知などなど...一種の監視社会的な空気を通して「他メンバーの成功に対する羨望と焦燥」「他メンバーが新たに交流を始めた相手に対する嫉妬」のようなものを"匂わせ"ている。この"匂わせ"というのが味噌で、そうした負の感情を前面に押しだした描き方はしていないんですよね。あくまでもそう思わせる程度の温度感でありつつ、しかし確かにそれを感じさせる塩梅というか。有り体に言えばリアリティのあるやり取りによって、彼女らを「アイドル」「キャラクター」から「生きている人間」に引きずりおろすかのような感覚を覚えます。

関連②曇りガラスの銀曜日

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ユニットのこれまでの思い出が話の構成に強く絡んでくるという点では曇りガラスの銀曜日も連想されました。銀曜日も2020年5月末のイベントということで雨の演出が印象的に使われていることも共通していますね。とりとめのない些細な出来事だったとしても、ふとそれを思い返してみると記憶の中で静かに輝いているように思えることがある。むしろ日常の大部分はそんな"非"劇的な時間で構成されているが、その集積によってこそ人は互いを知っていける。しかしながらどれだけそういう時間を積み重ねたとしても、たとえどれだけお互いのことを知っていると思っているとしても、本質的に人は誰かを完全に理解することなど出来ない。お互いを知ろうという姿勢を持ち続けることこそが何よりも重要なのだ。自分の銀曜日に対する解釈はこんなところですが、これもアンカーボルトに用いられているテーマと近接しているように思えます。①で述べたような疎遠になりつつあったユニットを済んでのところで繋ぎとめていたのはユニットと共に過ごした時間への気持ちでしょう。ちょっとウケ狙いで変な書き方をしましたが、これまで積み重ねてきた時間を大切に思うからこそ、そうした関係が変わってしまうことを寂しく思うという当たり前の話ですね。もっともアンカーボルトでの思い出に対する描写にはもう少しシビアな気持ちが込められているようにも見えましたがそれは後述します。

関連③アルストロメリア感謝祭

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あるいはもっと素直になれば、アルスト感謝祭も関連の強いコミュとして挙げられます。ここまでの長ったらしい文章を読んでくれるような人に今更説明するまでもない気もしますが、283プロ所属ユニットの合同ライブ企画として各ユニットがそれぞれテーマを1つ決めてステージを演出する「283プロダクションファン感謝祭」において当初アルストロメリアが選択したのは「ハッピーエンド」というキーワードでした。しかし「(幸福な)今」という安寧に依存する甘奈にとって未来を意識することは恐ろしいことだった。その内心を打ち明けることが出来た甘奈と、それを受け止められた千雪と甜花はもう一つ歩みを進めて「わたしたちの未来」というテーマを選択します。今でこそアルストロメリアといえば時間や互いの気持ちに対する繊細な視点を備えたコミュが持ち味と言えますが、アルスト感謝祭はそれが色濃く出た最初の一歩かもしれません。アンカーボルトに話を戻すと、やはり甘奈の変化が強く印象付けられました。今回のようにユニットが疎遠になってしまう事態などそれこそ感謝祭時点での甘奈が最も恐れていた未来の一つですが、薄桃色やGRADでの経験が「二人に並んで立てる甘奈でありたい」という気持ちを作っていたためにピンの案件に意欲的に取り組むことが出来たのでしょう。いやぁ、甘奈もすっかり独立したものですね!

関連④その他たくさんのコミュ

本当はトキメキタコさんから続いてきたDJ千雪がどうとか四夜一夜物語の甜花がどうこうとか他にも山ほどあるし自分が気づいていないのもたくさん仕込まれているんでしょうが、キリがないのでこの辺にしておきます。

さて、このようにアンカーボルトソングはこれまでの多くのコミュを下敷きにしていることが伝わったと思います。基礎や地盤と言ってもいいかもしれませんね。それはつまりアンカーボルトソングはシャイニーカラーズそのものの話でもあるということです。

え?流石にロジックが強引?ですよね...

ということでもうちょっと具体的に「アンカーボルトソング=シャイニカラーズ概論」説の論拠を示しましょう。といっても終盤は隠喩だらけで枚挙に暇がないのですが。

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シャニマスは2018年4月24日にリリースされて以来、およそ10日おきにメンテナンスとアップデートを重ねています。それは工事中の建物に喩えられるかもしれません。また「アンカーボルトソング」は2021/5/31のアップデートと共に実装されたシナリオイベントですが、イベントのお披露目はシャニマス3rdアニバ―サリーライブの福岡公演1日目に初めて告知されました。3rdライブ後初めてのシナリオイベントであり、見方によっては「4年目最初のイベントシナリオ」ということも可能でしょう。さらには高山Pのインタビューによると「色々仕込んだ」という「明るい部屋」との関連も見出すことができ、ここだけでも主張の証左になり得る重要なポイントと言えます。

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「アイドルマスター シャイニーカラーズ」というゲームにおいて、登場人物たちの日常はほぼ全て「コミュ」として「アルバム」から閲覧が可能です。多くのコミュはガシャから手に入るPカードやSカードに収録されていますが、こちらもおよそ10日おきに追加されどんどん「過去」になっていく。思い出に対する評価の高さは言うまでもありませんね。

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これはシャニマス公式画集の帯にも書かれているシナリオチームの信念の別の言い方ですね。何を言ったところでシャニマスは商業作品ですし、深読みしようがしまいが二次創作しようがしまいが全てのプレイヤーはコンテンツの消費者に過ぎないことを考えると、「面白い/重要なコミュ」「重要な設定」は「いい時」と言えるでしょう。「悪い時」すら劇的な展開を期待できる魅力的な商品と言える場合もあるかもしれません。しかし生きている本人にとって、どのように消費されようがその時間は等しく生を構成する1つのピースです。

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やや余談気味にはなりますが好きな場面をひとつ。
今ここでこの景色を見ていると言う千雪。画面には描写しきれない街の光景が、音が、風や匂いが彼女の五感を通して認識されている。「生きていることは物語じゃないから」とは霧子の言葉ですが、もちろんシャニマスはフィクションの物語に過ぎません。当たり前の事実だしそう書くことに何の疑いもないのですが、同時に多くの一瞬が脳裏に思い起こされもします。そして大体そんなことを考えながら時間を過ごしています。透GRADや霧子LPもこの話題そのものでしたね。

ロジック云々と言った割に比喩をあげつらったに過ぎないのですが、まぁ状況証拠は十分でしょう。繰り返しにはなりますが、4年目のシャニマスは時間経過の「縦」の積み重ねとユニットを跨いだ言及の「横」の積み重ねによって283プロという事務所やシャニマスというコンテンツそのものについて語っていくのであり、それがアンカーボルトソングのテーマの一つだと解釈しています。ここまでの文章でその理由を分かって貰えればこの章の役割は果たされたと思います。

ところでお気づきかと思いますが、アンカーボルトソングの途轍もなく意味深な一幕についてここまで全く引用していません。ということで、次の章で「シャイニーカラーズの見つめる終わり」について述べていきます。なお予め断っておきますが、自分の思想を割と正直に述べるので場合によっては不快になるかもしれません。あと【オ♡フ♡レ♡コ】のTrueについてほんのちょこっと言及しているので、ネタバレが嫌な人は注意の文言が見えたらその部分は飛ばしてください。こういう時スポイラー機能があれば便利なのにね...

テーマ②:死のある生の輝き

アンカーボルトソングを読んだ方は次の発言に驚いたことだと思います。

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言うまでもなく「アルストロメリアの終わり」についての明確な言及です。
ずっとアルストロメリアでいたい。しかし、現実としてそれは叶わない。
彼女らは有限の時間を生きているのだから。
今この瞬間にも時間は過ぎてゆき、いつか蝋燭の火は燃え尽きる。

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とても正直でシビアで、そして誠実な人生観だと思いました。
未来の、アイドルではなくなった時間に対する言及としては劇場版アイマスのPから春香への言葉が思いつきますが、それぐらいしか知りません。そちらも劇場版を象徴する重要なシーンのひとつですが、千雪の発言にはそうした「未来」や「刹那性」だけでなく直接的な「終わり」への視線が強烈にこめられているように感じました。

そして前章の仮説が正しいとするとこれは「シャイニーカラーズの終わり」についての「匂わせ」でもあります。いや。

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そういうことですよね?

シャニマスは今年で4年目に入りました。
16人のアイドル、天井社長、はづきさん、プロデューサーという19人で始まった283プロも周年ごとに追加ユニットを迎え今や28人となり、ファンも携わる人も増えて大きな建物になったものです。
ここまでの3年間の歩みで、彼らは濃密な物語を紡いできました。
それは3年の時間が過ぎたということでもあります。
登場人物たちの年齢こそ変わらないものの作品には明確に時間が流れていますし、現実の人々が年齢を重ねていることは言うまでもないですよね。
3年の時間は、その積み重ねで描けるようになったことがあると同時に、
シャニマスのように時間を重ねる物語の場合、成長の余白が小さくなっていることも意味します。
ええ、わかります。
歌が上手く歌えるようになったり、ダンスを上手く踊れるようになったり、演技が上手くできるようになることも立派な成長ですよね。
でも、延々としたその繰り返しは物語として魅力的に映るのでしょうか。これは美琴WINGが突きつけたアイドルに関する消費活動への皮肉ですが、特にシャニマスのように物語の魅力を商品の柱としている場合、3DモデルやMVが無いことを抜きにしてもその問題は顕著となるでしょう。
彼女たちが、シャニマスがずっと人々を惹きつける存在であり続けるためには常に成長を続けつつ、しかし完成もしないように余白を探し続けなければならない。

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「出来上がっちゃわないように
ずっと大きくなれるように......って?」

思い出は美しい。切り取られた時間の中では永遠のアルストロメリアが、永遠のシャニマスが輝いている。「思い出の中の存在」にされないためには、その思い出に見劣りしないように輝き続けなければならない。それはシャニマスが、アイドルが物語を消費する構造である以上避けては通れないグロテスクな宿命です。
ところでアイドルマスターは今年で16周年ですね。アーケードから始まり、コンシューマ機へ舞台を移しそして今はソシャゲが主戦場。コンテンツの氾濫の時代にあって、現代人の余暇は商業/個人問わずあらゆる娯楽やSNSに奪われています。ここまでの16年は、ここからの5年10年を生き残ることを保証しない。それはおそらく色んな数字が示していることだと思いますが、その証明/反証は本題ではありません。ただ実際、シャニマスがそうしたシビアな感覚を持っていることは散見されます(以下【オ♡フ♡レ♡コ】のTrueのスクショ一枚挟みます)。


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最も印象的なものは【オ♡フ♡レ♡コ】のTrue「今、ここにある光の色は」。ファンの入れ替わりや衰退に正直に思いを馳せつつ、それでも戦い続ける決意表明する二人が深く胸に刺さるコミュです。

思い出を武器に戦うシャニマスは、思い出に負ける恐怖と思い出にされる恐怖と戦っていて、いずれ思い出になってしまうことを知っている。おそらくアイドルマスターが今のままのアイドルマスターならば、シャイニーカラーズというブランドが正式に幕を下ろすことはないでしょう。残念ながら。
しかしそれがいつなのかは分からずとも、事実上の終わりはやってくる。
彼らがやろうとしていることは、終わりがあることを受け入れた上で、今この限られた時間を懸命に生きる彼ら彼女らを描ききることなのではないか。日常の一瞬を精緻に切り取るような描写や、プロデューサーが彼女達の意思やアイドルではない時間のことを尊重する描写が多い理由にはそういう決意があるのではないか。そういうことを勝手にシャニマスの中に見ています。

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この手の話題となるとやはり霧子の引用は避けて通れません。画像は霧子GRAD「お日さま」の一幕で、アイドルたちの「アイドルではない未来」について正面から向き合ったシナリオです。【天・天・白・布】で描かれた「アイドルではない時間」への気づきといい、シャニマスについて考えることのほとんどは彼女に対して転用できるといっても過言ではなく、それは霧子もまた語り部だからでしょう。霧子やこのアイドルとかあのアイドルについて詳しい方は「この話題であれを出さないの?」と思ったでしょうが、そこは完全にネタバレ配慮です。

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many screensエンディング「あげサゲ!!!!!」。幼いファンから寄せられた批判に応えるために彼女たちなりに考えた「死神」の最終盤です。話の展開としては「男」の寿命を司る火を消さぬために彼に生への渇望を呼び起こさせ、観客にはそれを応援させるというものですが、それ自体がアイドルあるいはシャニマスとファンの相似関係であるとも言えるでしょう。またエンディングは無言で笑う果穂と蝋燭を映して終わりますが、彼女もまた限られた命をもつ存在であるということのメッセージだと自分は解釈しています。

自分は、終わりを見つめる作品が大好きです。
そういう思想がどう形成されたのかは雑音なのであえて語りはしませんが。
もちろん観客という消費者の立場だからこそ言えることかもしれませんし、
実際の演者たるアイドルたちに「終われ」と言うことの身勝手さたるや如何ほどのものかというところですが、同時に、彼らにずっと舞台の上に立ち続けることを求めるのも本当に誠実なのでしょうか。彼らにも舞台を降りて誰に目撃されることもない日常をおくる権利があるはずです。アイドルたちはしばしば星に喩えられますが、天体望遠鏡からそっと目を離すような終わりを描いてくれることを祈っています。

もっともSHHisのLPがおそらく来年になるだろうことや新プロデュースモード追加に関するアップデートから考えれば少なくとも来年の構想があることはほとんど確定的なので、流石に今年や来年にシャニマスが終わるとは考えなくて良さそうです。というかちゃぶ台を返すようで申し訳ないのですが、アンカーボルトソングは何も別に「終わり」だけを見たコミュではなく、それを見据えたうえで続いていく、生きていくための物語でもあります。Landing Pointと言う通り一つの到達点を迎えた283プロダクション。おそらくは最後のユニットを迎え7色が揃った彼らは一体どんな「真っ新なストーリー」を繋ぐのでしょう。そのための仕事を、彼らの最後を目撃するまで応援しつづけられることを願ってやみません。

引用
アイドルマスターシャイニーカラーズ
【シャニマス3周年記念】制作P・高山祐介さんが1年を振り返る。波乱のデビューを飾ったノクチルで描きたかったこと


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