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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』34

 南都『興福寺』別当 定澄 と 道長、対談。   前回からの 続き。
「興福寺の乱暴の限り聞いておったが、これほどの 暴挙 赦しがたい。」
定澄 の要求は、大和守 との諍い裁定への不平の「解文」ご 審議を。と。
朝廷の遣わした「国司」との 揉め事、勢力を増す「寺院」組織は、
「さもなくば」と言うまでに。
「私を脅しても、無駄である。」と言う 道長は、藤原氏の 長者、興福寺 の
今でいう→ 檀家総代…」なのに。
「氏寺との 諍いなど。」考えられない(ことになってる)時代に。
桓武天皇が「寺院」勢力が強すぎる「南都」を棄てて、距離を取って政を行うために『平安京』に 遷都して来て200余年。
「仏に支える身がそれで良いのか。」「騒動を続けるならば、ソチが 別当で居つづけること叶わぬ。」「寺もただではすまぬぞ。」と。
「オープニング タイトル」     今回の 演出  松本 仁志 氏
『陣定』で(→ 視聴者も含め)事件のあらまし説明。中に『興福寺』勢
『朝堂院』前に押し寄せる。
道長は、検非違使 をもって排(退却)させようと、帝に「宣示」発令願う。
武「力」を使っての対処、「そなたらしからぬ考え。」と 帝。
朝廷の威信にかけて-検非違使 に追い払わせる。
急な事態に『藤壺』。 斉信 来て「中宮さま を奥の間にお隠しせよ」
「お守りせよ。」と。言われた女房たち…「どのように…」って困惑。
に、まひろ・藤式部は「清凉殿=帝のところ(が一番安全と)へ。」
と、グッドアイデア。
帝は、中宮大夫(斉信)は「大袈裟すぎる。」と、やはり 帝、大様である。
障子 には「朕の 中宮である。顔を上げて、こういう時こそ、胸をはって居らねば。」と 帝王の 后-中宮 の心得を言う。
右大臣「おいはらってやりました。」と、相変わらずのやつ。…伊勢守 の事はこう言う事態に繋がる…と危ぶむ 左大臣 の考察や心を分かっているのか…。
日を改め『土御門邸』道長、定澄 と対面。寺からの「書状」は受け取らず、定澄 に喋らせる。 興福寺が要求の
1)大和守との抗争の再調査、2)大和守・源頼親 の解任、
3)家を焼くほど敵対している 右馬充・当麻為頼 の解任。の3件は退け、
4)興福寺僧・蓮聖 の公的法会への参列 復帰。だけ(は、認める姿勢で)「そのことだけの申文を。」と。 
帰る 定澄、「一つでも言い分通って良かった」と。いうニンマリ顔、定澄
恐ろしく存在感あって、夢に見そうだ。
道長 かなり…くたびれてる。
御所=『藤壺』にて、書いてる 藤式部。
道長、局に来て、様子伺い。「帝のお心…なんとかならぬか。中宮さま(娘)が、不憫すぎる。」と。このドラマの描く 道長 は、帝の外戚になって己が権利の掌握…より、娘 思う父の願い…での 帝 の心の掌握…に努めている。
そうだったのか、違うのか…、史実…と言われる出来事の記載記録があっても、人の心の本当のところは、判らない。
身近に上がり、少し知り得た事々から、まひろ・藤式部は「中宮さまのお心がひらかねば。」「あせられませぬやうに。」と。
道長 は焦っていて「もう6年だぞ。」「おまえが頼みだ。」と、頭を下げる。で、我にかえって、書いているところを!「邪魔をした」と、気遣い。(去り際、弟のこと。聞く 道長。)
女房たち、左大臣 さまの局訪問にうわさ話し。ひたひただとひそひそと。
年明け。倫子 出産、で、寝込む。
中納言 斉信 の 屋敷焼ける。
帝、蔵人の3名の欠員に、伊周 の息子( 君だった) 道雅 (16歳)を立てたいと。 その機に 道長「年長の者として」と、今は 中務省の内記 である-(まひろの弟)惟規 を推挙、任命。
伊周、帝 は我が方にお味方…良かったと喜び「この機を」と。息子 道雅 は
「お勤めはしても、父上の 復習の道具にはならない。」と。
「姉上」って、六位蔵人 の 緑色の装束の 惟規 が『藤壺』に。
「左大臣様のおかげよ。」と。惟規 が気になった案内の女房は 道綱 の娘。
「六位では、かなわぬ恋…」という弟に「夢を持て」「それが、私の夢」と。この会話の終わりで既に 惟規、賀茂斎院 の女房との恋愛事件『木の丸殿の説話』の予告…口にする。「神の囲垣も越えぬべし…」は『伊勢物語』の歌が有名で、このドラマでも「第5話」で、道長 がそれを踏まえた歌を。
当時「この恋の為ならどんな難関も恐れない…」と「(恋)歌」の常套句
であったもよう。
へ、中宮・彰子 さまお越し。「藤式部 の局が見たい」と。で、人払い。
初めてのことに「えっ」となるお付きの女房。
中宮 の来訪は「物語の おもしろさ が解らぬ。」「男たちの 言ってることも解らぬ。」「光る君 が 何をしたいのかも。わからぬ」の 答え・説明 を聞きたくて。「帝は、この話の どこに惹かれておらるるのだろう.…」と。
そこに、敦康親王 が迎えに来る。(きっと、人払いされた女房の、中宮さま「呼び戻し」の一手。)              中宮 は「また来てよいか?」と。
彰子 にはまだ男女のこと、恋すること、分からないこと…のようです。
『源氏物語』とは呼ばれてはなかっただろう、藤式部 が書く『物語』が、宮中で広まっていく。
…衣を残し寝所から抜け出て逃げられた話=『空蝉』を 妻と読み、「とんでもないなこの男」と言う 公任 に「あなたも。(そんな感じよ)」と 妻。
行成 は、独りで。 斉信 は、寝床で、二人で、嬉しそうに「おもいみだれることも」という箇所を繰り返し。 『藤壺』の 女房達も。読み聞きしておじゃった。
なある日、藤式部の局に、帝まで来た! 来て、媒従に「よい。」と下がらせらる。 「なぜこの 物語を書き始めた?」のかが、ぜひ聞いてみたくて。 藤式部、正直に「左大臣 さまからおひきうけ。」して、帝 のこと「あれこれというががって。」「書いているうちに 帝 のお悲しみを肌で感じるように。」と言って、あっ。(また正直に全部言ってしまった)と。 帝「この先は、」に「一言では。」と 藤式部。
「朕に物怖じせず、ありのまま語る者めったに居らぬ。されどおまえの物語は。朕にまっすぐに語りかけてくる。」と(の、感想)。
帝も「また来る。」と。    (「私ではなく、中宮さまに来てよ。」は、皆のつっこみ)  『飛香舎』正面「南庇」で、夕日の中、中宮さま 独り。『土御門邸第』「『上巳』の払い」の日。『曲水宴』開催。
「作詩」の 御題が出て、まもなく、俄に雨。皆を 屋根の下に。
『上巳』の『俄か雨』は、
『須磨』に都落ちした 光源氏 が、今日は『上巳』だと、海辺で「祓え」をして、「罪という罪もないのに」と口にした途端に起こった 嵐。津波 かとも思われる 波浪に、落雷 火災 まで起こる 暴風雨 に襲われる『源氏物語』『須磨』帖にある「取り合わせ」。 花に嵐、晴れ着に雨、雅に風 は付きまとうものとして好まれたもよう。
春の土御門邸第、華やかな舞台に、公卿、女房、雅楽の楽人 等々も揃えた
大人数のシーン。見事な演出。
道長、俊賢、斉信、行成、が、雨を避けて来たのは、当然「母屋」で、そこは、中宮 の御簾前… いや、ここは「主屋の東庇」で、西側の御簾の向こうに 中宮 の御座。この騒ぎに中宮はそこにそのまま居られるとは思ってない面々=中宮 が見聞きできること知らずに、旧知 旧友 仲間 の 談笑 雑談。 
中宮さま 御簾前に控えていた 藤式部、そのまま、四方と話す。
(式部は、四方の話すのを 中宮さまが 見聞きするのを良い機会と思って。)
俊賢、藤式部に(主人公を)「なぜ源氏にしたのだ?」「読んでいて、父を思いだした。」と。そう、俊賢 (および明子)の父 源 高明 は、後世、光源氏のモデルの一人と言われている。
式部は、「どなたの事だとお憶いされても。誰が誰とお思いになられても、誰でもかまわないのです。」と。 斉信は、「光源氏は俺のことかと。」と思ったと言い-一同 ( 笑 ) に。
天気、戻って、「ホケキョ」。
庭 ( 寝殿の「東対」前の鑓水で行われている。)に戻って、また宴に。
12日夜のNHK『百カメ』という番組は、『光る君へ』の制作現場にカメラを入れていた。  ほぼ初めての平安時代のセット製作、寝殿造りの再現。贅を極めた当時の衣装制作、どれもいろいろ大変なことと思う。そんな中の「35話」は『曲水の宴』at『土御門邸第』の庭、と、ひときわ作り込みが大変な回。その舞台裏を見せてくれた。 中でも時間が割かれた「遣水に流した木製の水鳥型『羽觴』」の話。撮影のは、発泡ウレタン製。より自然に「流れる」演技…させるために、1つにだけ 電動の仕掛けが用意されていた。   今回は、演出部 所属5年目の新人さんの 演出・監督の、初舞台。
なのも「番組(百カメ)」を成立させる要点。緒先輩との会議からの制作のプロセス、苦心、苦労の末の撮影本番であった。
既に本放映された映像の「裏話」で、現場のこと、いろいろのご苦労、皆さんの頑張りよ~く見えました。  本当に凄い総合芸術・共同制作。 
一点、気になったのは、遣水を盃を載せたデコイ=『羽觴』がうまく流れるかどうか… ( は、この百カメ中でもメインの扱い。デコイ制作者は、ひと月余の思考試作実験工夫を重ねて来て、使われるかどうか…の電動デコイの、もしもの出番に備えて控えていた。) で、「ここは、電動ので」となった撮影。 1回目のテイクで「Ok」となり撮影終了、あっけなく。は、呆れてしまった。 「再撮」の1回、やり直しに時間や経費が掛かりすぎる!ものなら、まだしも、あと2、3カット撮影しておいて、「一番良いの」を使う…のでは… なかったことに驚いた次第。 名だたる俳優さんたち…でなく、物言わぬ小道具の鴨…だから却ってなのか、注目も少ないであろう…と思ってなのか、撮り貯め もったいない…か、…鳥、ダメ なのか。
本当「はて」なのは、降らせた雨に濡れた衣装を乾かし、カツラ、メイクを整えての撮り直し…に比べれば、河童の川流れ…いや、デコイの遣水流れ、何度か取り直してもバチ当たらんと思います。
年齢からしても、(は、失礼か、) ご 経験で、今の1回が、この世、この機会での ベスト だと、なぜお判りになるのか…が気になりました。
( 出来ること、し尽くしての、ベストを探したい、求めたいって思う自分が、面倒臭い、手間や金のかかる、思い切りや諦めの悪い、低効率で、貪欲な 古い人間…なのかなーとかとも思いながら。)
ドラマの『曲水の宴』では、赤染衛門 の夫 大江匡衡 の詩が詠されていた。
御殿の中、彰子、藤式部に「父上が心からお笑いになるのを見てびっくりした。」と。きっと初めて見た 父の姿だったのでしょう。
藤式部、空かさず「男とは、かわいいものでごさいます。」と。「帝も?」と聞く彰子に「帝も男子、公暁方とさほどと変わりない。」「お顔をしっかりご覧になって、お話しされたら」と、働きかけを 働きかける。
後日、『藤壺』。藤式部、局で、独り、あの「扇」を取り出す。
本当に…絵のような…思い出。「小鳥を追って出会ったあの日から、(まひろとサブロー)恋しいあの人とずっと一緒に生きていたら、とんな人生だっただろう。」と思ってみる。-まひろ自身にも無かった視点、あらたな物語が。 そんなタイミングで欄干に「雀」。横には幼い 少女の幻影。
そう「逃げた…小鳥…」からの『若紫』書き始まる。
「雲」カット挟んで、 
道綱 の 屋敷焼ける。    ここで挟む 物陰の 伊周 。…やらしい。
敦康親王 病に。彰子 が看病。
『藤壺』へは来ないでいた 伊周 が、いよいよ、この時ばかりは!と、見舞いに。持ってきた源為憲の『口遊』。親王は「要らぬ。」と! この伯父・甥に親しさは無い。そこに 左大臣 が来たら、親王、道長 のところ袖の内に。
伊勢、大和の情勢、斉信 や 道綱 の屋敷の火事、親王 の病、不吉な事が続き、道長、『御嶽詣』で決断。
青年に育った  息子 頼道 登場。 「私もご一緒しとうございます。」に、
日々の浴を断つ「百日の潔斎、出来るか?」と問われて、一瞬の戸惑いありつつ「お供したく。参ります。」と。 内心、父は喜んでいるのだろう。
「最初で最後の」と一世一代、自ら死ぬ覚悟での大峰山詣。「中宮の懐妊」への祈願でもある。
中宮 に挨拶して、翌日 出発。
左大臣 の留守の間に…「またとない機会…」と、伊周 なんか 計画。
白装束 の 俊賢、頼道 と 道長 、一行、大和・大峰山 へ出立。
事実、道長 が、埋めた『経筒』もちろん 道長 自筆の「経巻」が入った
金銅製の納経器が、大峰山、山上ケ岳頂上=大峰山寺から、出土-発見されている。

附、 前回、まひろ式部の「物語は女子どもの…」って(僕が)唐突な
(と思った)発言-台詞、やはり…でした。   ネット上の解説の中に
『NHK大河公式ガイド』の「あらすじ」とか「解説」と、「放映」された
のとの違い。と書かれたのがあって、=「ガイド本」にある元の「台本」と、撮影や編集を経て(手直しなのか、何かの都合で)変わっている箇所、ズバリ 帝の「皆にも読ませてやりたい」への藤式部の返答に「挿し替え」があった。とのことです。 差し替えて、変になった。 も変ですが。

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