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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏 『光る君へ』3

あっという間に もう3話目… という感じです。
『東三条』殿…は、『源氏物語』でなく『枕草子』の研究書に出て来ていの聞きかじり、聞き馴染みでしたが、「詮子」を指す前の期間は、藤原兼家の邸宅。 この時期時代の邸内の人々-兼家右大臣の家族が「一緒に暮らしていた期間もあったのだった…」と、感慨ある面子…でした。 …既に第1話のみで 道長の母「時姫」は逝去していて。
「道長」=「土御門」殿となるのは、まだ先のことですね。『紫式部日記』
に出て来るのは(道長が婿入りして、引き続いだ(旧競争相手の))「土御門」御殿なので、歴史も、物語も、熟知でないと… いや、なんとなく齧っている人間には、かえってこんがらがって…。 
本当にあったかどうかですが、長兄の「道隆」が妻と娘を連れて来ていて、
実家に下がっている「詮子」と帝の子-次期東宮「懐仁親王」と遊んでいるシーン、それぞれ育って「一条帝」と「定子」となる二人が既にここに登場し、顔見知りに。気心も早くから通っていた…という設定ですね。
清少納言が『枕草子』に書き留めた「定子」サロンの栄光と、直接は書かれていない悲劇、15年ほど後の「道長」の(兄の娘)姪「定子」への冷遇というか追い落としを思うとこのシーンの「おかし」が「あわれ」に。
家族間、兄弟同士での権力争いの平安時代、「本音と建前」の乖離が伝統となっていく「日本」の育成期…ですね。
まだこれから登場してくる清少納言(の居た定子サロンの何回か…)が待ち遠しいです。
というような、「史実」と「物語」の展開は、優秀なウォッチャー方々にお任せして、ココでは、大河ドラマに織り込まれた『源氏物語』について、にしておきます。 と言いながら、
右大臣の息子  道長と、大納言の息子  藤原斉信、関白の息子  藤原公任、の
三人が「今宵は宿直もないだろう」と詰めている部屋…での、「付け文」の開陳。即刻『雨夜の品定め』から…と書かれていたりです。違ってはないでしょうが、このシーンはもっと日常的なことかとも。(あんなに)丸められた「文」は、イタリア男の挨拶代わりのプロポーズレベルかとも。
より気になったのは、3人で話しながら1人が、壁に向かって…何をしている?数コマ。-飲み水を注いでいたのですが、その碗やら瓶を置いている机
を、あんなに壁際に寄せて…というより壁につけて配置するのかな、平安時代、宮中で、と思ってしまいました。 ちゃんと考証されているのでしょうが、少し…現代のワンルーム暮らしの家具配置の感覚では…と思ったり。
「棚」類は、壁につけて配するのも多いですが、机は、四方に空間が伴う什器という感覚があります。
物語-台詞に関してになりますが、?は、まだあって、
安倍晴明は『祈祷』はしません! 「祈禱」は僧侶のお仕事では。
『祓』はしていたかと。「神」と「仏」の役割、いまよりずっと細分していて際立っていた時代です。
と、まひろが口にした「間者」。スパイの意味で使われていました。
当時のその存在は否定しませんが、「偵察係り」の呼称で、まひろが口にする言葉だったのかな…と、ちょっと違和感。 
土御門殿、左大臣家倫子の教育に赤染衛門を迎えてのサロンに、まひろデビュー。
『偏つぎ』で「漢字」の才を披露…というか、自身の知識に日の当たる喜びで、周りが見えていない純心さ(というか、「空気読めない」)若さを描いて、「漢(おとこ)字の「一」さえ書けない」ふりをしなくては…『日記』に至る、上流階級との出会いが始まりました。
まひろが繋げた「明」「枯」「諸」「詩」「敗」という漢字、ちょっと不思議なセンス。 脚本で「選ばれた5文字の意味」とか何かあるのでしょうか…。 

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