子どもの頃大嫌いだった、嫌な大人になっている自分が許せない
友達がおもちゃを貸してくれない、
今は寝たく無いのに寝なければいけない、
どうしても長袖を着たい
思い通りにならないことに対する子どもの意思表示。子どもは地面を這い、泣き、叫び、魂の声を上げる。それは激しい時もあれば、静かな時もある、全身を震わせながら、懸命に、思いを通そうとする。
大人はずるい生き物である。理不尽で、卑怯だ。
ヤダヤダするんだったらもう知らない、先に行くからね、
おもちゃを使いたいなら、順番に使いなさい、
今は寝る時間です、遊ぶ人は教室に戻りなさい
大人は子どもが嫌な言葉をたくさん知っている、
大人は子どもによく、人にされて嫌なことはしない、人に言われて嫌なことは言わない、と説く。
私もかつて教師に怒られて嫌だった、
愛のない怒りは苦痛だった、
理不尽な学校のルールは許せなかった
なのにどうしてだろう
子どもを育てる立場になってからというもの、子どもがされて嫌なことをしまくっている自分がいるのだ。
毎日そうだ、ああ今日はこんな言葉を向けてしまった、こんな対応はしない方が良かった、信じたくないが現実は辛く突き刺さる、自分のありたい姿とやっていることが相反していて、気持ち悪い
本気で、憤りを表現している子がいる側で、その様子を見ながら、静かに大人に対する不信感を抱く子がいる
片手に収まる年齢の小さい子が大人の顔色を見て行動、発言をしている。
大人の望むように動く、遊ぶ、
不自然な姿を見せている。
これでは自己肯定感も自分で考えて行動する力も、非認知能力もへったくれもあったものではない、
こんな状況で、こんな環境で、子どもの人格形成の基礎となる幼児教育を行なっては絶対にいけないと私は強く思う
保育現場、保育士、変わらなければならないのだ