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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』35


 道長、『御嶽詣』⇒ 吉野・大峰・金峯山へ。
『藤壺』 旅の無事を願う藤式部。
「タイトル」              演出  中泉 慧   氏
伊周、なにやら企み中。平 致頼 が居る。右大臣 の推薦で 伊勢守 の官を得 たが、道長 の反対により、すぐに解任され=恨みアリ。を呼び寄せている。
道長 の出立に合わせて、平 致頼 も先発。 伊周 は「11日に会おう」と。
「11日」は、納経筒 に彫られた「奉納日」で、その日に「御嶽詣で」の
目的は 達成される。同日の下山途中を襲う計画? 今の中宮・彰子の 懐妊(による=甥・敦康 親王 の行く末への心配、)対策/妨害なら、『金峯山』に「納経」完了させてはいけないんじゃないか? と思う。なぜ「11日」。
何かやらかしそう…を、弟・隆家、察知。 兄・伊周、自分から「聞くな」とゲロる 隠し事。  伊周、隆家、の動き、史実としては、グレーな展開。
道長 が一行、吉野(?)の山の雨。 ロケ場所、選定、良いですね。
雨 も見事に降っている。「雨屋さん」なのか「CG」か、併用なのかな。
伊周 の方も…えっ、山 に行くの!
映像、すごい崖、岩の壁。(吉野・大峯の現地に、あの広さの岩壁の中段を水平に通る道、みたいな箇所、は無いかな。)
吉野山・金峯山寺 でだろう、白装束で食事。頼道 と 道長 左横に『経筒』。
* 奉納の『御経』、床に、直に(布は敷いてあったが、)置くのはダメ
でしょう。 道長 本人が、年月をかけて 書写・謹製してきた、有難き 尊い「御経」。当時の人々の 信仰心、崇め方が、現代の撮影現場の スタッフには、はかり知れんのでしょうね。  経机、机臺、畳台 とかの上に置いて、自分たちが「足裏」で踏む-同じ「床」には「触れさせない」ようにして
いないといけません。信心 の 無さ 露呈。(いや、知識・造詣の無さか。)
「もうよい。」と食の進まぬ道長。-潔斎…でか。
「もう少し召し上がられませ。」と 俊賢、「見事なご 嫡男に。」と
頼道 を褒める。「甥・頼宗もよろしく」的に話してきた 俊賢 に 道長、良い機会と、兄から「 明子に張り合うな。」と、言ってくれ。と。釘2本刺し。
『宮中』帝 と 藤式部。「夕顔の女は、なぜ」問題。
『物語』の 廃屋の女の幻 は、その廃屋に憑く霊なのか、六条御息所 の 生霊なのか、千年来、研究者の諸説、断定されていない。 ドラマ の 帝 はそれを、執筆者本人 に聞く。藤式部 は「生霊」とはっきり答えるが、「誰の」は、ぼやかす。「人の思い」のパワーの話しから、帝は、御嶽詣 でまでして娘 の懐妊を祈るとは…と、気嫌っている。定子の兄・伊周 からも「お子を」のプレッシャーに 嫌な思いをして来た 帝。に、式部「左大臣 の思いは 女としての幸せを願う 親心。」と 。「それで御嶽詣でまで」!って 帝 に「そのようなこと に 命 をかけるのが「親」の心」と 式部。
今の 吉野山・金峯山寺から 山上ヶ岳・大峰山寺までは 22Kmの尾根道・稜線 登山。岩の飛び出た崖、岩間、よく「鎖場」と呼ばれる難所攀じ登る。
鼓笛隊…みたいなBGMに、「ウオーク、ウオーク」ってコーラス! 岩場から 
俊賢 落ちそう。何度も踏み外し 烏帽子を落としたり。前の 頼道 が手を伸べ「ファイトいっぱつ。」『 リポD 』の オマージュだそう、ネット上。
『リポD』CM、崖とかロッククライミングとか橋とか相方が落ちそうになり、腕力で引き上げる、攀じ登るパターン、多かった。
都 を発って九日目、八月十一日 山上ケ岳・大峰山寺、本堂で「法要」。 
山頂 に 御写経の「金銅経筒」納入。鏨で彫られた起請文に「十一日」とあり、この日に遅れるわけにはいかなかった。 のロケ現場の、山の雰囲気、
実際の『山上ヶ岳』の様子とけっこう合っていて。背後の山の姿も、本当に大峰山で撮影…したかと思う出来(稜線、その「距離感」や樹相、等々)。おつかれさまでした。
道長 の帰路を待ち伏せの 伊周組。 伊周も居る!ここまで来ちゃうんだ。
平 致頼 の兵、矢をかまえる。弓を 引き絞る 音 すごい 緊張感。
射られたら最後…の標的・道長 のところに、隆家 が「急がれよ」と現れて。 バレたか!と、隠れる 伊周一団。    このドラマでの流れ。
「さきほど、落石があって、ここは急いで通られよ。」と。一行 を逃がす。
山中の池の畔、伊周と 隆家「おまえが起こした花山院の件、あれから何もかもが…。」「だが、恨んだことはない。が、ここまで邪魔をするのはなぜだ。仇か?」と言う 伊周に、兄を「大切に思うが故。花山院の件すまなかったと思う。だが、憎まれても止めねばと。これが詫びなのだ。」と 弟。
伊周「帰ろう」と。御嶽の山中。恨み妄執、落ちたか。蔵王権現 のお力で。
は、あくまでも、このドラマで 創作されたストーリー。
『藤壺』道長、中宮 にご挨拶。 金峯山寺 の『護符』。
で 起きた 不思議! 道長 が 中宮 に渡したソレは、折り畳まれた『護符』。
紙裏に透けた-書かれてあるのは、何とは判じ難い文字の一部。「梵字」でもなさそうにも。 を 中宮、くるり!と 回して 受け取る ! って。
自分の 娘 だが「さま」付けで敬って扱う 中宮 に、左大臣 が「天地」を逆に
物を渡す(「下賜」の体)などという事は、ないだろう。 中をお見せする時点で、中宮さま から見ての「天地」に合っているはず。それを、ひっくり返す…って 中宮さま~。たしかに「どっち」が上?こっちが下?判らない 畳まれ物だが。「演出」というか、ここでこの「所作」なんで 要るのだろう。   
「なにこれ…」と思ったてら、敦康 親王 も「なにそれ。」と。道長「金峰山へ中宮さまのご安寧、お幸せ、の祈願にまいりました。」と。 
藤式部『局』「お帰りなさいませ。ご無事で。」「つづきは?」に
「昨晩ひとつの巻き」出来たと。 見ようとする 道長 に「お疲れでは、」と見せるのを躊躇う 式部。 なのは『若紫』として書いた「小鳥での出会い」=二人の、あの時の 出来事=出会い(と少女にあった 恋心)を書いているから。と同等に、光源氏 と 藤壺 への不敬、皇后の不貞、とか、まひろの 道長 への 想いの来し方、も暗に書かれてあるから。
その場で読んだ 道長 の「当時のお前は…」に、式部 自分で「嘘ついたり、作り話したり、」と。道長 は「 跳ね返りであった。」と。 道長 が つづきを読む時間の 挿入画面「藤の花」の 咲いていくアップ。『ことのあとの 藤壺の宮 のおもいみだれ。』 また藤の花のアップ。なぜ、季節外れの「藤の花」? 使われて、何を象徴?代弁?して、させて、いるのだろう…。
『藤壺の妊娠』「なげかわしい宿世に…」の 藤壺 の詞、
道長、「この 不義の話しはどついう心つもりで?」と問う。
「我が身に起きたことは物語りの種。」という答えに、「おそろしい事を申すの。」「おまえは、不義の子を産んだのか?」と道長。
ネット では、カタコ の事、自分の子 という事 と 思ってる? 気づいてる? どうなの 未知なが? 道長? と盛り上り。  大石さん、ちと…めんどくさい。
「物語に書くと、まことかどうかもわからなくなる。」という 式部 の物事処理 は、受理。     道長、「預かっていく。」。
紅葉した木もある 渡殿。 敦道 親王 亡くなり、あかね、嘆く。
式部、寄り添って慰める。「為尊 親王さま、敦道 親王さま、私がお慕いする方の、お命を奪っているみたい。」の嘆きに 式部「思い出を書き残されたら」と提案。「書くことで悲しみを救った」のは、道綱の母、清少納言。
惟規、逃げて、築地を飛び越えて「斎院」の中へ。斎院 の女房・中将の君 と抱き合う。捕まる。  ここの 式部と 惟規 の会話も、惟規 が 姉 の 道長 との関係の事実を知っていた、知っている、等々見方いろいろ(になるように誘導?)あって、大石ぼかし、めんどくさい。ので、割愛。
「どうやって?」斎院 から出て来られたか聞をくと、忍び込みを見咎められ捕らわれた時に、「 神垣 は 木の丸殿 にあらねども 名のり をせねば 人 咎めけり 」と、古代の 天智天皇 の隠遁生活時代の 故事 を踏まえた歌で即応したこと、その歌を聞いて、斎院=選子 内親王さまが、侵入を赦した。との事。
式部、この話で(また)なんか想いつく! 書く。
深夜、廊下に出て、男を引き入れている  宰相の君 と、出くわす。
その男、式部 を見つけて「物語を書く女はそなたか?」と。宰相の君 は、
「尊いお仕事を任せられておられるお方なのだから。」と引き留めて「私たちはトオトクないことにまいりましょう。」と。これは 皮肉 なのかな。
中宮 御前で「物語」=読み聞かせき。 は、書かれた物を「物語」と呼ぶようになった理由-語源でもある-読み手と聞き手での「当時の読書」形式。
『若紫』の、光源氏 が 若紫 と一緒に寝ている事についてのあたり。(筆者の前で…)各女房-それぞれの 感想として、うまく(現代の評価も交え)
見方 を並べて言う。曰く、無茶する源氏、救いの人、自分勝手、欲望での行動、他に良い方法はない、等々。
物忌み で 敦康 親王 来ない。ので、女房たち別の仕事に下がる。
中宮 と 式部 二人に。中宮「若紫は私みたい。」「このあとどうなるの?」 「どんな物語がよいと?」との式部の問いかけに、「光る君の妻になるのが良い。」「なれぬだろうか。」「なれる様にして。」と。
( 彰子が「若紫」みたい…とは、思えない…のですが、何でしょうこれ。)
「帝 にまことの 妻になりたいと仰せになれば。」のアドバイス。
私 ではではない。などと仰らないで、自分らしさ を表に、「いろいろなことにトキメク御心もお持ち。その息づくお心の内を 帝 にお伝えくださいませ。」に、 帝 お渡り。
親王 が来て居ないこと察知して、帰ろうとする帝に、中宮・彰子「おしたいしております!」と口にして、泣く。
突然の告白に、帝「また来る」と。 思わず心を露わにして、泣く中宮。
年の暮れの ある日、雪 の降り始め、
元日 の次第予定の 奏上のあと、帝「御嶽詣 でのご利益は、あったか?」と
道長 に尋ねる。「いまだ(分かってない)」に、帝「今宵 藤壺 にまいる。」 と。
『藤壺』お仕度おしたく。女房 達 かいがいしく。待ちに待ったこの 年月。
帝 のご訪問、すこし雪。 前栽 に 積りはじめの 雪 。
大きな 結晶。技術スタッフさんの労作。 こんなに複雑な 込み入った
構造の 分厚い結晶……。 平安時代 の 京都 には降ったのかな。
結晶単体 で 降る 雪 は「粉雪」。より 寒冷な 気象条件で降る 雪。
彰子に「いくつになった?」と 帝。「はたち」との答えに「いつのまにか大人になった」と言う 帝 に「ずっと大人でごさいました。」と 彰子。
泣かせ上手です、大石さん。 
アワレナリと感じたでしょうか 帝 「寂しいおもいをさせてすまなかった」と優しく抱く。
『藤壺』の 外廊下、「三日月」を眺める 道長 と 式部 。
あの高さで、左下が丸い=弧の「三日月」、『下弦』の三日月は、
いつの時代、何月であっても、その時間、午前3時以降夜明けまでの月。
な、時間に、二人で話す二人。が見とがめられて、その刻限から、仲が疑われる(の仕方ない時間だろ)。

道長 の、サブローだった頃からの お供「百舌彦」、下男 から 使者、陪従 に
昇進してきていたが、『御嶽詣で』では、映らなかった。まだ居るよね。
と思ってたら、思わぬところで目撃しました。「なんか、このせりふ回し…なのか、声、もしかして…」と思って、よく見たら、俳優・本多 力 さん
「トップに昇らんとする人間のとりまき、従者 的な役柄、オチ付き。」が 同様。で、大学病院 の 脳外科医 やってられました。『スカイキャッスル』次回-木曜9時、「最終話」です。

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