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【往復書簡その2】 Welcome Back! もえちゃん。

もえちゃん

手紙をありがとうございます!
すっかりお返事が遅くなってしまい…ごめんなさい。

下北沢にて


先日の下北沢での再会、とても嬉しかったです。
大学生という枠からもっと様々な広がりのある世界に出て、それぞれ自分の生活を追い続けるうちに何となく会う機会がなくなった時間は、振り返ると案外長く、私たちはきっとそれぞれに変わってしまって、どこかすれ違ってしまうのではないかという不安も正直あったのだけれど、結局わたしたちは未だに、それぞれにわたしたちである、という気がして、とても気分が良かったのが下北での再会でした。

もえちゃんはベルリンから戻ったばかりで、もえちゃんの話すベルリンでの生活やベルリンに至る前の生活の話を聞いて、何だか久しぶりに胸がワクワクする思いがしました。元気が漲って、バイタリティが蘇ってくる思いは久しぶりでした。そしてもえちゃんはまた海外に飛び出していくのだろうな、という予感も感じたり…。この話はこの先もえちゃんから語られるかも?という事で、この辺の匂わせで終わりたいと思います。笑
何はともあれ、Welcome Back、もえちゃん!なのでした。

ソウルと5年


では私はというと、私はソウルから帰ってきてもう5年ほどになって、すっかり日本の生活にも慣れ、日本に帰ってきた時に抱えていた絶望感(それは環境という面ももちろんあったけれど、いま振り返ると、私自身に起因するもののほうが大きかったと感じています)はすっかり均されて、だけど退屈な気持ちだけは、未だに残っています。笑
私は今現在、周りの人にも環境にも、とても恵まれていると感じていて、どれくらいかというと、失う事が怖いな~と思ったりしている程度にです。でも、だからと言ってそれは退屈ではない、という事にはならない。毎日飽きるほど退屈です。私が思い描くようなエキサイティングで特別な毎日は、ここではまだ見つけられずにいます。

日本の外で暮らしている時は、自然に「この国で生まれ育っていない人」という意味での「(ある種の)特別枠」となり、日本に一時帰国した時は「日本の外で暮らす人」という事で「(ある種の)特別枠」になり、それにより苦しい事もあったけれど、そこから私は恩恵を得ていた事を認めざるを得ません。自分が大多数のカテゴリーに入らない場所に身を置く事によって、私はある種の「何者か」であり続ける事ができました。そしてそれにより様々な機会と(根拠のない)自信やエネルギーが沸いてきて、私は色々なことにエキサイトしていたように思います。そういう意味で、海外は、「(自分には)何もないけれど、「何者か」にあこがれる私」にとって、実は最高のエスケープ場所だったような気がします。でも、日本に帰ってきて、私からはその意味での「特別さ」はなくなってしまった。日本以外に住んでいるだけで私が勝手に感じてしまっていた「特別さ」は本質的には私のものではなかったという事実に気づいて、でも認めきれず、「きっとわたしは、(特別な)何者かになれる」という、何の根拠もない未来への信頼を担保に暮らしてきたけれど、自分に何らかの特別を身に着ける事ができないまま年を重ねて未来に起きるミラクルへの担保が目減りするのを感じて、やり場のない気持ちですっかり疲れてしまっていました。ただ、今思うと、わたしは何もしていないなかったと感じています。私はいつも色んなものに憧れているけれど、結局わたし自身がやっていることは憧れて、偶然のラッキーを待っているだけです。他力本願とはこのことです!笑

フジロックと、魂の行方


もえちゃんがくれた手紙の最後にフジロックについて触れられていたけれど、本当に懐かしい~!一緒にテントに泊まって、土砂降りの中、一日中歩き回ったよね。あの時の無限大の体力を思い出します。笑 その後も私は毎年フジロックには通っており、今年も行ってきました。(ちょうど1週間ほど前です)

塩塚モエカさんというミュージシャンを知っていますか?羊文学というバンドをやっている人なのですが、今年は彼女がGipsy Avalon(今は移動して、一番奥のステージになりました)で弾き語りをしていて、私はそれを観に行ったのだけれど、本当に心に沁みました。魂をひしひしと感じるのです。と同時に、わたしは何だかやり場のない気持ちになりました。「私の人生はこうやって、感動的なものに出会って、魅せてくれる人に感動して、心から拍手を送って、そういう人生なのかな」と。「感動するものに出会って、心から拍手を送る」という事は、私が一番やりたい事のように思います。そしてそれができる人を心から尊敬するし、憧れます。なのですが、私はその感動の最後に「(だけど、私の人生は)そういう(それだけの)人生なのかな」と思ってしまうのです。素晴らしいものに出会って感謝をしても、私はなぜか矢印の先が自分に向いてしまう。その微妙な感情の存在を認めつつも、私はその、わたしの魂が行く先を静かに見守っているところです。

長くなってしまいました!
夏が終わる前に、またビールでも一緒に飲めるといいよね。

2022年8月 ヂャニス

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