日向坂は青春の馬の夢を見るか


※1/20発売の「3年目のデビュー」円盤を視聴したのに際し、一部加筆・修正しました。なお、内容についてはネタバレ部分が多いので視聴前の方の場合はご注意ください。(1/20加筆)


 先日書いた欅坂の映画に続き、今回は日向坂の映画の感想を書きます。作品としての印象は非常にテレビ的というか、事実を客観とメンバー自身の言葉に触れながら時系列とともに並べてはいるものの、その事実の連なりが一連のストーリーとして綺麗に構成されている印象を受けました(ちなみに制作はTBS)。なので、作品、というよりは「番組」だったなと。日向坂自体がとてもテレビ的であることを含め、以下、感じたことをざっくりと羅列していきます。

※上記は欅坂の映画の感想noteです


ひらがなけやき と ながはまねる

 映画の冒頭は、加藤史帆さんの「私達っている意味ある?」というインパクトのある言葉から始まります。その他にも「先が見えない」「前に進めなさすぎて」というメンバーたちの言葉は、ひらがな時代の彼女らの状況を彼女らの言葉で表現したものといえます。

※上記は正確には映画予告での加藤史帆さんの発言ですね、劇場版の本編には登場していなかった文言だったと記憶しています。(ディレクターズ・カット版には入っていたかも…?)(1/20加筆)

 ひらがなけやきは、長濱ねるさんが欅坂に特例加入する際に設けられた、「アンダー的な立ち位置」としてのグループとして生まれたという経緯があります。が、この明確に「アンダー」とも言えない微妙な立ち位置としてのグループの存在が、ひらがな時代での彼女らのいわゆる下積み時代としての3年間を生む事になります。長濱ねるさんから始まったこの「ひらがなけやき」から、彼女が離れて欅坂専任になるまでが、この映画でいうところの第1部として描かれていたと思います。

 欅坂から見たけやき坂については欅坂の映画からは語られることはなかったものの(内容からすると「欅坂」の映画だったため至極自然でしたが)、けやき坂から見た欅坂の存在は、「憧れの存在」という表現が相応しい描かれ方でした。1期生の合格者11名+長濱ねるさんによる最初のけやき坂のアーティスト写真撮影の際に、佐々木久美さんが「アイドル(1/20修正)と話しちゃった…!」と初々しいコメントをしていたことからも伺えます。

※こちらの顔合わせ時の佐々木久美さんと長濱ねるさんとの会話は、後述のZeppツアーでの様子も含め以前Youtubeに上がっていた1時間予告編の方に入っていました。記事執筆時はごちゃまぜになっていました…(1/20追記)

 しかしながら、握手会になると欅坂との目に見えた差を見せつけられ、長濱ねるさんもまた欅坂との兼任で心身をすり減らしていく様子がこの時期はまざまざと映し出されていました。欅坂のレッスンの風景を、スタジオの後ろでただ見つめるだけの機会もしばしば。ZeppTokyoのひらがな単独公演の際には、明らかに疲弊した様子の長濱ねるさんの表情が、曲中でも隠しきれずに表れてしまっていました。欅坂の運営は、兼任という明らかに負荷の高い体制がいつまでも続くはずもないのは容易に想像できたとは思うのですが、もっと前に救えただろうなとは個人的には思いましたがね…

 結果として長濱ねるさんは欅坂専任となり、11人でのあゆみが始まることとなります。このねるさんの離任は、けやき坂にとっての最初の試練だったと言えると思いますが、それにより一層けやき坂としての結束が高まるようになっていったのがこの時期に得たものだったと思います。

 ただ、長濱ねるさんが欅坂専任に決まるまでの期間で、けやき坂メンバーと長濱ねるさんとの信頼関係もまたより強固なものになっていましたし(リハの様子やライブMCでの掛け合いなどからもそれは伺えます)、Zeppツアーでは彼女も輪の中に入って一つのチームとして笑顔で過ごしていた様子が映っていたので、両者にとってこの離任は仕方がなかった結末ではあっても、お互いを強くする結果になったのかなと思いました。


期待していない自分 が 走り出す瞬間

 長濱ねるさんの兼任解除より時を少し遡る2017年8月に、けやき坂の2期生9名が加入します。活動開始から1年に満たないタイミングで発表された「追加メンバー募集」の報は事前にリハの段階で見てしまった事件の部分も含めて触れられていましたが、彼女らにとっては新メンバー加入が「自分たちが力不足なんじゃないか」と受け取る面もあったようでした。

 しかし2期生にとって、とりわけ多く触れられていた小坂さんにとっては、「けやき坂」に憧れて入って来た面もあり、彼女らがステージデビューする日本武道館3daysにおいても富田さんが「1期生さんはすごい先輩だなと思いました。私もあんな先輩になれるかな」といった言葉をライブ後に漏らしていたように、1期生へのリスペクトは大きいという面が伺えました。

 この武道館3daysから始まった2018年という年は、冠番組「ひらがな推し」、「KEYABINGO!4」、舞台「あゆみ」等を経て、デビューアルバムである「走り出す瞬間」をリリースする、けやき坂としての集大成の年になりました。(3期生の上村ひなのさんの加入もこの年です)

 「いつも僕だけ1人 うまくいかないのはなぜ?」「いいところ何もない 僕に何ができるんだろう」といったマイナスな感情を吐露する歌詞は、ひらがなけやき自身が置かれている状況を反映しているとも読み取れます。そこから、「期待しないってことは 夢を捨てたってことじゃなくて それでも何かまだ待ってること」といった、目線を上げて戦う姿勢を見せ、再び走り出していく決意の表れが描かれているように思われます。

※上記のMVにおいても、サビ終わりの部分は文字通りメンバーが走っています。(1:08~,2:12~,3:27~)

 ひらがなけやきはこの2018年を機に、欅坂とは一線を画す方向に舵を切ったように思われましたし、「ハッピーオーラ」というアイデンティティ(より正確には彼女らの明るさや人となりから生まれた副次的作用)を自覚し地に足つけて走り出す、培ってきたものが着実に花開きつつあることが実感できた時期だったのかなという描かれ方でした。


日の当たる場所へ

 2019年2月11日、Showroom生配信番組でもって、ひらがなけやき→日向坂への改名が告げられたところから、「日向坂46」としての歩みが始まります。映画の3/4あたりのブロックの時間帯は、この「日向坂」として歩み始めた中で、小坂さんのセンターに伴う重圧と苦悩、それをチームで支えるメンバーたち、柿崎さんの卒業、といった出来事や語りを中心に、新しいグループとしての船出と長き道程の始まりとしての、起承転結における「転」にあたる時期を描写しています。

 このブロックで印象的だったのは@JAMにおいて小坂さん不在の中代理センターを務めた加藤さん、河田さん、丹生さんの苦労と、同年の3rd記念ライブで初のライブフル参加という壁を乗り越える上村ひなのさんの姿でした。前者の方は、3名ともライブとしては手応えが良くなく、身を以て「センター」の感じる重圧を感じた様子でしたが、ここで「センター不在」という経験をしたことは、後のDASADA記念ライブでの羽ばたきにつながる道筋になったのかなと。また、後者の上村ひなのさんについては、不安を吐露しながらも先輩たちに支えられながら次第に成長していく様は、次世代エースの誕生を予感させるものがありました。


青春の馬と日向坂の夢

 映画の最後のブロックでは、「日向坂」としてのレゾンデートルを模索していた彼女らが、『青春の馬』に一つの解を見出す点を、青春の馬の振り入れからDASADAライブで濱岸ひよりさんが復帰するステージを含めて描いています。欅坂の振り付けも行っているTAKAHIROさんは「日向坂は「包み込むような優しさ」で背中を押すような、今の彼女たちだから、今の彼女たちにしかできない表現」と、青春の馬の世界観を表現していました。

 DASADAライブにおいて、約半年間活動休止していた濱岸ひよりさんが活動復帰し、この青春の馬が復帰後初ステージとなったわけですが、この曲において代理センターを務めたのは、小坂さんをよく知り支えてきた金村美玖さんでした。(小坂さんは映画の撮影で不在)状況としては半年ほど前の@JAMと同様にセンター不在というものでしたが、この時にはそれぞれの代理センターが各々の役割をしっかりと果たし、グループ全体としての強度が増したことを証明していたと思っています。青春の馬の大サビ前、濱岸ひよりさんの手を取り共に舞う金村美玖さんの頼もしい姿はまさしくグループとして成長してきたことの証と言えるのかな、と思わされました。


作品としての「欅坂」とテレビ的な「日向坂」

 この映画を通して感じた点としては、欅坂の映画が映画的手法で作られた「作品」とするなら、日向坂の映画はテレビ的手法で作られた「番組」のような作りをしているな、という点です。映画が非日常とするなら、テレビは日常というか、そういう意味でも日向坂の映画はドラマチックな場面もほぼほぼ無く、淡々と、しかし具に個々の出来事を「放送」していた印象でした。

 日向坂の彼女ら自体も、「自分たちの役割は人々を笑顔にすること」という役割を強く意識している部分もあるのか、泣くことよりは笑うことが画に映ることが多かったですし、井口さんが卒業を告げるシーンにも象徴されるように「悲しくても笑う」ような部分は多く見られたように思います。ひらがな時代からの流れも含めて、彼女らは自分たちの現在地点を把握する能力が非常に高いと感じていて、それ故に彼我の差を自覚し落ち込むこともあったのだとは思いますが、現在ではその能力が「ひなあい」であったり他の外番組でもいかんなく発揮されていることは、周知のとおりかと思います。

 「ひなあい」におけるぶりっ子企画の「㋳」はその極致であり、「やっていること」自体をメタ認知し、それに対する突っ込み等の応酬が起こることだったりはめちゃくちゃテレビ的で、彼女らの能力を象徴する部分なのかな、と個人的に感じています。いいぞもっとやれ。


偶像と実像の狭間

 まとめになりますが、この映画そのものも「日向坂」を伝えるための手段の一つであり、描かれてきた事象や出来事はすべからく事実ではあるものの、その切り取り方や繋げ方に際しては一定の意図で以て描いた場面、描かなかった場面があるであろうことには気を向ける必要があると感じています。日向坂の彼女たちもまた、「アイドルであること」について非常に自覚的であると感じますし、そのアイドル像と実際の自分との狭間にゆらぎや葛藤、努力の証といった痕跡が垣間見えるところが、日向坂のグループ総体としての面白さだと思っています。メンバー個人個人の魅力についてはここでは触れることはしませんが、日向坂はある種現実主義的でありながら、持っている理想の位置は高いところにある、そんな人たちの総体なのだろうな、と感じた映画でした。

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