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ケチな結婚式の話

私には、ふとしたときに思い出してイライラする出来事がいくつかある。
その一つが8年ほど前に行った「ケチな結婚式」だ。
特に大きなハプニングがあったわけではないが、今日に至るまで事あるごとに記憶が蘇り、地味に私を苦しめている。

今日は、その記憶とモヤモヤの気持ちを文章にすることで、この出来事を成仏させたい。
特に派手なことは起こらないが、記憶をたどりながら綴ってみる。

私の出身地は長崎県で、8年前は大阪に住んでいた。
結婚式は高校の友達からの招待で、長崎で開催された。
その結婚式が親族以外の初めての結婚式だったが(姉の結婚式には参加していた)、最初から最後まで違和感があり、後に数々の結婚式に参加することでその違和感は確信に変わった。

まず、私はチャペルで行われた式には招待されておらず、披露宴からの招待だった。(会場に行ってから「あ、式は既にあったのね・・・」とわかった)
これはチャペルの広さの関係で仕方のないことなのかもしれないが、式から参加している高校の友達(コミュニティは異なる)もいて、その時点であまり気分は良くなかった。

とりあえず、披露宴から参加組の友達と待合室に向かった。
だが、人数に対してとても狭い部屋で、座ることもできなかった(と記憶している)。
そうこうしているうちに、披露宴会場に移動したが、ここがまたぎゅうぎゅう詰め状態。
部屋の広さに対してテーブルも多いし、一つのテーブルにもぎゅうぎゅうに座らされる。
それでもって、料理は大皿料理で、回転テーブル(中華料理でよくある)を回して自分のところに来たらよそう形式。
座ったままでは少し遠く、椅子から少し腰を浮かせないと料理を取れない。
ぎゅうぎゅうに座らされたテーブル(10人くらい?)は、みんながみんな親しい人ではないので、回すタイミングや取る量など気を遣う。

大皿料理の披露宴というのは地域性があるのかもしれないが、長崎で開催された他の披露宴を含めて、これまでのところ大皿料理はこの一回しか経験したことがない(披露宴には十数回ほど参加したことがある)。
コース料理より割安なのは明白だ。

友達を祝うために来たのでこういうことにとやかく言いたくはなかったが、ここまでの時点で「結婚式に対する価値観違いすぎぃ!」と感じざるを得なかった。だが、まだなんとか楽しもうの精神で久しぶりに会った友達との会話や余興を楽しんでいた。

が、余興etc.があり過ぎる。
待合室や席だけでなく、披露宴のスケジュールもぎゅうぎゅう詰めなのだ。
二人のムービーや余興、お色直しなどイベントが目白押しで、主役と会話する余裕などほとんどなく披露宴は進んでいった。
気がつけばクライマックスの両親への手紙。
結局、披露宴では新郎新婦と一言も話すことはできなかった。
かろうじて披露宴後の見送りの場で新郎新婦と写真を撮ることはできたが、ゲストをもてなす心が(あまり)感じられなかった披露宴後の私は、既にテンションが下がり心は真顔状態(顔は笑顔をキープ)。

私の不平不満はまだ続く。
披露宴の途中に、新婦(友達)の兄弟がお車代を持ってきてくれた。
もちろん、家に帰ってから開封したのだが、5000円。
「え、私、福岡から来たんじゃないんですけど?大阪から来ましたよ?」

そして引き出物は食器セット。もちろん、現地配布。
遠方から来た人のことをとことん踏みにじる。
食器セットなんぞ嵩張るもの、実家に置いて帰るしかない。
(わざわざ送料をかけて大阪の家に送りたいほどの物でもなかった)

私はあまり体調が良くなかったため、二次会は参加しなかったのだが(披露宴でちゃんともてなしてくれていれば体調も変わったであろう)、二次会に参加した友達曰く、二次会会場もぎゅうぎゅうで座る場所の確保(立食形式ではない)にも苦労したらしい。
ぎゅうぎゅうなのに幹事っぽい人には「入って入って〜」と急かして部屋に押されるし、散々だった模様。

と、最初から最後まで清々しいほどにケチな結婚式だった。
価値観の違いと言われればそれまでだが、違い過ぎた。
というか、価値観以前に「気遣い」が感じられなかった。
高校生のときはただただ友達でいられたのに、大人になるということはなんとも恨めしいことだ。
結婚式以来、この友達とは距離を置いた。

よくよく考えれば私にも悪いところはあった。
危機管理能力(結婚式に使うのにふさわしい言葉ではない)がなさすぎたし、軽率だった。
というのも、この結婚式の友達とは、一対一で仲が良かったわけではなく、帰省した時にたま〜に数人で会うかなぁくらいの距離感だった。にもかかわらず、プロポーズされたことを嬉しそうに報告してくれたとき(数人で食事)、安易に「結婚式呼んでね〜」と言ってしまった。
私がそう言ったモンだから、友達は(挙式には呼べないけど無理して)披露宴には呼んでくれたのだ。友達は悪くはない。
と言っては見るものの、気遣いもへったくれも感じられなかった印象が強すぎて、残念な思い出となってしまった。

ただ、この結婚式は学びも多く、結婚式への向き合い方を確立する土台となった。

まず、上述の軽はずみな発言を反省し、他人に「結婚式呼んでね」と言うことは無くなった。
また、「どんな結婚式でも祝いたい、お車代がもらえなくても祝いたい」と思える人の結婚式以外は行かないことにした。
そうすれば、ちょっとやそっと私の価値観と違う結婚式でも気にならない。
(職場関係で断ることが難しい結婚式はこのルールを無視したが。。)
この2つ目のルールを早いうちに決められたのは、わたしの結婚式ライフにおいて大きな収穫となった。

それにしても、結婚式とは本当に難しいものだ。
他の長崎の友達が「新婚旅行代はご祝儀で賄えるらしいよ〜」と言っているのを聞いたとき、ぎょっとした。とともに、合点がいった。
あぁ、あの結婚式もご祝儀でプラスにしようとしていたのか。
(ご祝儀のプラス分よりも失うものの方が大きように感じたが。。)
私には理解できない感覚だが、そういう人たちもいるということを学べた。

せっかくの晴れのイベントが距離を置くきっかけになってしまうのは悲しいが、気遣いやお金に関する価値観が合わない人とは、遅かれ早かれ離れる運命にあると思う。
そういう意味では、結婚式は(悲しいけれど)人間関係を整理できるわかりやすい機会となるのかもしれない。

兎にも角にも今回で、この「ケチな結婚式」が成仏してくれることを願いたい。

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