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生理は「自助」にしてはいけない。【国際女性デー2022】

今日、3月8日は国際女性デー。

ジェンダーギャップ指数先進国最下位の国で女性として生きる絶望を感じるのにふさわしい、陰鬱としたお天気でしたね。絶好のもやもや日和。

そしてこのタイミングで、「かがみよかがみ」にエッセイが掲載されました。なんともタイムリー。

エッセイの最後にも触れていますが、最近学校にナプキンを常備しようというムーブメントが高まっていますよね。

実は、最初にニュースを見たときは「そこまでしなくてもいいんじゃ?」と思ってました。しかし、いろいろ調べていくうちに「生理の貧困」に辿り着き、苦しい思いをしている中高生のエピソードを見て、「確かになぁ……」と納得していったのが第1ステップ。

そして、「私が誰かを切実に頼ったとき」というテーマを見て、すぐに中学時代のエピソードが浮かびました。エッセイを書き進めていくうちに、ふっと「学校にもナプキン常備」を思い出したんです。そして気づく。

これ、まさに私のためなんじゃね?!

我ながら今更で草。

実は、このエッセイの騒動後にも私は懲りずに「生理きたのにナプキンない、詰み」を何度も経験してます。友だちに借りられればまだいい方で、1日中腰を少し浮かせて座ったり、トイレットペーパーを下着に巻きつけたり、あの手この手で切り抜けて(?)きました。大人になった今はコンビニにダッシュできるからいいけど、あの頃は大変だった……。

考えてみれば、生理って究極の「自助」なんじゃないでしょうか。

周期は忘れずにつける。基礎体温も測る。ナプキンは必ず自分で用意して、人に借りたら必ず返す。保健室で借りた時も忘れずに返す。生理の話をむやみに人にしない。洋服に経血がつくのは女として最大の恥。

これらは全て、生理が始まったときに母から言われたことです。

(めちゃめちゃ余談ですが、私が生理について初めて知ったのは、小学4年生の宿泊学習のときでした。準備ができたか確認する母に、「うん!あの、なんか、あの血が出るやつのも入れたよ!」と返したら、ゲンコツが降ってきました。謝ってはもらえたけど、忘れたくても忘れられない思い出です)

だから、「トイレットペーパーが常備されてるんだから、ナプキンだって常備されてもいいはず!」という意見を見たときは「そこと比べるのは違うんじゃないの…?」と思ってしまいました。でも、冷静に考えるとトイレットペーパーだって「自分の体を清潔に保つため」のもので、なくなったところで設置者側が困ることはないはず。「みんな使うから、あったら便利だよね」という善意で常備してるんじゃないでしょうか。

これってナプキンも一緒だよね……?

昔の人は経血を「ケガレ」とみなしていたという話もあるそうですが、人前で話すのはタブーとされ、「自分で対処してこそ一人前の女性」みたいな風潮があるんじゃないでしょうか。

でも、何食わぬ顔をして学校に通っている中高生の中にも、いろいろなバックグラウンドを抱えている子たちがいます。私のように生理周期をつけるのが苦手な子、生理の悩みを誰に話していいかわからない子、シングルファザーと2人で暮らしている子、DVに苦しんでいる子、生理に関するトラウマができてしまった子……。

そんな生徒たちに対して「保健室でナプキン借りたら必ず返してね!」と言ってしまうのは、あまりにも乱暴ではないでしょうか。

「置いておくから自由に使ってね!」と言ってくれるだけで、安心する生徒はたくさんいるはず。

さらに言えば、生理を「自助」にしてしまうのはとても危険だと思います。

生理には、人それぞれ悩みがつきものです。PMSがひどい、生理痛がひどい、経血が多いもしくは少ない、身体がむくむ、暴食しちゃう……。

誰かに話せば楽になる悩みもあれば、放っておくと大変な事態になってしまう”悩み”もあります。でも「生理の話をむやみにしちゃだめ」と言われてしまったら、それも言いにくいでしょう。しんどい状況を1人で抱え込むことになってしまう。これでは、一人ひとりの安心・安全を守れているとはとても言えません。

生理は、自分でなんとかしなければいけないものじゃない。
他人を、社会を頼りながら、向き合っていくものです。

40年、もしくは50年近くも付き合っていかなきゃいけないから、社会全体で負担を軽減させていきたい。

まず、ナプキンは嗜好品じゃなくて生活必需品なんで、国はさっさと軽減税率適用してね。


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